父と過ごした記憶
自分の記憶を織り交ぜて、エッセイを書きました。
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麻子は時折、昔家族みんなで住んでいた記憶や、家族で過ごした期間を思い出す。
その中でも父と2人で暮らした期間が今でも記憶に色濃く残っている。
麻子は父と二人暮らしだった期間がある。
それは実の母が病気で、入院していたからだ。
父は物心つく前からいつも帰ってくるのが遅く、子供ながらに小さい時から、父に対して気を遣ってしまう事を悩んで母に相談した事もある。
朝に父に「納豆食べるか?」と聞かれると、自分は食べたくないのに「うん!」と本当に食べたいという演技をしてしまう事に自分の心は気づいていてそれが気を遣うという事だという事も知らずに、母に相談していた。
その様に父は家族のために、いつも忙しくしていた。
母が一時的に入院している時、麻子が風邪を引いて、あるイメージと戦っていた。
子供の時から風邪を引くと見えるイメージがあった。重く黒いバウンドするペンで描いたぐちゃぐちゃの黒い丸のでかいものが体に入ってくる。または、頭の中が黒いペンで塗りつぶされるのだ。白くしなくては、と麻子は思う。
白くする、でもそれはまた黒く塗りつぶされてしまう。麻子にとってはその戦いは重要なもので、寝る前に特に具合が悪い時に、父の枕で寝た時に起こるものだった。
父が、寝ている麻子の背中を、トントン、とずっと優しいリズムで叩いてくれて、麻子はそれがとても嬉しかった。
その手の温もりの中には、父だけしか居ないことが申し訳ない。また、弱っている娘を見て、自分がしっかりしなくてはいけないという父の決意と、愛を感じた。
時折、父が「10分あれば弁当が作れるようになった」と入院中の母に自慢していた事を思い出す。
麻子は、朝にすごい勢いで父がお弁当をリズミカルに作る姿を見ていた。ほとんどが冷凍食品で、麻子は納得がいかず、半分冷めた目で見ていたところがある。
学校で「麻子ちゃんのお弁当茶色いね」と言われて笑われたこともある。
麻子はそれを聞いて、恥ずかしかったが本当に全てのおかずが茶色く、自分も面白くて笑ってしまいクラスメイトに不思議な顔をされたことがある。
父は父で、自分のできる事をたくさん愛を持ってしてくれていたと今は感じる。父からの愛情を受け取る期間が設けられた自分の人生は得だったな。とも思う。
関わり方は今は違うにしても、いつもピンチの時に、人生の分岐点に立った時に助けてくれた。家族のためにやってきた。
これからも、その姿勢はずっと変わらないし、私も人生に迷った時に父の姿を思い出すのだろう。だから、これからも父の愛情を受けて私は強く生きていく。
皆さんは、お父さんと過ごした記憶で心に残るものはありますか?私も父のように温かい人でありたいです。