第12話「黄金の揺りかご、背徳の柔肌(やわはだ)」
「……やっと、寝た」
深夜二時。ようやく泣き止んだ我が子をベビーベッドに横たえ、私は抜け殻のようにリビングのソファへ倒れ込んだ。一日中、張り詰めていた神経。誰にも頼れない孤独な育児。鏡に映る自分の顔は、疲れ果て、余裕を失っているように見えた。
何か、自分を優しく包み込んでくれるものが欲しい。
音を立てないようにイヤホンを装着し、スマホで「あかり」の配信を開く。画面の中の彼女は、とろけそうなほど穏やかな笑みを浮かべていた。彼女の両手に収まっているのは、グローブのような形をした、ぽってりと重そうな**『クリームパン』**だ。
「皆さん。世界には抗えない『優しさ』があります。それは、すべてを許し、甘やかし、骨抜きにしてしまう……。今夜の救済は、この黄金の宝石箱です」
あかりがクリームパンを、指先で優しく押し込む。 ──ぷにゅん、しっとり……。 画面越しでもわかる、生地の柔らかさと、その内側に秘められた重量感。
「見てください、この表面。焼き色は淡く、赤子の肌のように繊細です。そして、その中には……」
あかりがパンを、ゆっくりと二つに割った。 溢れ出してきたのは、ぽってりと濃厚な、濁りのない黄金色のカスタードクリームだ。
「……っ、溢れる! 聴いてください、この『満たされる』音を」
彼女が溢れそうなクリームを、こぼさぬように吸い込むように頬張った。 ──はふっ、とろり……。 マイクが拾ったのは、薄いパン生地が溶け、濃厚なクリームが口内を支配していく官能的な音。
「……最高です。卵のコクとミルクの甘みが、小麦の香りと溶け合って、一つの温かな揺りかごになる。しっかり噛んで力を出す米の強さとは対極にある、この『柔らかさ』。立ち止まりたい時、ただ癒やされたい時、パンはこうしてあなたを甘やかしてくれるんです。……さあ、あなたも。この黄金の海に身を委ねてみませんか?」
あかりが歌い始めたのは、母の守り歌のように優しく、すべてを肯定する調べ。張り詰めていた私の心の糸が、その歌声でゆっくりと緩んでいくのがわかった。
翌日の昼下がり。子供が昼寝をした隙に、私はキッチンに隠しておいたクリームパンを袋から出した。 手に持つと、ずっしりと重い。まるで、小さな命を抱いている時のような、温かな重み。
一口、それを頬張る。 舌の上でクリームが体温に溶け、喉を滑り落ちていく。
「……おいしい」
気づけば、涙がひとしずく、パンの上にこぼれた。 いつもは子供を守るために強くあろうと必死だけれど、今は、この甘さに守られてもいいんだ。 黄金色のカスタードが、疲れきっていた私の心を、しっとりと潤していく。
あかりの歌声を脳裏に再生しながら、私は最後の一口まで大切に味わった。 明日もまた、この優しさを胸に、私はお母さんを頑張れる。




