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第45話「原点回帰の遊戯、あるいは黄金の滴り」

「……ずっと、何かに追われていた気がする」


深夜。都内のオフィスで終電を逃したプログラマーの男は、自販機の微糖コーヒーを啜りながらスマホを開いた。 責任ある役職を任され、部下を育成し、組織の歯車として完璧に振る舞う毎日。気がつけば、自分がかつて何に熱狂し、何に笑っていたのかさえ思い出せなくなっていた。正解のない「効率」という名の迷宮を、ただ黙々と歩き続けるだけの空虚な日々。


ふと、画面の向こうで通知が跳ねた。それは、あかりの少し珍しい配信だった。


『新発売の激ムズアクション買ったからクリアするまで寝ない!』


「皆さん、こんばんは! ……ねえ、掲示板で見たわよ? 最近のあかり様は歌わないしゲームもしないねって! ……たしかにそうかも! 私、教祖業が忙しくて『遊び』を忘れてたわ!」


画面の中のあかりは、いつもの法衣ではなく、初期の頃のようなラフなパーカー姿だった。


「というわけで、今日はこの最新作アクション『グラインド・ブレッド・ナイト』をやるわよ! ほら、コメント欄に『待ってた』『台パンの準備しろ』とか書かないの! 見てなさい、今の私は昔の私とは一味違うんだから!」


しかし、開始五分後。 「ああっ!? 今の二段ジャンプ、絶対ボタン押しましたよね!? 運営の陰謀! 組織的な嫌がらせよこれ! ……えっ、『通常運転』って流すのやめて!? 今のはラグ! ラグのせいです!」


あかりの絶叫と、流れるような操作ミス。リスナーたちは『これぞ実家のような安心感』『教祖オーラ剥がれるの早すぎw』と大盛り上がりだ。あかりは悔しそうに歯を食いしばり、机の下から一斤のパンを取り出した。


「うぅ……もう指が攣りそう。でも大丈夫、負け戦には甘い補給が必要よ。見てなさい、今夜の救済はこれ! 『メイプル食パン』!」


あかりが袋を開けると、マイク越しでも分かるほど、濃厚で官能的なメイプルの香りが広がった。


「見て、この生地に深く刻まれたメイプルの渦。まるで私が今ハマってるゲームの迷宮みたいに複雑だけど、味はどこまでも慈愛に満ちているの。……聴いて、この『癒やしの音』を」


あかりがパンをちぎる。 ──しっとり、シャリリ。 結晶化したメイプルシュガーが弾ける音が響くと、コメント欄は『飯テロやめろ』『メイプルは卑怯』という悲鳴で埋まった。


「……んんっ! あまーい! 脳の隅々までイースト菌様の祝福が染み渡るわ……! 皆さん、いい? 効率よく動けなくたって、ゲームに負けたって、このメイプルの滴がすべてを黄金色に塗り替えてくれるの。失敗は、次に美味しいパンを食べるための『おつまみ』なのよ!」


あかりはメイプルでベタベタになった指をペロッと舐め、悪戯っぽく笑った。


「ココやゆんには『教祖様がはしたないです』って後で怒られちゃうかもしれないけど、たまにはこうして『空っぽの楽しみ』に溺れるのも必要よね! さあ、皆さんも失敗した夜こそ、極上の甘いパンを。明日にはきっと、コンティニューしたくなるような元気な一日が焼き上がるわ!」


その笑顔を見て、プログラマーの男は、明日会社に行く前に少し高いメイプルパンを買おうと決めた。正解のない迷宮を歩くのも、たまには悪くない。あかりの絶叫とパンの香りが、彼の乾いた心に、忘れかけていた「熱」を注ぎ込んでいた。

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