朔 三
なんの成果もないまま山の反対側に到着。時刻は18時。日は傾いて、鴉は巣へと帰っていく。
「帰ろっか」
凛は無表情なまま、ぼんやりと私の手を見つめていた。
言ってから気づいたが、怪物探しというならむしろ日が暮れてからが本番だろうか。
凛もそのことに思い至り、姉に視線を向ける。
「…………とりあえず、来た道戻ろうか。けどその前にちょっと休憩させて」
凛はきょとんと首を傾げる。
「そんなに、疲れた?」
「疲れたよ! 超疲れた、もう一歩も動きたくない」
「私は平気だけど」
姉より体力がないはずの凛は疑問に思うも、自分の体は変わってしまったのだと思い出す。
今は姉どころか、どんな人間よりも強い。そのせいで姉の疲労に気づいていなかった。
「……ごめん」
「いいよ。十分だけ座らせて」
遥は笑い、妹を膝にのせて木にもたれかかった。
休憩を終えると再び山道を登る。日が暮れて、懐中電灯を持ってくればよかったと後悔しながら麓を目指す。
迷わないよう、慎重に山を降り、寺に到着。
結局、何も出なかった。安堵するやら落胆するやら、境内のベンチに腰掛ける。
「なんも出なかったね」
「うん」
凛も隣に座ってきた。暖をとるように体を密着させ、遥に抱き着く。
ぎいっと、ベンチが鳴った。相当古いものらしく、二人分の体重を乗せただけで悲鳴を上げている。
向かいにあるベンチはもっとひどい。蔦が絡みつき、片側の脚が折れて傾いている。暗闇で気づくのが遅れたが、山門も朽ち果てていた。地面に目を落とせば長い草が石畳を突き破っている。
立ち上がり、周囲を見渡す。おかしい、来たときと全然違う。こんな廃墟みたいな場所じゃなかった。
「お姉ちゃん? どうしたの?」
「凛。手、離さないで」
凛は言われた通り姉にしがみつく。
異様な雰囲気の中にあって、建物だけが真新しい。来た時と同じ、いや、来た時よりもずっと。
屋根は汚れひとつなく、柱廊はぴかぴかに磨き上げられている。講堂からはゆらめく灯りが漏れ出し、人の気配がした。
凛もまた、光源に、その中に見える人影に、目を凝らしていた。
「……いる」
「住職さん、じゃないよね?」
凛はゆっくりと首を横に振った。
「あの時と同じ匂い」
「匂い?」
「うん。あの猿と、怪物と、同じ匂い」
凛は吸い込まれるように講堂へ向けて歩き出す。
ばんっと、音を立てて講堂の扉が開いた。中から着物姿の老婆が出てくる。
「迷子かい? お嬢ちゃんたち」
ひひっと笑う。唇は耳元まで裂け、目は黄色く光り、舌は黒い。
凛が、駆けた。姉の手を離し、両手の爪を刃にして、老婆に襲いかかる。
「悪い子だね」
遥の後ろから声。
遥が振り向くと、首を掴まれた。老婆とは思えない力で喉を押し潰される。
意識が失われる刹那、解放された。地面に足がつく。喉にはまだ老婆の手。しかし肩までは繋がっておらず、肘の上で引きちぎられていた。
凛が、老婆の腕を引きちぎったのだ。
老婆を蹴り飛ばす。老婆の体は宙を舞い、山門に激突した。
「お前! お姉ちゃんを!!!」
凶悪な叫び。
凛は老婆に飛び乗り、眉間に頭突きを入れた。老婆の額は割れ、目玉は飛び出す。
それでも老婆は笑っていた。凛に食われている間も、甲高い笑い声はやむことがなかった。