【見習いサンタの業務日記】─「千年を超える戦記:何故トナカイで、馬ではダメなのか?」─マユとカナトは空を見上げる─
業務報告を書きながら、私はふと空を見上げた。
今年も無事、プレゼントは届いている。
理由は分からない。
――でも、多分、あの二頭が走り続けているからだ。
速くて、無茶で、どうしようもなく暑苦しい。
それでも。
世界は、ああいう”馬鹿な本気”に救われているのかもしれない。
《──聖夜を終えた、その日、空は異様に澄んでいた。──》
澄みすぎて、筋肉の輪郭まで見えそうなほどに。
その北の大地に、二つの影が向かい合っていた。
ルドルフの同士たちは次々と弾き飛ばされた。
「……貴様が、赤鼻の飛ぶ鹿か」
一方は、雪煙の向こうから現れた影──地を裂く馬。
その馬は、最初から別格だった。
四肢は柱のように太く、胸郭は城壁のように張り出し、蹄が一歩踏み出すたび、大地が悲鳴を上げる。
その名──武田左馬之介信玄丸。
名乗るだけで三拍かかる馬(漢)だ。
信玄丸は蹄を踏み鳴らした。
その衝撃だけで、積乱雲が一段沈んだ。
「そうだ。──そして貴様が、走るだけで世界を揺らす馬だな」
もう一方は、聖なる空を飛び、群れを統べる鹿。
皇帝ルドルフ。
睨み合い。
互いの筋肉、ピキッが鳴る。
「……来年の干支は――馬である」
その一言で、空気が変わった。
「干支とは、力の象徴──最早、空を駆けるのに鹿である理由はない」
静かに──だが、致命的に失礼なことを言った。
ルドルフは答えなかった。
鍛え抜かれた僧帽筋が、わずかに隆起する。
「……だったら」
一歩、大地を踏みしめる。
「証明しようじゃないか」
対決理由が最低。
干支を馬に譲るなら、それに相応しい“背中”かどうかを確かめる。
ただそれだけ。
世界の存亡?
そんなものは知らない。
筋肉と筋肉の会話
衝突。
鹿と馬が正面からぶつかった。
──衝撃で、上昇気流が爆発する。
『トナカイ飛翔論・完全考察』
【第一章:飛翔に必要な最低条件】
まず前提として、翼のない生物が空を飛ぶには、以下の要因が不可欠である。
1. 筋肉運動によって生じる膨大な熱
2. その熱で生まれる局所的上昇気流
3. 圧縮した空気を蹴り出す圧倒的脚力
4. 極寒・低酸素・連続飛行に耐える心肺機能
5. 判断を誤らない精神力と集中力
──しかし、これだけでは足りない。
最大の敵が残っている。
『空気抵抗』だ。
【第二章:空気抵抗という壁】
空を飛ぶ際、重力よりも厄介なのが空気抵抗である。
速度が上がれば上がるほど、空気抵抗は増大する。
それは身体を引き裂く見えない壁であり、筋肉を消耗させ、姿勢を乱し、精神を削る。
速度が上がれば上がるほど、抵抗は指数関数的に増大し、それは肉体を削る「壁」となって立ちはだかる。
単に筋力が強いだけでは、この壁は越えられない。
必要なのは、抵抗を受け流し、切り裂き、制御する構造だ。
この抵抗を無視した飛行は成立しない。
受け止め、分散し、制御する仕組みが必要になる。
そこで登場するのが――トナカイの角である。
【第三章:角は空を操るための器官】
トナカイの角は、単なる装飾でも、威嚇のための武器でもない。
空を飛ぶ個体にとって、それは空力制御装置だ。
左右に張り出し、枝分かれした角は、進行方向の空気を分断し、渦を生み、圧力差を作り出す。
これにより、身体全体にかかる空気抵抗を分散させ、横風や乱流による姿勢の崩れを即座に察知する。
角はそれだけでなく、上昇時・下降時の空気の流れを読み取り、身体に伝える、という複数の機能を同時に果たす。
言い換えれば、角は空気を感じ、空気を掴み、空気を操るための感覚器官である。
【第四章:なぜ馬ではいけないのか】
ここで必ず浮かぶ疑問がある。
「では、なぜ馬ではいけないのか?」
答えは明確だ。
馬の頭部は流線型ではあるが、空を割り、流れを操るための突起が存在しない。
それは地上での走行に最適化された形であり、三次元的な空気の流れを“制御”するための突起を持たない。
一方、トナカイの角は自然が生んだ可変式カナード翼とも言える。
角と筋肉は連動している。
重要なのは、角が単独で機能しているわけではない点だ。
角で受けた空気の圧力は、首、肩、背中を通じて筋肉へと伝わる。
角は舵であり、筋肉はエンジンであり、神経は制御系だ。
どれが欠けても、飛翔は成立しない。
角が空気を読む、筋肉が即座に応答する、姿勢が修正される、この循環が成立して初めて、高速・長時間飛行が可能となる。
これは決定的な差であり、飛翔可能か否かを分ける境界線だ。
──だからこそ、馬ではなく、トナカイなのだ。
【第五章:角を失った個体は飛べるのか】
結論から言えば、飛べない。
角を失うことは、推進力を失うこと以上に致命的だ。
それは、
・空気を読む感覚の喪失
・姿勢制御能力の低下
・精神的な平衡の崩壊
を意味する。
飛翔とは、肉体だけでなく「感覚の総合芸術」なのだ。
【第六章:若角と成獣の差】
若い個体の角は軽く、柔らかい。
これは短距離・低高度向けだ。
成獣になるにつれ、角は重く、複雑になる。
これは長距離・高高度・高速度に耐えるための進化である。
無数の傷が刻まれた角ほど、空を知り、風を知っている。
(※余談であるが、若いトナカイは、良い子の”きらきら”を探す役割を果たすことがあると言われている。詳しくは、別資料を参照していただきたい。)
【第七章:ルドルフ個体の特異性】
ルドルフの角が特別なのは、その形状と左右差だ。
完全な対称ではない。
わずかな歪みが、風を「予測不能」にしないための余白を生む。
完璧ではないからこそ、空に適応できる。
【最終章──結論:重さを引き受けた者だけが飛べる】
そして最後に、角にはもうひとつの意味がある。
あれほど大きく、重く、空気抵抗にもなり得る構造をそれでもなお持ち続けるという選択。
それは、「空を飛ぶ」という過酷な行為を引き受ける覚悟の表れだ。
不要なものを削ぎ落とすのではなく、必要な重さを引き受けた者だけが、空を制御できる。
《──角は覚悟の象徴でもある──》
真正面衝突。
信玄丸の突進は、嵐だった。
衝突は避けられなかった。
速度、質量、脚力――どれを取っても、常識外れ。
がっちりと組み合ったルドルフの眼が、倒れた同士たちの姿を映す。
同士たちは倒れながらも、角を空に向けている。
――行け。
――空を頼む。
その想いが、皇帝の背に集まる。
「……引き受ける!」
ルドルフの広背筋が、怒りのように隆起した。
角で風を裂き、脚で地を蹴り、魂ごと前に出る。
世界が、止まった。
次の瞬間――爆発的な上昇気流が、ルドルフの背中から噴き上がった。
筋肉が鳴る。
空気が裂ける。
凍りついていた北天の気流が、一気に持ち上げられる。
「――行くぞォォォォ!!」
ルドルフは空を蹴った。
蹴った、というより脚力で大気を殴った。
角が風を掴み、僧帽筋と広背筋が連動し、全身が一つの推進装置と化す。
皇帝ルドルフ、垂直上昇。
雲を突き破り、太陽に近づき、一瞬、世界の重さから解放される。
次の瞬間――
「――空の重みを受け止めろォォォ!!」
重力を味方につけた急降下。
全体重、全筋力、全覚悟を乗せた必殺・急降下トナカイキック。
信玄丸の胸郭に、
直撃。
轟音。
衝撃波。
雪原が円形に抉れ、地平線の向こうまで衝撃が走る。
信玄丸の巨体が、弾丸のように吹き飛んだ。
転がり、砕け、止まる。
――勝った。
誰もが、そう思った。
その瞬間だった。
「……甘い」
地の底から響く声。
信玄丸は、立ち上がった瞬間に、もうそこにいなかった。
次の刹那、信玄丸の脚が――増えた。
否。
増えたように“見えた”。
──神技・八蹄駆動発動。
一歩の中に、過去・現在・未来の脚運びが重なる。
空間が歪み、視界が追いつかない。
次に見えた時には――ルドルフの正面。
「……覚悟は、角だけじゃ足りん!」
轟音。
信玄丸の頭突き。
いや、神速で叩き込まれた蹄と首の連動衝撃。
バキィッ――!!
嫌な音が、空に響いた。
ルドルフの角が、
根元からへし折れた。
角は空を舞い、光を反射しながら、遥か彼方へ弾き飛ばされる。
「……がはっ!」
吹き飛ぶルドルフの視界が、暗転する。
角を失った瞬間、空気の流れが読めなくなる。
姿勢制御不能。
──皇帝ルドルフ、失速。
落下。
精神的支えの消失――落ちる。
その時。
「ルドルフさんッ!!」
若い声。
空へ向かって、無謀にも飛び出した影があった。
若角のトナカイ――カナト。
「無理よ! 受け止めきれないわっ!?――」
地上から、見習いサンタ・マユの悲鳴が上がる。
「カナト!! やめて!!」
その通りだった。
ルドルフの体格、落下速度、衝撃。
カナトの細い角と身体で、受け止められるはずがない。
だが――
カナトの角が、震えた。
そこに、無数の“想い”が流れ込む。
「……みんなの想いを!」
倒れた同士たちの誇り。
空を信じてきた群れの意志。
そして――
ルドルフが、ただ一頭の雌鹿に向けて抱いていた恋心と愛情。
角が、光る。
若角が、想いを送り続ける。
「受け取ってください!…ルドルフさんっ!」
カナトの脚が、空を踏ん張る。
──風の流れが変わる――
「――まだだァァァァ!!」
意識を失いかけていたルドルフが、目を見開いた。
鮮血を流す赤鼻が、熱を帯びる。
次の刹那。
上空に向けて”鼻血噴射”。
だが汚いものではない。
血管網を限界まで拡張し、魂と命を圧縮した美しく真っ赤な噴流。
赤鼻推進。
上昇気流が、血と意思で再構築される。
落下が、停止。
空が、再び掴まれる。
「……俺は……空と……仲間たちと生きるっ!!!」
ルドルフは、笑った。
北限の地に光る一筋の赤線。
「……その想いごと、穿いてくれるっ!!!」
迎え撃つは漆黒の轟流。
その直後――地に響く重音。
──雪煙が晴れた先に見えたのは、大地に横たわる信玄丸の姿だった。
「……なるほどな」
馬は、がふっと息を吐き、口角を上げる。
「飛ぶってのは……逃げることじゃねえんだな」
ルドルフも折れた角を拾い上げ、肩で息をしながら答える。
「走るってのも……地に縛られることじゃないんだな」
しばし、沈黙。
「……俺にも、その角を貸せ」
やがて震えながらも自力で立ち上がった信玄丸が言った。
──数刻後。
「どうだ……角の付け心地は……」
角を装着した信玄丸が、そこにいた。
似合うかどうかは問題ではない。
「……重いな」
付けたという事実が重要なのだ。
「……それが覚悟だ」
二頭は前脚を組み、筋肉でがっちりと握手した。
その様子を、少し離れた場所から見ている影がある。
「ねえカナト」
見習いサンタのマユが呟く。
「……あれ、友情なの?」
「うん」
カナトは真顔で答えた。
「多分」
「馬と鹿だよ?」
「馬と鹿だね」
二人は空を見上げ、同時に吹き出した。
──その日、世界は滞りなく回った。
空には鹿が、地には馬が、そして筋肉には誇りがあった。
理屈も意味もない。
だが確かにそこには、角と筋肉で結ばれた友情があった。
――暑苦しく、
――どうしようもなく、
――最高にバカバカしい友情が。
私はサンタを目指している。
だけど、世界を救うのに必要なのは、立派さだけじゃない。
信じること。
一緒に走ること。
時々、止めること。
そして、呆れながら見守る人も、きっと必要だ。
明日もきっと、鹿と馬は並んで走る。
私はため息をつきながら、それを見上げるだろう。
……でもまあ。
ちょっとだけ、嫌いじゃない。




