第39話「地下の聖域、あるいは甘美なる二次発酵」
あかりと、新たに大司教兼「パンになりたい人窓口」に就任したココマルは、共に地下の「発酵予備室(牢屋)」へと足を踏み入れました。
地下室の重い扉が開くと、そこには奇妙な光景が広がっていました。 すでにパンの軍門に降り、改心した元スパイたちは、あかりの姿を見るなり「あかり様ー!」「焼き立ての香りをー!」と熱狂的な歓声を上げます。一方で、まだ「米派」としての意地を捨てきれない抵抗勢力は、気まずそうに壁を向き、目を逸らしていました。
あかりは一人一人の様子を、オーブンの焼け具合を確認するかのような慈母の瞳で見渡しました。
「……あら、あなた。いい発酵具合ね。全身からイースト菌様への愛が溢れ出しているわ」
あかりが指差したのは、トングを肌身離さず抱きしめていた一人の男でした。 「はい! あかり様! 私、もう米を研いでいた頃の自分には戻れません!」
「素晴らしいわ。あなたはこの『予備室』を卒業ね。今日から地上のベーカリーで、新しい人生を焼き上げなさい」
卒業を許された者たちが歓喜の涙を流しながら連れ出されていく一方で、あかりは壁際で震える抵抗勢力の方を向き、いたずらっぽく、けれど冷徹に微笑みました。
「……まだ『芯』が残っている子たちは、もう少し頑張りが必要かしら? 焦らなくていいわ。じっくり低温熟成して、中までふっくらするのを待っているから」
あかりが冷たく突き放すような言葉を投げかける中、隣にいたココマルが、そっと抵抗する男たちの前に膝をつきました。その手には、差し入れのチーズクリームメロンパンが握られています。
「……そんなに強がらなくても大丈夫ですよ」
ココマルの妖精のような、透き通った声が地下室に響きました。 「このメロンパンを見て。外側はカリッと固いけれど、勇気を出して一歩踏み込めば、中はこんなに優しくて甘いチーズクリームが詰まっているの。あなたの心も、今はまだ固い殻に包まれているだけ……そうでしょう?」
「……っ、そんな優しい声で言われたって、俺たちは、米の誇りが……!」
「いいのよ。無理に捨てようとしなくて。ただ、少しだけ『発酵』に身を委ねてみて」
ココマルがそっとパンを差し出すと、目を逸らしていた男たちの肩が微かに震え始めました。あかりの圧倒的な光と、ココマルの染み渡るような慈愛の雨。二人の大司教による「飴と鞭」ならぬ「パンとパン」の攻勢に、地下室の「芯」は、とろけるチーズのように少しずつ、けれど確実に解け始めていました。
「ふふ、ココ。あなたの窓口業務は、思っていた以上に効果的みたいね」
あかりは満足げに頷き、聖なるトングをカチリと鳴らしました。




