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第6話「薄紅の境界線と、甘い抱擁」

「……はぁ。やっぱり、これじゃないんだよな」


俺は、薄暗い工房で溜息をついた。創業から続く老舗和菓子屋の跡取りとして、新しい看板商品を作らなければならない重圧。練り上げたあんこは完璧だ。だが、それを包む皮が、どうしても古臭い。型に嵌まった伝統が、俺の指先を縛り付けていた。


現実逃避するように、作業台の隅に置いたスマホで配信画面を開く。


「あぁー! もう! このパズル、ピースが多すぎますよ! わたしはただ、猫ちゃんの絵を完成させたいだけなのに、なんで空の部分だけで百枚もあるんですか!? 嫌がらせです、運営の陰謀です!」


画面の中では、白髪のVTuber「あかり」が、バラバラになったジグソーパズルを前に頭を抱えていた。相変わらずの判断力の無さと、不器用さ。


「……ふっ、相変わらずだな」


俺は少しだけ口角を緩めた。彼女のこの「不完全さ」を見ていると、完璧を求められる自分の疲れが少しだけ軽くなる気がした。


「うぅ……心が折れました。ピースがはまらないなら、もう丸めて食べちゃいたいです。……あ、丸める!? そうです、丸めるといえばこれ! 今夜の救済、**『あんパン』**の登場です!」


あかりはパズルを投げ出し、どこからか艶やかな、黒ゴマの乗ったあんパンを取り出した。


「皆さんは、あんパンを『和菓子がパンに浮気した結果』だなんて思っていませんか? 違います。これは、パンという名の無限の慈愛が、孤独だったあんこを優しく包み込んだ**『聖なる結婚マリアージュ』**なんです」


あかりが指でパンの表面を優しく押す。吸い付くような、しっとりとした生地の質感が画面越しに伝わってくる。


「聴いてください、この『再会』の音を」


彼女がパンを二つに割った。 ──ふっ、しぃ……。 マイクが拾ったのは、薄いパン生地が、中の重厚なあんこに寄り添うように裂ける、密やかな音。


「……っ、おいしい! パン生地のわずかな塩気が、あんこの深い甘みを極限まで引き立てています。和の魂と洋の器。本来混ざり合うはずのなかった二つの世界が、パンという寛容な愛によって一つになる。パンはすべてを許し、包み込むんです。……いいんですよ、はみ出したって。包み込んでしまえば、それは新しい形になるんですから!」


あかりの声が、いつの間にか慈愛に満ちた教祖の響きに変わる。その瞳は、画面越しのリスナー一人ひとりを優しく抱擁しているようだった。


「型なんて、パンを焼く時にだけあればいい。私たちの心は、もっと自由に、柔らかく膨らんでいいんです。……あなたもパン! わたしもパン! よろしくぅ!」


彼女がそのまま、和洋の境界が溶け合うような、穏やかで荘厳な賛美歌を歌い始めた。その歌声は、俺の頭を縛り付けていた「伝統」という鎖を、ゆっくりと解いていく。


「……包み込めばいいのか。はみ出したままでも」


翌朝。俺の工房からは、これまでとは違う、香ばしいバターと小豆が混ざり合った香りが漂っていた。


作業台の傍らでは、昨夜の配信アーカイブが静かに流れている。あかりの透き通るような賛美歌をBGMとして聴きながら、俺は吸い付くようなパン生地を手に取った。


伝統のあんこを、あかりの言葉通り、とびきり柔らかいパン生地で包んでいく。それは型にはまらない、俺だけの新しい福音。


オーブンのタイマーをセットし、焼き上がりを待つ間、俺は画面の中でパズルを投げ出して笑っているあかりに、小さく感謝を捧げた。

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