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第63話「螺旋の渦、あるいは無名の旅人の予感」

「……はぁ、疲れた」


夜の22時。一人暮らしの部屋で、僕はスマートフォンの画面をあてもなくスクロールしていた。 特に何が見たいわけでもない。ただ、仕事のストレスを忘れるための、無機質なネットサーフィンの時間。コンビニで買ってきた、お気に入りの**『シナモンロール』**を片手に。


袋を開けた瞬間、シナモンの芳醇な香りがふわりと広がった。たっぷりと厚めにデコレーションされた白いアイシングが、螺旋状の生地の上で雪のように固まっている。


一口齧れば、しっとりとした生地の層からスパイシーな香りと濃厚な甘みが溢れ出し、疲れが少しずつ溶けていくような気がした。


「……ん?」


そんな時、SNSのタイムラインに、場違いなほど熱量の高い告知が流れてきた。


『#パン教・青空大収穫祭 クラファン達成率500%突破! 最高の会場と機材を確保しました! みんなで最高のパンを食べよう!』


添えられた画像には、手書き風の温かいイラストと、プロジェクトの成功を祝う無数のコメント。 「パン教? ……なんだろう、これ」


聞いたこともない名前に指が止まった。特定の宗教というよりは、何かを猛烈に推しているコミュニティの集まりのようだ。リンク先の特設サイトを覗いてみると、そこには「学園祭」や「地域のお祭り」のような、手作り感あふれるワクワクした空気が充満していた。


『すべてのパン好きに捧げる、究極の収穫祭。入場無料。ただ、美味しいパンを笑って食べる。それだけの祭典。』


サイトには、全国から集まるこだわりのパン屋の紹介や、有志たちが考案したという「パンを最高に美味しく食べるための工夫」が、これでもかという熱量で綴られていた。


「へぇ……パンか。普段、深く考えずに食べてるけど。こんなに熱くなるもんかね」


僕は、食べかけのシナモンロールを見つめた。 アイシングのシャリッとした食感と、生地に練り込まれたシナモンシュガー。いつも何気なく選んでいるこの一つにも、誰かのこだわりが詰まっているのかもしれない。


「クラウドファンディングか……。返礼品、『当日使える限定パンチケット』に『特設メッセージボードへの名前掲出』……」


普段、こうしたネットのイベントには見向きもしない。けれど、画面の向こうで「自分たちが最高だと思える場所を作りたい」と盛り上がっている人々の活気が、なぜか少しだけ眩しく思えた。


「……まぁ、パンを食べるだけなら、気楽でいいか」


シナモンロールを最後の一口まで食べ終えると、僕は少しだけ迷って、サイトの「ブックマーク」ボタンを押した。


イベントの主催者が誰なのか、どんな背景があるのかはまだ知らない。 けれど、次にコンビニでパンを選ぶときは、今日よりも少しだけ時間をかけて選んでみよう。そんな小さな変化が、僕の心の中に生まれていた。


甘い余韻が残る部屋で、僕は久しぶりに「次の休日」の予定をカレンダーに書き込んだ。

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