第5話「白紙のキャンバス、焦げた粘土」
「あぁ……またダメだ。何が足りないんだろう」
深夜、俺はモニターの前で頭を抱えていた。新人のWebデザイナーとして働き始めて半年。クライアントからの「もっとシンプルに、でも温かみのある白を」という抽象的なオーダーに、俺の引き出しは空っぽになっていた。白を重ねるほどに画面は冷たくなり、俺の心は余裕を失ってパサパサに乾いていく。
無音に耐えきれず、適当に開いた配信画面。そこに映ったのは、真っ白な髪をしたVTuber「あかり」が、なぜかキッチンで鼻歌を歌っている姿だった。
「はい、皆さん見てください! 今夜は特別企画。あかりちゃんが心血を注いで手作りした、聖なるパンをお披露目します!」
彼女がオーブンから取り出したのは……パンとは到底呼べない、黒ずんだ「岩」のような物体だった。
「……これ、パンか?」
思わず画面にツッコミを入れた。リスナーのコメント欄も「炭の錬成」「現代アート」「食べられる鈍器」と大荒れだ。
「失礼ですね! 確かにバターは全部溶け出したし、膨らみもしませんでしたけど、これは熱意の塊なんです! ……まぁ、一口食べた瞬間に歯が欠けそうになって、味は『湿った粘土』でしたけどね。あはは!」
あかりは自分の失敗を、これ以上ないほど明るく笑い飛ばした。
「自分で作ろうとして、初めて分かったんです。この『白』を維持することが、どれだけ奇跡に近いことか。……だから、今夜はこれに跪きます」
彼女が画面の外から取り出したのは、厚切りにされた、何の変哲もない真っ白な**「食パン」**だった。
「見てください。この、無垢な白。耳までしなやかで、指で押せばどこまでも沈んでいくような柔らかさ。……聴いてください、この『沈黙』の音を」
彼女が食パンをそのまま、何もつけずに手で裂く。 ──ふっ、みしぃ……。 マイクが拾ったのは、繊細な繊維が一本ずつ解けていくような、静謐で密やかな音。
「味付けも、飾りもいらない。ただ焼かれただけの白い生地の中に、職人の執念と、酵母の命が宿っています。噛み締めれば噛み締めるほど、小麦のほのかな甘みがじゅわっと溶け出してくる……。わたしの作った粘土とは大違いです。引き算を極めた先にある、究極の完成形。これが、本物の『白』なんです」
あかりの声が、いつの間にか神聖な響きに変わる。
「失敗したっていいんです。真っ黒な粘土を作ったからこそ、この白さの価値が骨の髄まで染みる。完璧じゃない自分を認めた時、初めてこのパンのような、優しい白が見えてくるんですよ」
彼女がそのまま、食パンの純潔さを讃える透明感あふれる賛美歌を歌い始めた。その歌声は、モニターの光で疲れた俺の目に、不思議と優しく入り込んできた。
「……そうか。引き算か」
俺は、複雑にこねくり回していたデザイン案を一度ゴミ箱に入れた。真っ白なキャンバスを眺める。あかりが頬張る食パンのように、何もないからこそ豊かな、そんな「白」が見えた気がした。
翌朝。俺はトースターもバターも使わず、買ってきたばかりの食パンをそのまま口にした。 舌の上でゆっくりと解ける、優しい甘さ。 俺はもう、何も怖くなかった。あかりが笑い飛ばした「焦げた粘土」を思い出しながら、俺は新しいデザインを描き始めた。




