夜明(5)
その日の夜明けに、帝国の東方で三本の狼煙が上がった。それは帝国内では休戦、もしくは停戦の時に用いられる合図である。
大軍が現れたという報せが城に届いて直ぐに、皇帝はラインハルトを総指揮官として軍を向かわせたが、王師が国境に着くよりも先に、ロバート領にいる太皇太后の命で動いた皇弟ローレンスの軍が敵と対峙した。
四国の大軍と帝国の軍は衝突すると思われていたが、敵の総指揮を執っていた王国の軍が急遽退去したことにより、開戦することなく事は終わった。
帝国の皇帝ルヴェルグ一世は、平和同盟を反故にした北方の三国に使者を送り、此度は赦すが次はないという旨を記した直筆の書状とともに髑髏を送りつけ、北方三国の君主の背筋を凍らせたという。
事件の翌日の午、皇女の夫君であるヴァレリアンが、王国の国王ロイスチェラムと共に帝国に帰還した。
王太子フェルナンドとヴァレリアン王子の父であるロイスチェラムは、歴戦の英雄のような強面の男だった。
「──此度は愚息が赦し難い事を起こし、帝国の民を不安にさせてしまったこと、心よりお詫び申し上げます」
皇宮に到着するなり、ロイスチェラムは王冠を外して額が床に着く勢いで詫びた。
「私の首と、愚息を産んだ女一門の首だけでは足りぬでしょうが、どうか、どうか我が国の民と、ヴァレリアンの命だけはお救いください」
「……顔を上げよ、ロイスチェラム国王」
ルヴェルグの声に、ロイスチェラムはゆっくりと顔を上げる。その眼差しからは深い哀しみと、強い信念のようなものが感じられた。
「此度の件は、そちらの王太子が単独で行ったことだと分かっている。しかし、こちらは皇女が怪我を負わされ、国境付近の民には一時的とはいえ避難を強いている」
「誠に申し訳ございませんでした」
「私は謝罪を求めているわけではない」
ルヴェルグは玉座から腰を上げると、ロイスチェラムの目の前まで歩み寄った。
「貴国には、もう二度とこのようなことが起きないようにしてもらいたい。そもそも王太子は、なぜ事を起こしたのか──その動機となったことを、国から失くしてほしいのだ」
目の前に落ちる影を見て、ロイスチェラムが弾かれたように顔を上げる。
「貴方は自分の息子が何故あのような事を起こしたのか、その原因を知っているだろうか」
ロイスチェラムが軽く目を瞠る。
馬を飛ばして帝国に来たのは、謝罪と償いをする為だが、ルヴェルグはどちらも求めてこなかった。身体を痛めつけられるか、或いは辱められることも覚悟していたロイスチェラムに求められたのは、これから先のことだ。
「……ええ。あの子は私を恨み、王位に固執していましたから」
「恨まれるようなことをした覚えは? 王位を欲していた理由は?」
「どちらも分かっております。しかしこればかりは他国の者に話すわけにはゆきません。その資格があるのは、ヴァレリアンだけなのです」
ルヴェルグは一瞬驚いたように目を瞠ったが、すぐにいつもの厳しい表情へと戻し、リアンへと目を向けた。
ロイスチェラムの斜め後ろで控えていたリアンは、一体何の話をしているのかとでも言いたげに、大きく目を見開いている。
ロイスチェラムは許しを乞うように一度だけ頭を下げると、リアンへと向き直った。それを見てルヴェルグは察したのか、人払いをさせると玉座へ戻る。
「全ての事の始まりは、私の祖父の代まで遡る。私の祖父──レインズ国王は、玉座を簒奪して王となった大罪人なのだ」
「は……?」
リアンは間抜けな声を出した。そのような話は聞いたことがなければ、だから何だというふうにしか受け取れない。
この大陸にはいくつもの国があって、それぞれに歩んできた歴史がある。その中で国のため民のために愚王を倒し、王となった英雄だっていた。それとは違うのだろうか。
混乱しているリアンに、ロイスチェラムは穏やかな笑みを向けると、手放した王冠を手に取って。そしてそれをリアンの前に差し出すと、力強く頷いた。
「ヴァレリアン。そなたはレインズ国王がころした、アターレオ国王の曾孫なのだ」
建国以来続いてきた王家の直系の血を引いている、正統なる王位継承者。それがリアンだとロイスチェラムは告げると、黄金の髪に冠を乗せた。
「これまでそなたが不当な扱いを受けていながら、何もできなかった父で、すまなかった。王妃の一族は強く、国民に植え付けられたものも深い根を張り、私一人では抑えることができなかったのだ」
「………意味が、わかりません」
リアンは消え入りそうな声でそう呟くと、被せられた王冠を取り、床の上に戻した。
生まれた国には神がいて、太陽の化身と云われていたその神は黄金色の髪で。だから同じ色を持ったリアンが王家で生まれた時、人々は神が嘆いたと口にしたそうだ。
国に不幸を齎す悪魔の子だからと言われ、罵られ、蔑まれ──時には暴力だって振るわれた。
母親はころされてしまった。父親は見向きもしなかったし、腹違いの兄は人前では慈悲深い兄を演じていたが、ふたりきりになると己の気が済むまで虐めてきた。
辛い日々を過ごしてきたけれど、乳母とその家族だけは味方でいてくれ、どこに行っても恥ずかしくないように育ててくれた。
そんな十数年の日々の中で受けてきた数々の仕打ちは、“すまなかった”で済まさせることではないのだ。何十回、何百回、何千回と数えきれないくらいにリアンの心は傷つけられた。
「……結局、誰が悪かったんですか。俺じゃないんですか」
ぼそりと吐かれた声には、涙が滲んでいて。無表情に近かったリアンの顔に、深い悲しみが差した。
「私だ。私が全て悪い。国王でありながら、嘘偽りを伝える国教に怯え、国を牛耳る王妃の一族に良いようにされ、終いには責務を忘れて欲に溺れた息子の道を正すこともできなかった。全ては私の所為だ」
「だから何だって言うんですか。今まですまなかった? 謝って、それから何になるんですか? 全部なかったことにして俺に王になれとでも言うんですか?」
リアンらしくない饒舌な姿に、事を見守っていたルヴェルグは呆気にとられていた。無論ロイスチェラムも、こうしてリアンと面と向かって話すのは久しいのか──あるいはリアンが怒りを露わにするのを初めて見るのか、リアンへ伸ばされた手は宙を掻いている。




