第64話「深淵の滋養、あるいは大地の咆哮」
「……500パーセント。いや、もうすぐ600か。すげえな、みんなの熱量」
夜の自室、僕はノートPCの画面に表示されたクラウドファンディングの数字を見て、独りごちた。 『パン教・青空大収穫祭』。 最初は数人の教徒によるSNSのわちゃわちゃした会話から始まったはずの計画が、今や日本中のパン好きを巻き込む巨大なプロジェクトに膨れ上がっている。僕も微力ながら支援を送り、企画会議のログを追いかけ、この祭りの成功を願ってきた一人だ。
「よし、今夜も始まるな」
画面を配信に切り替える。定刻になり、画面に現れたあかり様が掲げたのは、黒々として無骨な、ずっしりと重そうなパンだった。
「パンに祝福を。今夜、私たちの前に現れたのは……この厳格で逞しいパン、ライ麦パンよ!」
あかり様が、その力強いパンを豪快にちぎる。
「見てなさい。小麦とは違う、この独特の酸味と、顎に響くほどの噛み応え。これは、甘えを捨て、大地に根を張って生きる者の味よ! 噛めば噛むほど、自分の中に『芯』が通るのを感じるはずだわ!」
あかり様がライ麦パンを口に運び、目を閉じて深く噛み締める。その音を聞いているだけで、一歩ずつ着実に準備を進めてきた僕たちの「手応え」が、そのパンの質感に重なって見えた。
その時、チャット欄にひときわ大きな文字が流れた。企画の発起人からだ。
『あかり様! 実は教徒有志で、パンの魅力を世に広めるためのイベント「青空大収穫祭」を計画し、クラウドファンディングを募ったところ、爆速で目標を達成しました! 会場も確保済みです。厚かましいお願いですが……当日のメインステージ、あかり様と大司教お二人に降臨していただけないでしょうか!?』
一瞬、画面の向こうであかり様が驚いたように目を見開いた。
僕は震える指で、キーボードを叩いた。 『おれも支援しました! 最高の舞台を用意します、あかり様!』 画面は瞬く間に「俺も!」「私も!」「降臨して!」という教徒たちの熱烈な叫びで埋め尽くされていく。
「……なんですって? 収穫祭? 私たちの知らないところで、そんな面白いことになってたの!?」
あかり様が、不敵に、そしてこの上なく嬉しそうに笑った。
「いいじゃない! パンの神髄は分かち合いにあるわ。わが教徒たちがそこまで情熱を注いで作った舞台なら、喜んでその誘いに乗ってあげようじゃないの。……出演、承諾するわ!」
画面が歓喜のコメントで弾ける。すると、あかり様が楽しげに顎を引いて、カメラを真っ直ぐに見据えた。
「これだけの熱意を見せられて、ただ出るだけじゃフェアじゃないわね。……いいわ、わが教徒たちよ。あなたたちへの『ご褒美』、自分たちで考えなさい。イベントを大成功させた暁には、私にできることなら何でも一つ、叶えてあげるわ。……さあ、何が欲しい? 何をさせたい? 最高の案をまとめて持ってきなさい!」
その瞬間、チャット欄はこれまでにないほどの激流となった。「一緒にパンを焼きたい」「教典の朗読をしてほしい」「新曲を歌ってほしい」……。僕の頭の中にも、いくつもの願いが駆け巡る。
「ふふ、いい顔……いえ、いいコメントね。その答えを、当日の最高のステージで聞かせてちょうだい。期待しているわよ」
ライ麦パンの酸味が、熱いエネルギーに変わって体中を駆け抜けた。あかり様が投げてくれた、あまりにも大きな「救済」。
「……よし。頑張るぞ」
配信が終わった後、僕は再び企画会議のチャットツールを開いた。 あかり様たちが立つ最高のステージを作るために。そして、僕たちの夢をあかり様に叶えてもらうために。 ライ麦パンのようにどっしりと、僕は自分の役割を全うしてみせる。
祭りの火蓋は、今、切って落されたんだ。




