7. 甘い香りとひらめきと
『にゃ…にゃんとか終わったにゃ…。』
「褒め続けるのって、こんなに大変なことだったんだね…初めて知ったよ。」
へとへとになり、イスにぐったりともたれかかるメアリー。その膝の上でノアもくったりしている。
ビウたんに至っては、途中でナイフをフラワーベリーに当ててしまったせいで毛並みはべたべた。体が重く感じるようで、机の上で大の字に伸びていた。
『ともかく、メアリー! これで新作のフラワークッキーに取り組めるにゃ!』
「それなんだけど…」
メアリーは作業しながら考えていたことをノアに相談する。
「フラワーベリーって処理が大変でしょ? だから商品として販売するなら1週間限定とかになっちゃうかなって。来週も収穫して処理できたら期間は伸ばせるけど…。でも、もともとはお祝いに食べるものでしょ? 何もない日に販売しても、特別感が薄れちゃうんじゃないかなって…。」
話しているうちに、メアリーはだんだんと声が落ち、視線も下へと落ちていく。
「だからね、お茶会を開くのはどうかなって思ったの。」
ぱっと顔を上げたメアリーの瞳が、夏の空のように鮮やかに輝く。
『お茶会?』
「そう! 『魔女のお茶会』! 今回のテーマがガーデニングパーティーでしょ? だからカフェスペースに大きなテーブルを置いて、フラワーベリーを中心にした軽食やスコーン、スイーツを用意してみんなに楽しんでもらうの!それで、私が紅茶を持ってみんなのティーカップに入れて回るの。紅茶は毎回フレーバーを変えて、そのたびに私の姿も紅茶のイメージに合わせて変えたら楽しいかなって!」
メアリーの弾んだ声とともに、ノアの頭の中で楽しげな光景が浮かぶ。
白いクロスをかけたテーブルに、色とりどりの花々。魔法がかったような幻想的なお菓子たち。そして、メアリーがいつもよりももっと特別な装いでお茶を振る舞う姿——。
『めっちゃいいと思うにゃ! 街の規模が大きいからこそできるし、お客さんも絶対に特別感を味わえるにゃ。』
『会場の装花はお任せください!』
「わっ、ビウたんも賛成してくれてありがとう!」
パチパチと拍手して喜ぶメアリー。しかし、ふとビウたんの様子を見て、くすりと笑った。
「でもビウたん、そのままだとビウたんが動くたびに、フラワーベリーのシロップで汚れちゃうよ?」
『あっ……たしかにです……! べたべたで動きづらくて気持ち悪いのです……!』
ビウたんは半分起き上がったまま、毛並みに絡みついたフラワーベリーの果肉を見つめ、ぴくりと体を震わせた。
『うぅ……なにかお手伝いしたい気持ちはあるのですが……! まずはお風呂に行ってきます!』
「うん、さっぱりしておいで!」
床を汚さないようにそろりそろりと、ビウたんは厨房を出ていった。
『ふふ、相変わらずまじめでだにゃあ。』
ノアが小さく笑い、メアリーもつられて笑う。
「さて、私たちはさっそく試作から始めようか!」
そう言いながらも、大皿に盛られたフラワーベリーに目を向けた瞬間、メアリーの表情が曇った。
「……それにしても、これで足りるかな?」
『ん? フラワーベリーがにゃ?』
「うん。お茶会のメインにしたいし、そうなると試作でも結構な量を消費しそうだなって。」
ノアも顔を上げて、積み上げられたベリーをじっと見つめる。
「お客さんの人数と試作でどれくらい使うかにもよるけど……足りない気がする。」
『魔女のお茶会…。すごい人が殺到しそうだにゃ。やっぱり、足りなかったらもう一回取りに行くしかないにゃ…?』
「うぅ、それだけは避けたいけど……!」
先ほどの苦労を思い出し、メアリーは肩を落とす。
「でも妥協はしたくない!とりあえず、試作を始めてみよう。使う量が予想より少なく済めば、ちょっとは楽できるかもしれないし!」
『試食ならまかせるにゃ! メアリーのレシピ、楽しみにしてるにゃ!』
「ありがとう、ノア!」
気を取り直し、ノアは必要な材料を取りに向かい、メアリーは腰を上げ、フラワーベリーの果肉を手に取る。
「せっかくお茶会を開くのだから、ジャム以外にもフィリングや生地として使えるように試してみたいな。」
フラワーベリーのみずみずしく赤い果肉を見つめながら、メアリーは考える。ナイフを入れると、ふわりと甘い花の香りが立ちのぼり、そのすぐあとに、きゅんとするようなベリーの酸味が鼻をくすぐった。
「このベリーらしい甘酸っぱさはもちろん、ふんわりと香るお花の香りを活かせるスイーツ……」
試作のために、メアリーはうっとりと目を細め、想像を膨らませ語る。
一口サイズで食べられる上品なクッキーサンド。バターたっぷりのさくほろ生地で、フラワーベリーのジャムをむぎゅっと挟めば、かじった瞬間にとろんっと甘酸っぱい果肉があふれ出す。
次は、艶やかに光るフラワーベリーのタルト。アーモンドプードルを使用した香ばしい生地に、たっぷりの果実を敷き詰めナパージュを施したら、まるで朝露をまとった宝石みたいに輝く。タルト生地に塗ったカスタードクリームが、フラワーベリーの甘酸っぱさをやさしく包み込み、一口食べればじゅわっと果汁が広がる。
そして、ふわふわのシフォンケーキ。ペイストリーだけじゃ重すぎるよね。しっとり軽やかで口に入れた瞬間にほどける生地に、フラワーベリーの味を引き立てるために生クリームとローズマリーのトッピング。すっとした爽やかさが鼻を抜け、甘みと酸味をぐっと引き立てるに違いない。
「……ふふっ、最高じゃない?」
思わず頬を押さえるメアリー。すると——
『にゃ……ごくり。』
隣から、小さく喉を鳴らす音が聞こえた。
「……ノア?」
『にゃ、にゃんでもないにゃ!』
あわてて顔をそむけるが、口元には明らかによだれが……。
「ふふっ、そんなにおいしそうだった?」
『……にゃ、にゃんでもないってば!!』
ぷいっとそっぽを向くノアに、メアリーはくすくすと笑った。
「よし、それじゃあまずはクッキーから試作開始よ!」
メアリーは、フラワーベリーをジャムにするために、必要な分だけをボウルに入れ、優しく砂糖とレモン汁をかけた。
「ほんとは、この状態で一晩おいておきたいけど、今回は試作だから、時間もないしちょっと飛ばしちゃおうかな。」
その間に冷蔵庫から取り出したクッキー生地を、手のひらでやさしく伸ばし、縁が波打ってお花の形に見える丸い型で抜いていく。鉄板に並べながら、ノアも手伝ってくれて、オーブンの温度を調整してくれる。
『そろそろ予熱OKだにゃ。』
「ありがとう、ノア!クッキー焼くのお願いしてもいい?」
『任せるにゃ!』
メアリーはボウルの中身を、鍋へと移し入れる。鍋の中で、フラワーベリーがコトコトと穏やかな音を立てながら、少しずつ柔らかくなっていく。果肉が崩れるたびに、鮮やかな色が広がり、甘酸っぱい香りがキッチンに漂ってきた。
「皮は赤と青だったけど、中は赤一色なんて不思議だよね~。あ、青い皮も一緒に煮てみたら、色が変わるかも!」
鍋をかき混ぜながら、メアリーはひとつの鍋をもう一つ取り出し、果実を半分に分けて、青い皮を追加してじっくりと煮詰めていく。その間、ジャムの香りがさらに豊かに広がり、思わず眉をひそめた。
「……あれ、もしかして匂いがちょっと強くなってきた? 火を通すと匂いが飛ぶかなと思ってたけど、逆に気をつけないと濃くなりすぎちゃいそう。」
鍋の中では、フラワーベリーがゆっくりととろけ、色が鮮やかに変わりながら、果肉が崩れていく。青い皮を入れた鍋は、少しずつ青紫色へと変わり、その色の深みが広がっていった。
「……うん、いい感じ。」メアリーはそのまま鍋を見守りながら、手を止めることなくかき混ぜ続ける。「予想が当たってよかったわ。後は…味の問題よね。」
ジャムは徐々に粘度を増し、鍋の底が見え隠れするほどにとろりとしたテクスチャーに変わっていく。果肉は完全に溶け込み、ほんの少し粒々とした食感が残るだけ。
『にゃー。クッキーの匂いも混ざって、たまらなくいい匂いがするにゃ!』
ノアが焼きあがったクッキーをオーブンから取り出すと、こんがりとした香ばしい匂いが広がり、メアリーもにっこりと微笑んだ。
「うん、もう少しでジャムも完成!」
メアリーはスプーンでジャムを一口取り、冷めた皿に少し落としてみる。冷えるとしっかりと固まることを確認して、「これでちょうどいい感じ。」と満足げに鍋を火から下ろした。
フォレストフルールの厨房には、甘くて幸せな香りが広がっていた。