残月(4)
──フェルナンドはクローディアを欲している。
突如起きた凶行を前に、誰もが剣を手放した時、その事実を知った。だがそれは自分だけではない。
「──直ちに王国の騎士共を捕らえよ」
ルヴェルグが声を張り上げたのと、リアンが剣を拾ったのはほぼ同時だった。クローディアがフェルナンドに連れ去られ、外へと繋がる扉が閉まると同時に、ルヴェルグが片手を挙げて合図を出したのだ。
帝国の騎士達は素早く王国の騎士の口を塞ぎ、手脚を拘束すると、鮮やかな手捌きで柱に括り付けていった。その様を静かに見つめていたルヴェルグは、自分が手放した獅子の飾りが嵌め込まれている剣を拾うと、切れ長の瞳を細める。
「これは王国からの宣戦布告と見做して良いのか? エレノス」
項垂れていたエレノスは肩をびくりと揺らし、生気のない瞳をルヴェルグへと向けた。
「…わたしは、なにも…」
「そなたはフェルナンドに何を言われ、何をしに、そのような姿でここに戻って来たのだ?」
帝国の唯一人の皇爵であり、皇帝の片腕でもあるエレノスが、この事件のきっかけを作った。理由があったとしても、許されることではないのだ。エレノスは皇帝の弟なのだから。
エレノスは暫くの間、口を閉ざしたままルヴェルグを見上げていたが、見下ろされているうちに何か思うことがあったのか、両目から涙を溢れさせた。
ルヴェルグはゆっくりとした足取りでエレノスの目の前まで行く。流れるような動きで片膝を着くと、エレノスの頬に手を添え、顔を覗き込んだ。
「……我が弟よ。どうして私に何も言わずに、行ってしまったのだ」
「っ………、あに、う…」
申し訳ありません、と嗚咽混じりに繰り返しながら、はらはらと涙を落とすエレノスを、ルヴェルグはそっと抱きしめた。
いつの間にか、こんなにも大きくなっていた。二つしか年は離れていないが、背を追い越されようと、勉学も剣術も自分より優れていようと、エレノスがルヴェルグの弟であり大切な家族であることに変わりはないのだ。
たとえ剣を向けられても、背を向けられても。何も言わずに自分の元を去られたとしても。
「──セヴィ。フェルナンドとクローディアの行方は」
ルヴェルグはエレノスを抱きしめたまま、傍に控えていた腹心のセヴィに声を掛けた。信頼する部下が既に動いている事を知っているから、ルヴェルグは今、エレノスの涙を拭うことができている。
「皇女殿下は南宮へ。精鋭部隊が控えております」
「そうか。では捕らえた王国の騎士共は牢に入れ、あちらに使者を送れ」
「かしこまりました。我が主」
素早く動き出したセヴィを見送ると、ルヴェルグはエレノスに向き直った。
エレノスはもう、泣いてはいなかった。
「……あの方に、ディアのことを聞いたのです」
ぽつりぽつりと、言葉を掬い取るようにエレノスは語っていった。
クローディアがヴァレリアンと婚姻を結んだ直後から、フェルナンドが涙ながらに語ってきた夢物語のようなことを。
「フェルナンド殿下はディアと夫婦であり、ふたりはヴァレリアン殿下に殺され、時を遡ってきた、と…」
「そのような現実味のない話を鵜呑みにするとは、そなたらしくない」
ルヴェルグと共にエレノスの話を聞いていたリアンは瞠目した。兄のことは好きではなかったが、殺意が芽生えたことはない。感情を抱くのが無駄だと思っていたからだ。
(……だから、なのか)
リアンはゆっくりと息を吐きながら、瞼を下ろした。
これまで不思議に思っていたことがあったが、今の話を聞いて答えが出てきた。
まず、兄──フェルナンドが隙あらばクローディアに接触しようとしていたのは、彼女を欲していたからだ。夢物語をまことにするために。
初めは王太子である自分ではなく、妾妃が産んだ第二王子が選ばれたことへの当て付けだと思っていたが、そうではなかったらしい。
リアンは瞼の裏で、クローディアと出逢ったばかりの頃を思い返した。城下町で偶然出逢い、建国記念の夜会で再会し、何者かに刺されて──その怪我から起き上がれるようになった頃に開かれた晩餐会の夜に、リアンが泊まっていた部屋の前でクローディアが襲われていた。
その時、フェルナンドはこう言っていたのだ。
──『クローディアと私は夫婦となる。神が定めたのだ』
それを聞いた時、ああまたか、と思っていた。口を開けば神だのお告げだの、運命などと言っている男だったから。
帝国の皇女に向かって、よくそんな馬鹿げたことが言えたものだとあの時は思っていたが──。
リアン、と。朝露のような微笑みを浮かべながら、自分の名を呼んでくれたクローディアの声が木霊する。それとともに頭に流れ込んできたのは、怯えたような目でフェルナンドを見ていたクローディアの横顔だ。
(……そうか。そういうことか)
リアンはぱっと目を開けて、剣の鞘を握る手に力を込めた。
絡まっていた糸は解けた。その一線の先にあるのは、夢に囚われている男と、運命から逃げている少女だ。
(きっと、ふたりは同じだった)
時を遡るなんて、あり得ない話だ。だがそれを前提に考えると、これまでのフェルナンドのおかしな言動や行動に納得がいく。
クローディアが運命に逆らいたいからと言って、自分を選んだことも。
「……あの方の話が真でも嘘でも、ディアへの深い想いは偽りだと思えなかったのです」
「だから騎士を引き連れたフェルナンドと共に戻ってきたのか?」
「……申し訳、ありません」
後悔に押し潰されているのか、エレノスはそれきり口を開かなくなった。今はこれ以上話すことはないのか、ルヴェルグは立ち上がると側近に指示を出し始める。
その時、扉が勢いよく開かれ、一人の兵が転がるように駆け込んできた。
「──申し上げます!西の国境にて大軍が現れ、オルシェ領軍と睨み合っているとのこと!」
「何だと?」
「領主代理のベルンハルト様、及び前当主様から、援軍の要請が!!」
「一体どこの軍だ!」
「落ち着け、ラインハルト」
声を荒げたラインハルトを、ルヴェルグは宥めるように肩に手を添える。つい先ほどまで兄の顔をして弟の話を聞いていたルヴェルグは、もう皇帝の顔つきになっていた。
ルヴェルグは流れるような動きで立ち上がると短い階段の先にある玉座に腰を下ろした。それに倣うように、騎士達は配置に着き、重臣の筆頭であるグロスター宰相も皇帝の斜め後ろに立つ。
リアンはエレノスの隣で前を見据えた。
「ラインハルト、直ちに騎士団と共にオルシェ領へ向かえ」
ルヴェルグの迅速な指示に、ラインハルトは「はっ」と短く返事をすると、騎士団長と共に駆けて行った。
「状況は?」
「はっ、敵の先頭にはオルヴィシアラの旗が。あとはマーズ、オーガスト、ベルベットの三国です」
三年前に共に平和な道を歩んでゆくと約束を交わした国々の名を聞いて、ルヴェルグの表情は険しいものになった。
「愚かだな。あれだけの死人が出たというのに、また繰り返そうとしているのか。──エレノス」
はい、と弱々しい声で返事をしたエレノスは、ふらりと立ち上がるとルヴェルグの前で跪いた。それを見下ろすルヴェルグの瞳には、深い悲しみが宿っている。
「そなたの当初の目的は、何だったのだ」
布を裁ち切るようなきっぱりとした声で、ルヴェルグは問いかける。エレノスの目は大理石の床を見つめていたが、この状況下でいつまでもそうしていられないことを悟ったのか、恐る恐る顔を上げた。
「兄上に……その座を退いていただこうと、思っていました」
思っていた。もう過去のことだと語るエレノスは、枯れた花のような表情をしていた。
「私の首を取るつもりだったのか?」
「いいえ! 命を奪うなど、私には出来ません…」
ならば何故、何も言わずに隣国に行ったのか。その理由は単純明白で、エレノスが優しい人間だからだ。そんな人間に、血を分けた家族を傷つけることなど出来やしない。
フェルナンドと共に行って、それからどのようにしてルヴェルグから王冠を奪うつもりだったのだろうか。
そう問いかけたところで──答えは出てこないだろう、と思う。
ふ、とルヴェルグは口元だけで微笑うと、長い脚を組み、頬杖をついた。
「ローレンスは何処にいる」
「あの子は王国が所有している塔の中です。危害は加えていません」
エレノスは凛と顔を上げ、きっぱりと言い放った。それを聞いて、ルヴェルグは安堵したような表情を浮かべると、剣を手に立ち上がる。
「──エレノス。私は皇帝として、この国と民を守らなければならない。引き換えに、大切なものを失うことになったとしても」
「それは…」
どういうことかと尋ねようとしたエレノスに、ルヴェルグは静かな笑みを向けた。それきり言うことはないのか、颯爽と歩き出すと、エレノスの横を通り過ぎる時に、囁きのような声でこう問いかけた。
──守りたいものはあるか、と。
次章が最終章になります…!
只今職場が人手不足の為、日々残業三昧で創作をする時間が取れず…。亀更新ですが、最後までお付き合い頂けると嬉しいです☺︎




