偃 二
バスを降り、境内を通って山道へ。もうすっかり見慣れた道だ。
十分ほど登ったところで小道に逸れる。道なき道を、記憶とコンパスを頼りに歩き続けると開けた場所に出た。中央には墓石。
懐中電灯を取り出し、石に刻まれた文字を照らした。
「墓参りとは、嬉しいねえ」
背後から声。
振り返ると、男が立っていた。大き過ぎるジャージに、切れ長の瞳。
「うわ、今朝の」
「どうも、お嬢さん。また会ったね」
男の背後には長身の女がいた。白い和服に、顔の右半分を隠す黒い仮面をかぶっている。
直感した、あの女、人間じゃない。
凛は臨戦体制をとり、遥もまた、一歩下がる。
「ぶっそうだなあ。何もしてないじゃないか」
「……なんの用?」
「人、というか式神を探しているんだけど。……どうやら君の妹さんに取りついてしまったらしくてね。返してくれない?」
「返すって……」
意味がわからない。そもそも何かを取った覚えなどないのだ。
「そもそも、あなただれですか」
「私かい? そういえば自己紹介してなかったね、そりゃ怪しまれるか……。私は堂本明仁。その墓石の下に収められていた、しがない陰陽師さ」
いっそう怪しかった。遥は警戒心を崩さない。
「んー、信じてもらえないか。そりゃそうだよな。じゃあ、堂本明仁の、遠い子孫の堂本明仁ジュニアってことにしとこう」
「……一千年前の人にしては現代風の言葉遣いね」
「いろいろ調べたからね。ナウいヤングはこういう喋り方をするんだろう?」
遥には理解できない古語が混じった。アップデートが足りなかったようだ。
堂本は若干の羞恥に顔を染めながら、ごまかすように咳払い。
「喋り方は置いておこう。君の妹、最近様子がおかしいだろう? 超人的な力を発揮したり、人の血を吸ったり。それ、うちの式神のせいなんだよ。迷惑かけたね。本来、人に取り憑くようなやつじゃないんだけど……。可愛い子がいたからほいほいついていっちゃったのかな」
あはは、と笑うが、遥は面白くもなんともない。
「まあ、あれだ。朔さえ返してもらったら君たちに用はないから。ちょっとばかし妹さんを貸して欲しい」
「殺すぞ」
「待て待て待て、そう睨むんじゃない。危害を加えるつもりはなくてだな、ちょっとした術を使うだけだ」
「術って?」
「偃の御度を使って朔を引っ張り出す。私はちょっとおでこに触るくらいだ」
遥は凛を見やる。凛は戸惑いながらも頷いた。
「変な真似したら殺すから」
「わかったわかった。……まったく、最近の子供は恐ろしいな。イザナミだってもうちょっと穏やかだったぞ」
堂本はおっかなびっくり凛に近づく。宣言通りおでこに指先を触れると、目をつぶった。背後にいる女、偃がぶるりと体を震わした。
五分ほどそうしていただろうか。
堂本はゆっくりと目を開いた。
「終わったの?」
「いや……おかしいな」
堂本はしばし考える。
「出てこない。なんでだろう?」
「知らないわよ」
遥に聞かれてもわかるはずがない。
堂本は首をひねり、「よし」とうなずく。
それから起きたことは、遥の知覚では捉えきれなかった。
気づけば妹に抱えられて十数メートル後方に下がり、先ほどまでいた場所には長い剣が突き刺さっていた。
偃は地面に刺さった剣を引き抜くと、仮面に覆われていない左目を凛へと向ける。
「おや、かわすか。苦しませるつもりはなかったのだが」
「……お優しいことね」
「私は宗教者にして特別職国家公務員。今の時代でいうところの警察や自衛隊だぞ。基本的には国民の味方なのさ」
だが、と言葉を区切る。
「切り札を奪われたとあっては、取り戻すのに手段は選べないかな」
きゅっと、凛の手に力が入る。
「お姉ちゃん」
「なに」
「善処して!」
言うや否や、偃に向かって走り出した。両手には短剣。
偃は片手で剣を構える。凛は左の剣でそれを弾きつつ斜め前に踏み込み、右の剣で相手の胴を薙いだ。
短剣が偃の脇腹を切り裂く。しかし、偃は痛みすら感じていない。短剣を掴み、凛の首を切り落とそうとする。
凛はぎょっとしながら首への攻撃をかわす。左の剣で偃の腕を殴り、後ろへ飛び退いた。
偃の脇腹からは血が出るも、すぐに止まる。
遥はそこまでの攻防を見届けると、踵を返して逃げ出した。
「おや、妹への執着も大したことないな」
堂本は首を振り、偃に目を向ける。
「朔は任せたぞ」
そして、遥のあとを追った。
姉の姿が消えた瞬間、凛の中で不安が膨らむ。
恐怖に勘が鈍り、相手の攻撃が頬を掠める。
痛い、遥がそばにいてくれれば我慢できるような痛みでも、泣きそうになる。
それでも今泣くわけにはいかない。目の前には敵がいる。
凛は涙を堪え、戦い続けた。