囚われたエルフの救出
俺たちはゴブリンの巣の奥深くへと進んだ。
リリスは疲れているはずなのに、その目には強い決意が宿っていた。
捕らえられていた自分だけでなく、残された人々を助け出すために、一歩も引かずに前進している。
「そうだ、あなたにこれを。姿を変える指輪のマジックアイテムよ、これで人間の姿に見えるようになるわ」
「ありがとう!でもいいのか?貴重な物なんじゃ?」
「予備もあるから大丈夫よ、あなたが今一番必要な物だと思うの」
「そうか、大事に使うよ」
姿を変える指輪を使用すると魔物の肌ではなく、人間の肌になっていた。
これで怪しまれることもなくなりそうだ。
「こっちよ。ここに彼女達がいるはず…」
リリスが指さしたのは、重々しい鉄の扉だった。
そこから微かに、かすれた声やすすり泣くような音が聞こえてきた。
俺はその扉に手をかけ、一気に開け放った。
中には、囚われた人々が暗い部屋の中でうずくまっていた。
痩せ細り、怯え切った彼らは、俺たちの存在に気づいてもすぐには動かない。
助けが来たとすら理解できていないのかもしれない。
「…大丈夫だ。俺たちは君たちを助けに来たんだ」
そう声をかけたが、反応は鈍い。
俺たちがゴブリンではないとわかると、彼らは少しずつ動き始めた。
リリスが静かにその中の一人の女性に近づき、手を差し伸べる。
「安心して、もうゴブリンたちはいないわ。ここから出ましょう」
その言葉に、ようやく女性は涙を浮かべ、リリスの手を掴んだ。
他の囚われた人々も、次第に希望を取り戻し始めたようだった。
だが、その中には動けない者、衰弱しすぎて救出が間に合わない者もいる。
「リリス…」
俺は一部の人々が、もう助けられない状態であることに気づき、彼女に視線を送った。
リリスもそれに気づいていた。
彼女は辛そうな表情を浮かべながら、小さく首を振った。
「…手遅れね。でも、できる限り助けましょう」
俺は彼女の言葉に頷き、まだ動ける者たちを外に連れ出す準備を始めた。
外へ出た時、朝日がようやく顔を見せ始めていた。
助けられた数名は、疲れ切っていたが、光を見た瞬間に少しずつ表情を取り戻していった。
リリスは彼らを見つめ、静かに深呼吸をした。
「ありがとう。あなたのおかげで、少なくとも彼女らを救えたわ」
「あなたのおかげで、命は助かりましたありがとうございます」
リリスと囚われた女性達は俺に感謝の言葉をかけたが、彼女の瞳にはまだ悲しみが残っていた。
助けられなかった命もあったことが、彼女の心に重くのしかかっている。
「……救えた命もある。でも、助けられなかった者もいる。それが現実だ」
俺はそう言いながらも、自分自身に言い聞かせている気がした。この無力感が俺の胸を苦しめていた。
しかし、リリスは静かにその言葉に頷き、涙をこらえた。
「そうね…でも、これからは少しでも多くの命を救いたい。今はそれを考えなければ」
彼女の言葉に、俺も再び気を引き締めた。
過去の犠牲を忘れることはできないが、これから前に進むために、俺たちは共に戦い続けることを選んだのだ。
「救難信号を出したわ明日には来るわ、今日は野営しましょう」
「わかった、俺は何か食べ物取ってくるからここで皆を守っててくれ」
「ありがとうそうさせてもらうわ」
俺はその辺にいた兎や猪を狩り、リリスはスープを作り皆で食べた。
リリスと並んでその炎を見つめながら、俺は少しだけ肩の力を抜いていた。
リリスは焚き火の暖かさを感じながら、ふと俺に目を向けた。
「そういえば、あなたの名前をまだ聞いてなかったわね」
俺はリリスの言葉に一瞬戸惑った。
魔物としての名前はあるが、それはただの種族名だ。
自己紹介をどうしたらいいのか、考えたこともなかった。
「名前か…正直、魔物としての種族名みたいなのしかないんだよな。どう自己紹介したらいいのか、わからない」
リリスはしばらく考えた後、もう一つ質問をしてきた。
「前の名前は?人間だった頃の名前を使えばいいんじゃないかしら?」
俺はその言葉に思考を巡らせてみたが、頭の中は空白だった。名前だけが、霧の中に消えてしまったかのように思い出せない。
「いや、全然思い出せないんだ。人だった記憶はあるんだけど、名前とかはどうしても出てこない」
リリスは焚き火を見つめながら静かに頷いた。少しの間沈黙が続いたが、彼女は柔らかく微笑みながら提案してくれた。
「それなら、新しい名前を決めてみたら?あなたがこの世界で新しい人生を歩んでいるのなら、新しい名前を持つのも悪くないと思うわ」
俺はしばらく考えたが、すぐに答えが出るわけではない。
自分の名前を自分で決めるなんて、意外と難しい。
俺が悩んでいるのを見て、リリスはふと優しい笑顔を浮かべた。
「どうかしら、ゼランという名前は?古代の英雄の名前なんだけど、あなたに似合うと思うわ」
「ゼラン…」
その名前の響きを口にしてみると、不思議としっくりきた。力強く、それでいて神秘的な響きがある。
「いい名前だね。ゼランか…じゃあ、そう呼んでくれ」
リリスは満足そうに頷いた。
「ゼランね、これからよろしくね」
俺は笑みを浮かべ、焚き火を見つめながら新しい名前を口の中で何度も繰り返した。
これが、俺の新たな名前。新しい人生の一歩を踏み出すためのものだ。
「俺も聞きたいことがあるんだけど、異世界から来る人間って他にいるのか?」
「異世界からの人間ね、それは、この世界では非常に稀なことよ。私が長い人生で聞いた話の中でも、そんな事例はほとんどない…」
リリスはしばらく黙ったまま、俺の言葉を消化しようとしていた。彼女の知識と長い経験からしても、異世界転生がいかに珍しい出来事かは容易に理解できる。
「異世界から来た存在…確かに、普通の魔物とは違う理由がわかるわ。あなたの存在そのものが、この世界にとって稀有なものね」
彼女の驚きは大きかったが、その奥には興味と関心が滲んでいた。
異世界から来たという事実が、彼女の中でどのように受け止められているのかはわからないが、俺を完全に拒絶する様子はなかった。
「私はエルフとして多くの魔法や伝承を学んできたけれど、異世界から来た者の存在が本当にあるなんて、想像もしていなかった。あなたがここにいること自体が奇跡なのかもしれない…」
リリスの言葉に、俺は少し肩の力を抜いた。
彼女は異世界転生という驚くべき事実を受け入れつつ、それをどう解釈するか考えているようだった。
「確かに、俺は異世界から来たが、今はここで生きている。それが事実だ。それに、君を助けられたんだから、それでいい」
リリスは静かに頷き、その表情は徐々に落ち着きを取り戻していった。
「そうね。あなたが異世界から来たことは確かに珍しいけれど、今のあなたがここにいるという事実は変わらない。私はあなたを信じるわ」
彼女の言葉には強い決意がこもっていた。
異世界転生がいかに珍しくても、今この瞬間、俺たちが共にここにいることが重要だとリリスは考えているようだった。
「話したらすっきりしたよありがとう」
その夜は交代しながら見張りをして過ごした。




