第92話「約束の欠片、あるいは託宣のフォーチュンパン」
今夜の聖域は、いつもより照明が落とされ、揺れるキャンドルの火があかり様の瞳を黄金色に縁取っていた。ココもゆんも、そしてにゃん監督さえも、今夜は静かに影に徹している。
「パンに祝福を。……今夜は少し、静かに過ごしましょうか」
あかり様の前には、香ばしく焼き上げられた小さな三日月形のパンが山積みになっている。『フォーチュンパン』。中に未来を記した紙片を抱くそのパンを、あかり様は愛おしそうに見つめた。
『今夜のあかり様、神々しすぎて直視できない……』 『フォーチュンパン、自分も焼いて待機してます!』 『画面越しにバターのいい香りがしてきそう』
「このフォーチュンパンを見て。外側からは中身が見えない。けれど、信じて噛みしめた者だけが、その中に隠された『運命』に出会えるの。……これこそが、私の進める『人類パン化計画』そのものだと思わない?」
あかり様が指先でゆっくりとパンを割り、中の小さな紙を引き出す。そこにはただ一言、**『発酵は止まらない』**と記されていた。
「……そうね。もう誰にも、この香りを止めることはできないわ。うほちゃんという純粋な希望を迎え、私たちの世界は、焼き上がり後の『その先』へ向かっている」
『発酵は止まらない……名言きた』 『うほちゃんも今、どこかでパンを食べてるのかな』 『「その先」の世界、あかり様と一緒に見たいです』
「みんな、準備はいい? 私の愛を、風に乗せて届けるわ」
あかり様がそっと目を閉じ、祈るように胸に手を当てる。 伴奏のない、澄み切った独唱がスタジオを満たした。
歌詞のない、柔らかなハミングから始まったその旋律は、時に焼きたてのパンから立ち上る湯気のように優しく、時にオーブンの熱のように力強く響き渡る。
『……涙が出てきた。なんだろう、すごく温かい』 『言葉がないのに、全部伝わってくる……』 『魂がこんがり焼き上がるような感覚だ』
画面の中では、あかり様の歌声に合わせるようにキャンドルの炎がゆらゆらと踊っている。チャット欄の動きも次第に緩やかになり、ただ純粋な感動と、パンへの祈りだけが静かに流れていく。
歌い終えたあかり様の頬を、一筋の光がかすめる。
「明日も、あなたというパンに豊かな発酵があらんことを。……よろしく。パンに祝福を」
配信が切れた後も、暗い画面を見つめる俺たちの耳の奥には、いつまでもあかり様の聖なる調べが、心地よい余韻として残り続けていた。




