第94話「割れたしゃもじ、あるいは鎮魂の重粥」
ここは都内某所、老舗料亭の奥座敷。
本来なら炊きたての銀シャリの香りが満ちているはずのその場所は今、冷めきって固まった残り飯のような重苦しい沈黙に支配されていた。
「……また、一人やられた」
沈黙を破ったのは、米派の重鎮だった。
「うちの跡取り息子が……朝から『今日はバゲットの気分だな』などと抜かしおった。あろうことか、あの教祖の配信を見ながら、空中を目がけて口を開けておるんだ。……『散パン待ち』だと。米は……米はどうした、と聞いたら『研ぐのがダルい』と言われましてな」
「うちもだ」と、別の重鎮が湯呑みを震わせる。「若手の米農家連中が、田んぼの隅で隠れてクロワッサンを食っていやがった。理由を聞けば『パンくずを拾う方が、落ちた穂を拾うよりスタイリッシュだから』と……。もはや、米の粘り気では若者を引き留められんのか」
お通夜モードが加速する。彼らにとって、教祖の「人類パン化計画」は冗談ではない。現に、街の若者たちは米を研ぐ手間を惜しみ、袋を開ければすぐ食べられるパンの「機動力」に屈服しつつあった。
その時だった。
「……おい、それは何だ」
重鎮の鋭い視線が、末席に座る幹部の懐に向けられた。
幹部は顔を真っ青にして、何かを隠そうとするが、震える指先から「それ」が滑り落ちた。
畳の上に転がったのは、教祖がパンを掲げて笑う、限定の**「黄金のパン型キーホルダー」**。
「な、……貴様ッ! 敵のグッズを、あろうことか聖なる会合に持ち込むとは!」
「い、いや、これは、その! 敵情視察というか、そのフォルムの完璧さを分析するために……!」
「嘘をつけ! それに付いているのは『人類パン化後世界創造責任者』就任記念の限定タグじゃないか! オークションで高騰しているやつだぞ!」
追及が始まるが、ドタバタの中で別の幹部の懐からも「総監督の指先イメージ耳かき」が飛び出し、座敷はパニックに陥った。
「お前もか!」「いや、私はただ、掃除の精神だけは学ぶべきかと!」「あの子の『うほっ』という声を聞くと、なぜかお米が美味しく炊ける気がしたんだ!」
罵声と弁明が飛び交う中、料亭の大型モニターには、今日も教祖のゲリラ配信が映し出された。
そこには、新メンバーの少女が、美味しそうに真っ白なフワフワのパンを頬張りながら、幸せそうに「うほっ」と微笑む姿。
「……なんていい子なんだ」
一人の重鎮がポツリと漏らした。
その無垢な食べ方に、米派の頑固な心までが、じわじわと「二次発酵」を始めてしまう。
「教祖は仰った……私はパン、あなたもパンだと。……米も、炊き上げれば白パンに似ていなくもないのでは……?」
「バカなことを言うな! ……いや、待てよ。米粉パンという道があるか?」
米派のプライドと、教祖が振り撒く圧倒的な慈愛(と、少女の可愛さ)。
最強の敵を前に、米派の結束は「おこげ」のようにボロボロと崩れ始めていた。




