プロローグ
遥か昔、この世界は絶望に覆われていた。
空は裂け、大地は炎に焼かれ、川は血に染まる。天と地のすべてを支配しようとする「邪神」の手が、その力を振るうたびに世界の命は消え去っていった。
邪神の存在そのものが恐怖そのものだった。しかし、それだけではなかった。彼には「四災」と呼ばれる恐るべき配下たちがいたのだ。
最初に恐れられたのは、狂乱の武神アグレオンだった。力のみを信じ、剣の振るい方に命を懸けた戦闘狂。彼が戦場に現れると、すべてが瓦礫と化した。兵士も街も、すべてがその剣に呑まれるのだ。だが、彼の瞳にはただ狂気に満ちた歓喜しか宿っていなかった。
次に、厄災の魔女カリシアが世界を蝕んだ。長い黒髪と妖艶な微笑みの背後には、異界の呪術が渦巻いていた。彼女が手を振るうたび、土地は腐り、空は毒に染まる。人々は彼女を「生きた災厄」と呼び、その名前を聞くだけで震え上がった。
三番目に恐れられたのは闇壁の巨人バルグリス。動かざる要塞として知られ、その巨体と硬い装甲は、あらゆる攻撃を跳ね返した。彼の背後に立つ軍勢は、彼の存在によって無敵と化した。誰も彼を破ることはできず、前進する者は全てその前に倒れた。
そして最後に、死の皇帝リッチエンペラー。骸骨の王冠を戴き、不死の軍勢を従える彼は、終わりのない恐怖そのものだった。その行進が止まることはなく、死者を飲み込み、不死者として復活させるその力は、まさに絶望そのものだった。
邪神と四災がもたらした地獄は、世界を三分の一も飲み込んだ。人々は逃げ惑い、祈りを捧げることさえも諦めていった。だが、その絶望の中から、一筋の光が現れた。
それは一人の勇者だった。
神々から授けられた剣と祝福を手にした彼は、散り散りになっていた人々を束ね、邪神と四災に立ち向かうための戦いを開始したのだ。
その戦いは長きにわたり、数多の犠牲を伴ったが、ついに世界は反撃の機会を得ることとなる。
狂乱の武神アグレオンは、その猛き剣を振るい続けた。しかし、勇者の神剣はその狂気を断ち切り、彼の魂を深き地の底へと封じた。
厄災の魔女カリシアは、幾重にも張り巡らされた呪術を振るったが、勇者の仲間たちの命を賭けた戦いによって、彼女の力を打ち破り、異界の檻に閉じ込めた。
闇壁の巨人バルグリスは、その動かぬ盾で勇者を阻み続けたが、大勢の犠牲を乗り越えた一撃がその巨体を崩し、永遠の沈黙へと追いやった。
死の皇帝リッチエンペラーは、不死の軍勢を従え、最後の抵抗を試みたが、勇者と仲間たちの一撃により、その骸骨の体は砕かれ、地下の深淵へと縛られた。
そして、最後の戦いが訪れた。勇者は命を削りながら、ついに邪神そのものと対峙する。
激闘の末、邪神の力を封印することに成功するが、その代償として勇者自身の命は尽き果てた。勇者の最期の言葉はこうだった。
「この封印は千年……千年後、再び邪神と四災は目覚めるだろう。その時、新たな光が現れるだろう……」
こうして、長きにわたる戦いは終わり、世界には千年の平穏が訪れた。
900年後、世界は平和を謳歌し、封印の伝説はただの昔話として大抵の人々に忘れ去られていた。
だが、後100年は持つはずの封印の地から闇が漏れ出し、各地で異変が起き始める。魔物たちは活性化し、不死者が蘇り、世界には不穏な気配が漂い始めた。
封印されたはずの地から、低く響く囁きが聞こえる。
「……我が時は、近い……」
その闇の波が静かに押し寄せる頃、遠い森の中、一匹のカマキリが目を覚ました。
それはごく普通のカマキリに見えた。緑色の体と鋭い鎌を持つ小さな昆虫。
だが、この一匹が世界を揺るがす物語の幕開けとなるとは、誰も思いもしなかった。