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第59話「結晶の休息、あるいは真夜中の甘い雨」

「……もう、1時か」


暗い部屋に、PCのファンの音だけが虚しく響いている。 今の仕事が嫌いなわけじゃない。けれど、度を越した残業と責任の重さに、心はとうに悲鳴を上げていた。転職サイトを眺めては「次がうまくいくはずがない」と閉じ、現状維持という名の泥沼に沈んでいく。そんな毎日。


ふと、数年も会っていない学生時代の親友から届いたメッセージを思い出した。 『最近お疲れ気味? この配信、バカバカしいけど元気になるよ。たまには頭空っぽにして見てみて』


送られてきたリンクをクリックすると、画面には派手な衣装を脱ぎ捨て、柔らかな部屋着姿でトースターを眺めるあかりがいた。


「……皆さん、こんばんは。今夜はココもゆんもお休み。私一人で、のんびりお喋りしようと思って」


トースターからチーンと小気味よい音が響く。あかりが取り出したのは、厚切り食パンにバターをたっぷり塗り、その上にこれでもかとグラニュー糖をまぶしただけの「シュガートースト」だった。


「サクッ……。ふふ、美味しい。おしゃれなパンもいいけど、夜中に一人で食べるなら、こういう飾らない甘さが一番心に効くのよね」


気づけば、私はチャット欄に思いを書き込んでいた。親友が教えてくれたこの場所なら、今の情けない自分を吐き出してもいいような気がしたのだ。


『あかり様、初めまして。親友に勧められて来ました。仕事がつらくて、でも辞める勇気もなくて、自分が空っぽになったみたいです。パン教に入れば、私もいつかあかり様みたいに強くなれますか?』


あかりは食べる手を止め、レンズの向こう側から私を見つめ返すように、ニッと不敵に、けれど温かく笑った。


「強くなりたい、か。……いい? わが教徒よ。無理に強くならなくていいのよ。パンだって、焼き立てはあんなに柔らかくて、指で押したら凹んじゃうくらい弱いでしょ? でも、だからこそ美味しいの」


彼女は、トーストの上でキラキラと輝く砂糖を指差して続けた。


「今のあなたは、たぶんまだ『発酵中』なだけ。周りと比べて焦らなくていいわ。ミスをしたり、立ち止まったりしても、それは美味しいパンを作るための『隠し味』みたいなものよ。……とりあえず、明日の朝はスーパーで一番安い食パンを買って、砂糖をこれでもかってくらいかけて食べてみて。甘いものはね、理屈抜きで心を救ってくれるんだから。それだけで、明日のあなたは今日より少しだけ幸せになれるわよ」


画面が滲んで見えなくなった。 決断できない自分を責める必要なんてない。今はただ、甘いものを食べて、柔らかい自分を許してあげればいい。そう言われた気がした。


「さあ、夜更かしはおしまい。明日の朝、美味しいパンの香りで目が覚めますように。……パンに祝福を。おやすみなさい」


配信が終わり、暗転した画面に映る自分の顔は、さっきより少しだけ穏やかに見えた。 私は久しぶりに転職サイトのタブを閉じ、親友に「教えてくれてありがとう、明日パン食べるね」と短い返信を送って、布団に潜り込んだ。

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