第41話「虚無の空洞、あるいは奇跡の充填」
「……また、空っぽだ」
深夜二時。WEBライターの男は、青白く光るモニターの前で、カサカサに乾いた指を止めた。 流行りのキーワードを機械的に繋ぎ合わせ、誰の心にも残らないコピペ記事を量産する日々。書き終えた記事を投稿するたび、自分の中の大切な何かが吸い取られ、内側に「空洞」が広がっていくような感覚に陥っていた。自分の言葉も、自分自身の存在価値も、実体のない空白のように思えてならない。
男は逃げるように、画面の隅で通知が跳ねたライブ配信をクリックした。
画面に映し出されたのは、いつもの聖なるスタジオ。だが今夜、中央の椅子に座っていたのは教祖・あかりではなかった。透き通るような白い肌と、どこかこの世ならぬ幻想的な雰囲気を纏った女性――新大司教のココマルが、静かに微笑んでいた。
「皆さん、こんばんは。今夜はあかり様に代わり、私、ココマルが皆さんの心を温めに参りました」
その声は、まるで深夜の森で鳴る銀の鈴のように清らかで、男の荒んだ鼓動を穏やかに鎮めていく。
「自分の心が、まるで真ん中にぽっかりと穴が開いた『ちくわ』のように思える夜はありませんか? どんなに言葉を尽くしても、どんなに働いても、大切な何かがその穴から零れ落ちていってしまう……。そんな、形のない虚しさに震えるあなたに、今夜はこの福音を」
ココマルは、白手袋をはめた両手で、恭しく一つのパンを掲げた。
「見てください。今夜の救済は、このパンです」
画面に映し出されたのは、ふっくらとしたコッペパンの間に、一本のちくわが豪快に挟まった総菜パンだった。一見すると不釣り合いで、どこか滑稽なその姿。だがココマルは、それを恋人を眺めるような慈愛の瞳で見つめている。
「パンの中には、ちくわが。そしてそのちくわの空洞の中には、たっぷりのツナマヨが詰められています。……聴いてください、この『密なる救済』の音を」
ココマルがパンを二つに割った。 ──ふしゅっ。 柔らかな生地が空気を吐き出す音と、ちくわの中から溢れ出す瑞々しいツナマヨの音が、高性能マイクを通じて男の鼓膜を震わせる。
「かつては空っぽで、何もなかった場所に、全く別の命が宿り、それを黄金色のパンが優しく、力強く包み込む。……一人で抱えていた空虚さは、何か素晴らしいものを受け入れるための『準備』に過ぎなかったのです。穴があるからこそ、私たちは満たされることができるのですよ」
その時、画面の外から「あはは!」という天真爛漫な笑い声が響き、あかりがフレームインしてきた。
「そうよ! ココの言う通り! 穴が開いてるなら、美味しいものを詰め込めばいいだけじゃない! ちくわパンを考えた人は本当に天才よね。海の幸と山の幸(小麦)、そしてツナマヨという愛の接着剤。バラバラだった個性が、パンという聖域の中でガッチリ握手してるんだから!」
あかりはココマルの肩に手を置き、カメラに向かって悪戯っぽく身を乗り出した。
「いい? 自分の心が空っぽだって嘆く暇があったら、そこにパンの香りを詰め込みなさい。ココが優しく教えてくれたみたいに、その『空洞』は絶望の印じゃないわ。新しい幸せをリベイクするための『可能性』なのよ! 穴があるから、ちくわパンはこんなに美味しいんだから!」
ココマルはあかりに「ココ」と呼ばれ、少し照れたように、けれど嬉そうに微笑んで頷いた。
「さあ、その空っぽの心に、今夜は一切れのパンを。……明日にはきっと、あなただけの『中身』が詰まった、素敵な一日が焼き上がりますから」
配信が終わった後、男は無意識のうちに上着を掴み、深夜のコンビニへ走っていた。 パンの棚の隅に残っていた、最後の一つのちくわパン。それを手に取ったとき、あんなに恐ろしかった心の空洞が、何かを待ち焦がれる期待感へと変わっていくのを、男は確かに感じていた。




