EPISODE10 「お前を絶対に、ウィンチェスター家の者とは認めない!」
こんなことになるなら、連れてくるべきではなかった。
アイザックは心底そう思っていた。
原因は目の前の女性にあった。
彼女の名は――ウェンディ・ウィンチェスター。
金髪を邪魔にならないようにとバサリと短くしたショートカット。意思の強さ感じさせるややつり上がった目には金色の瞳を宿し、長い足に黒いパンツを履き、ヒールの高いブーツを履いている。動きやすさを重視しているのか、袖の無い白シャツ着ていて、その腕には剣士の証拠たる一本の長剣を持っていた。
そして、ウェンディ・ウィンチェスターはナツキに向かってまるで親の敵を見るように大きな声を上げた。
「お前を絶対に、ウィンチェスター家の者とは認めない! それに父に代わり当主になるなど絶対に私は認めないぞッ!」
アイザックはもちろん、父親であるトレノでさえ思わず顔を手で覆い天を仰いでしまった。
試練のせいで心に傷を負っているであろうナツキを思い、当主を譲りたいと思っていたことやそれら他のことはしばらく話さないでいようといた矢先にこれだった。
トレノもまさか、娘がこうも見事に予想外な行動をしてくれるとは微塵も思っていなかっただけに驚きが大き過ぎた。
「あー、なんていうか、悪いけど……言っている意味が分からない」
一方、ナツキは本当に言われた意味が分かっていないのか、それとも急激な展開で追いつけないのか、反応が悪い。
だが、逆にその反応の悪さがウェンディにとっては馬鹿にされていると思ったらしく、まさに火に油状態だった。
「……アイザック」
「なんでしょうか?」
「俺、帰って良いか?」
はい、どうぞ……そう言い掛けてグッと堪えるアイザックは、無理をして、本当に頑張って笑顔を作って見せた。
「申し訳ありませんが、もうしばらくご辛抱ください」
まずいことになってしまっている。本当にどうしてこうなってしまったのだろうか?
アイザックは魔神様に問いたくなった。
*
ウェンディ・ウィンチェスターは現在一八歳の剣士である。いや、正確にいうと、ウィンチェスター家が率いる私兵『風の狼』を束ねる長であった。
剣士としての実力はもちろん、魔術の腕もなかなかのものであり、長命である魔族の中では若く幼い彼女だが、それでもある程度名の知られる実力者でもあった。
毎日の日課の一つとして、兄であるクレイ・ウィンチェスターと共に訓練をしていた所、上機嫌な父親がやってきた。それがはじまりだった。
ウェンディの伯母である、メアリ・ウィンチェスターの消えた息子が今日、家にやってくるのだという。
リリョウ・ナツキ・ウィンチェスター。
ウェンディは彼のことを二度見ている。一度目は、洗礼の儀式で、二度目は昏睡中の見舞いに父について行ってだ。これは兄も同じだろう。
そして時間が過ぎ、彼がやってきた。
父が信頼する、アイザック・フレイヤード。現魔王の息子である、ティリウス・ウェルズを連れて。
若干、やつれているように見えるのは昏睡状態が三十日続いたからか、それともそれだけの試練を受けたからか? ウェンディには分からないが、あまり健康そうにはみえなかった。
とはいえ、彼女にとってそんなことはどうでもよかった。
問題は、父が当主の座を彼に譲ろうとしていること、そして――その妻に自分をと考えていることだった。
冗談ではなかった。
当主の件もそうだが、自分を妻になどと勝手に決められて良いわけが無い。
だからこそ、彼女はナツキに向かって叫んだ。
「お前を絶対に、ウィンチェスター家の者とは認めない! それに父に代わり当主になるなど絶対に私は認めないぞッ!」
兄が呆れるようにため息を吐いたのが聞こえたが、こちらは人生が掛かっているので聞こえないふりをしたのだった。
*
――まったく、なんでこんなことになったんだよ……
ナツキは心底面倒だとばかりに思っていた。理由はもちろん、自分に向けてどういう訳か敵意の視線を向けてくるウェンディ・ウィンチェスターのせいだ。
当初、従兄弟という言葉に、地球では諦めていた血の繋がった関係に会えるというのは少なからず期待はしていた。
三十日間、自分の中では十年以上も最悪な目に遭っていただけに、従兄弟に会えるというのは自分の現状にとってプラスになってくれればと思っていたのも事実だった。
そして何よりも、父や母の遺品などを見ることができればと若干期待もしていた。
だが……
――ぶっちゃけ、もう帰りたい。
正直に言ってしまうと、話の半分以上が訳が分からない。とりあえず、トレノが自分に当主の座を譲りたいという気持ちを持っていることは分かった。
だが、それは迷惑だ。
なによりも、大和を助ける為には、肩書きが増えるのは少々困ると思う。アイザックやトレノが一回も当主の件を自分に言わないのも、そういったことを考えてくれているのではと思ってもいるのだが……実際はわからない。
面倒ごとは面倒だ。地球にいた時から、それは変わらない。
そして、何が面倒かというと、自分を認めないと言うウェンディにどういう訳かティリウスが反撃していることだった。
「ウェンディ・ウィンチェスター! 貴様は仮にも従兄弟に向かってなんてことを言っているのだ!」
「何が従兄弟よ、本当に伯母上の子供かどうか分からないでしょう!」
「ほう、貴様は魔神が間違えたと言うのか?」
「グ……そう、言うわけでは……」
「では、どういう訳だ!」
だから、どうしてお前が怒ってるんだよ……と、小一時間くらい問いたいナツキであった。
ティリウスにしてみれば、試練で偽者とはいえ、友人や出会った者から殺され続けたナツキがせっかくその試練と関係ない者と出会えたのだ。しかも、血の繋がりがある従兄弟だ。
なのに、ウェンディはそれを否定した。
ティリウスにとってそれは許せないことだった。
トレノ・ウィンチェスターが姉の忘れ形見であるナツキに当主の座を譲りたいことはティリウスも知っている。いや、知らされていた。
ウィンチェスター家に来る前に、その件に関しての相談をアイザックから受けたりもした。ティリウスはその話はしばらく置いていたほうが良いと助言したのだ。
今のナツキにそこまでの余裕はない。そう思ったからだった。
(こういう時、姉上の方が良い方向へと持っていけるというのに、僕は……向いていない)
自分の不器用さを少し恨んだ。
だからこそ、このウェンディ・ウィンチェスターが気に入らない。
「そもそも“魔王候補”のくせに“勇者候補”を助けたいって言っているのが気に入らないのよ! 相手は完全に敵じゃない!」
「よさないか、ウェンディ!」
どう間に割って入って良いのか分からないでいたトレノも、さすがに今の言葉は見過ごせなかった。
それは、アイザックも、ティリウスも同様だ。
「いいえ、よしません!」
彼女はティリウスではなく、ナツキを睨みつける。
「アナタは知らないかも知れないけどね、“勇者候補”が召喚された国はノルン王国よ。今、もっとも魔族を敵視している国なの。意味が分かるかしら?」
「国と大和は関係ない」
ナツキは怒るわけでもなく、怒鳴るわけでもなく、静かにそう言った。
だが、アイザックたちにとって、逆にそちらのほうが危なげに感じたのは間違いがなかった。
「関係あるに決まっているでしょう! 何度も魔族と戦い、他の“勇者候補”すら投入してきているのよ。アナタの大事なお友達が攻めてきたら、アナタは戦えるの?」
「やめなさい、ウェンディ! いい加減にしろ!」
だが、ウェンディは止まらない。
「もしもアナタの友達が魔族を殺して、家族が泣いたとしてもアナタは友達を助けたいって言うのかしら? どうなの、“魔王候補”サマ?」
「なんだと……お前、もう一度言ってみろ。大和が誰かを殺す?」
「当たり前じゃない、“勇者候補”は戦いの駒よ! 将来的に魔王になる“魔王候補”ではなく、将来的には勇者となって魔族と敵対する最強の敵なのよ!」
熱い、体がとても熱い。だが、頭は酷く冷たく、冷静だ。
体は焼かれているのに、頭には冷水を浴びているような感覚だ。
「そこまでにしておけ、ウェンディ・ウィンチェスター。そもそも、ウィンチェスター家は和平派だというのに、どうしてこう敵対する話ばかりをする?」
「相手はの“勇者候補”はノルン王国に召喚されたのよ!」
「そうだ、それでもそのノルン王国とも和平をという考えが我ら和平派のはずだ。一体、何がそんなに気に入らないんだ?」
ティリウスの言葉に、グッと詰まってしまうウェンディ。
そう、ウィンチェスター家は和平派だ。例えそれが最も敵対している国であろうと、共に手を取り合い戦いの無い世界をと考えているのだ。
なのに、ウェンディの態度はおかしい。
別に、ウィンチェスター家の人間は必ず和平派でなければいけないということはないが、確かウェンディは和平派であったはずだ。
そこでようやくアイザックが口を開いた。
「なるほど、ウェンディ……貴方は“例の話”が気に入らなくて突っかかっているのですか?」
「ッ……」
アイザックの言葉に思わず、苦虫を噛み潰したような表情になるウェンディ。
これでアイザックもトレノも彼女がここまでナツキを敵視する理由が分かった。
「む? “例の話”とはなんだ、アイザック?」
「ええとですね……」
アイザックは困ったようにナツキとトレノ、そしてウェンディを見てから渋々と言った。
「ナツキ様に当主を譲った折には、ウェンディを妻にとトレノ殿はお考えだったのです。つまり、ウェンディはそれが気に入らず、この様な態度を取ったと」
「あ、当たり前でしょう! 私は自分よりも弱い男となんて結婚する気はないわ! それに、父上が守ってきたウィンチェスター家の当主を、こんな男に!」
ティリウスもようやく納得できた。
そして、文句の一つでも言ってやろうとしたその時だった。
「くだらねえ……そんなことに俺を巻き込むんじゃねえよ……」
ナツキの心底がっかりしたような声だった。
そして、それだけ言うとその場を去っていってしまう。
「な、ナツキ様、どこへ?」
「魔王城へ帰る。俺にはやっぱり血縁者なんて必要ないみたいだ。問題の種にしかならねー」
それだけ言うと、さっさと歩いていってしまう。
アイザック、ティリウス、そしてトレノも聞き逃さなかった。最後にナツキがボソリと「期待した俺が馬鹿だった」と言ったことに。
「お待ちください! ナツキ様!」
トレノたちに「失礼」と声を掛け、ナツキを追いかけるアイザック。
残されたティリウスは怒りを堪えていた。トレノはどうしてこうなってしまったのかという顔をしている。
一方、ウェンディは何がどうなったのか分かっていない。そして、最初からずっと傍観していたクレイは何か思うことがあったのか、ナツキを追っていった。
「トレノ殿、僕もリリョウを追う。すまないが、失礼する」
「はい、リリョウをよろしくお願いします」
「フン、僕はまだアイツを完全に認めてはいないからな!」
そして、ティリウスはウェンディを睨みつける。
「な、何よ」
「リリョウは地球という世界では孤児だった。当たり前だ、血縁関係者はすべて、イシュタリアにいるのだから」
「それがどうしたっていうの」
「わからないのか? リリョウは少しかもしれないが、従兄弟と会えることを楽しみにしていたんだぞ。それをお前が台無しにしたんだ。僕は貴様を許さない」
ウェンディは何か言おうとして、言えなかった。
ティリウスはもう、ウェンディの反応すら見ずにナツキを追いかけていってしまった。
残されたのは、ウェンディとトレノだった。
「ウェンディ、リリョウは私たちの家族だ。当主を譲ろうとしたのも私とは比べ物にならなかった程優秀な姉が私のためにと当主を譲ってくれた、その恩を返すためでもある。お前を妻にとは、良かれと思って口走ったが、本人の気持ちを考えていなかったことは謝ろう」
「お父様……」
「だが、もしも次に、リリョウをウィンチェスター家の者として認めないようなことを言えば私も許さない。そして、“勇者候補”に関しては、お前にはリリョウの力になって欲しいとお前に話したが、今後その話を一切することを禁じる」
「お父様!」
娘の声を無視するように、トレノは屋敷へと戻った。
そして、しばらくしてあることに気づいた。
かつて姉が使っていた刀が無いことに。
「クレイの奴め……」
その顔はどこか嬉しそうだった。
*
「お待ちください、ナツキ様!」
アイザックの言葉を無視して、さっさと歩いていってしまうナツキに必死に声を掛ける。
だが、止まる気配はなかった。
一刻も早く、ここから遠ざかりたいのか、歩みを止めるつもりはないようだ。
仕方なく、アイザックはナツキの後ろを何も言わずに歩いた。
本来なら、メアリとリオウの遺品や、そう多くは無いが写真などを見せて、ちょっとした昔話をすることでナツキのためになればと思っていた。
だが、こうも正反対な結果になるとは……。
とはいえ、ウェンディを責める気にもなれなかった。
気持ちは分からなくもない。アイザック自身も、見合い話などはしょっちゅう来るので困っているから理解はできる。
だが、“勇者候補”の話を出すのはすこしやり過ぎだった。
まだ、自分たちは召喚された国の話や、その後の話を詳しくしていない。なのに、ウェンディが断片的に話してしまった。これでは、ナツキにも話さなければいけない。
可能であればもう少し時間を置いて、ナツキの心が落ち着き、信頼できる者をある程度増やしてからことを進めたかったのだ。
――ですが、もうそうは言っていられませんね。
これが吉とでるのか、凶とでるのかアイザックには分からなかった。
「おい、僕を置いていくとは何事だ!」
アイザックがそんなことを考えていると、ティリウスが小走りで追いかけてきた。
そして、ナツキの隣ではなく、アイザックの隣に並ぶ。
「どうだ?」
「いえ、声を掛けても無視されていますね」
「……無理もないか」
アイザックもそう思う。
そんな時だった。
いつの間にか、ナツキの前に一人の男が立っていた。その男には見覚えがある。クレイ・ウィンチェスターだ。ウェンディの兄でもある。
「アイザック!」
ティリウスが叫んだ理由はアイザックにも分かった。
クレイが持っている物に問題があったのだ。それは――一振りの刀。
一体、何をする気だ。そこまで、考えて、アイザックにはすぐに分かった。
あの刀はメリルの物だと。
「貴様! なんのつもりだ!」
止める間もなくティリウスがサーベルを抜き、ナツキの前に立った。
「ティリウス様、私は敵対するつもりはありません」
「では、何用だ!」
「これを、リリョウ様に受け取ってもらいたいと思い、持ってきました」
そして、クレイはナツキに向かって刀を差し出した。だが、受け取りはしなかった。
「これはリリョウ様の母上がお使いになっていたものです。これを是非にリリョウ様に受け取っていただきたい」
「アンタは俺をウィンチェスターだと思っているのかよ?」
「ええ、僕は二七歳だから、君が生まれた時に居合わせたんだよ。抱っこしたこともある。それに、メリル伯母様は僕にとって師匠的な存在だった」
クレイは口調を変え、優しく、懐かしくナツキに笑って見せた。
「妹のことは謝るよ。ああなったら誰が何を言ってもしばらくはそのままだからね。内心は冷や冷やしていたんだけど、僕は僕の役割があったから」
「役割だと? それはなんだ」
割り込んでくる、ティリウス。
「それは秘密です。ティリウス様。でも、いずれ教えるときがくるかもしれません」
そして、再びナツキに刀を差し出した。
「僕は覚えているよ、リリョウ、君の魔力を、君の風を」
「風?」
「そう、君を包む風を僕が間違えることはないよ。それはさておき、受け取ってくれるかな? これはメリル伯母様の願いでもあったんだ」
「願い?」
「うん、いつか息子にこの刀を、と。数多の戦場を潜り抜けた相棒を息子の守り刀にしたかったんだよ」
ナツキは何か思うことがあったのか、しばらく無言で考えてから、刀を受け取った。
「ありがとう、リリョウ」
「アンタが礼を言うことじゃないだろう」
「ははは、そうだね。でも、嬉しいんだ。じゃあ、僕はこれで失礼するね、いつでも来て欲しい、僕は歓迎するよ。この家は君の家でもあるんだから」
そう言ってクレイは笑った。
「……すぐに返事は無理だよね。でも、本当にいつでも歓迎するから。それじゃあ、君に風の祝福がありますように」
アイザックとティリウスに「失礼します」と声を掛けると、現れた時のように一瞬にして消えてしまった。
「これは、風の魔術か……かなりの使い手だな」
ティリウスが呟く。
こうしてナツキは新たな出会いをし、母の形見である刀を手に入れ、風の魔術を知った。
うまいこと明るい話が書けません……(汗)
とはいえ、従兄弟であるウィンチェスター兄弟の登場です。
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