残月(3)
冷たい風が頬を撫でつける。引き摺られるようにして皇宮から連れ出されたクローディアは、フェルナンドの腕の上で寒さで身体を震わせた。
それに気づいたのか、フェルナンドは脚を止めて膝を折ると、着ていた上衣をクローディアに掛けてまた抱えて歩き出した。
自分をころした男の匂いと温もりに込み上がってくるものがあったが、人質となっている今、フェルナンドを刺激するわけにはいかない。
フェルナンドが何を考え、どこへ行こうとしているのかは分からないが、クローディアは黙って目を閉じた。
「着いたぞ、クローディア」
目的地に着いたのか、フェルナンドは歩みを止める。抱えていたクローディアをゆっくりと地面の上に下ろすと、その足首を縛っていたロープをナイフで切った。
自由になったクローディアは目を開け、辺りを見回した。どうやらここはクローディアの住まいである南宮のようだ。
「何故ここに…?」
フェルナンドはナイフを手にしたまま花壇を見つめていた。その先で咲き乱れているのは、色とりどりのアルメリアの花だ。
クローディアの住まいであるこの場所を、フェルナンドは知っていたのだろうか。この花が咲いていることも知っていて、クローディアを連れて来たのだろうか。
疑問には思っても、知りたいとは思えなかったクローディアが一歩、脚を動かした時。
「暫しの間、花を愛でないか」
フェルナンドは花からクローディアへと目を移すと、静かな微笑を浮かべながらそう言った。それはかつて夫だった男の、初めて見る表情だった。
──私に触れないと約束してくれるのなら。クローディアのその言葉に、フェルナンドは直ぐに頷くと、アルメリアの花壇を横目に歩き出した。
「……この花、お前が植えさせたのか?」
「いいえ。私が悪夢から目醒めた日に、ここで満開に咲いていたの」
悪夢という単語に、フェルナンドは眉を動かした。
「アルメリア、か」
春の花の名で、ふたりの間に生を受けた子供の名前。ルヴェルグが名付けた我が子を一度も抱くことなく、クローディアは逝った。
フェルナンドは花からクローディアへと目を移すと、その青い瞳を切なげに揺らした。
「……あの子はお前の生き写しだったな」
白銀色の髪と菫色の瞳を持った、玉のように美しい王子。誰もが口を揃えて、息子のことをそう言っていたのは知っていた。クローディアにそっくりだ、と。
(そんなふうに言うのなら、どうして…?)
クローディアは俯いた。まるで自分が死んだのを惜しむような口振りで、懐かしむようなことを言われたからだ。若くして命を散らせたのは、他ならぬフェルナンドの所為だというのに。
「…この腕で抱きしめてあげたかったわ。たったの一度も叶わなかったけれど」
「アルメリアに逢いたいのなら、何故私を選ばないんだ? よりにもよって、なにゆえヴァレリアンを…」
「それはあの子がその身と引き換えに、私の時を巻き戻してくれたからよ」
クローディアは右の手のひらを握りしめながら顔を上げた。震える唇を噛み締めて、フェルナンドの深い青の瞳を見る。
ずっと逃げてきたものに、やっと真正面から向き合った。それだけで涙が出そうになった。
「そんなはずはっ…」
「あの子は私に言ったわ。貴方のような人間とは、もう二度と歩むなと」
フェルナンドは前髪をくしゃりと掻き上げると、何かを抜かれたような顔で数歩後退り、煉瓦造りの花壇に躓いて尻餅をついた。暫くの間、呆然とした様子で口を閉ざしていたが、クローディアが目の前まで来ると顔を上げた。
「……会ったのか」
「ええ、夢の世界でだけれど。貴方にひとつも似ていない、愛おしい顔をした子だった」
フェルナンドはふ、と諦めたような息を漏らす。黒い手袋を嵌めている方の手を花壇に伸ばすと、風に揺られていたアルメリアの花を毟り取り、八つ当たりをするかのようにクローディアに向かって投げつけた。
だか、その花はクローディアの脚元にはらりと落ちた。
「フェルナンド」
クローディアは語りかけるように、かつて夫だった男の名を呼んだ。脚元に落ちた手折られた花を指先で掬い上げると、そのままフェルナンドの目の前まで近づいた。
王国が代々繋いできた黒い髪と青い瞳を持つ、大貴族の娘との間に生まれた正統な血筋の王太子。リアンを太陽と喩えるならば、フェルナンドは夜だ。全てを覆い隠さんとする、深い闇。
そんな男にひと時でも幸せな夢を見ようとした自分のことを恨めしく思いながら、クローディアは薔薇色の唇を開いた。
「どうして貴方は、私を殺したの?」
「───ッ!」
クローディアの問いかけに、フェルナンドは愕然と目を見開いていた。だが直ぐに我に返ったように、地面から剥がれるようにして立ち上がると、クローディアの細い肩を両手で勢いよく掴んだ。
「私は殺してなどいないっ!!」
「貴方が手配した薬を飲むようになってから、私の身体は言う事を効かなくなったわ。貴方がそう仕向けたのではないの? 」
元より病弱だったクローディアは、それが原因となり産後の肥立が悪かった。だが日を追うごとに自分の身体は自分でさえもどうにもならないほどになっていったのだ。起き上がることも、水を飲むことも、ついには瞼を開けることさえも。
「確かに私は宮廷医に薬を手配させたが、お前を殺めるためのものではない! 寧ろ私はっ…」
寧ろ自分は何だと言うのか。何を為そうとしていたのか。
目を醒ましたこの世界で再び会った日、フェルナンドは“帝国の力をもって、大陸を支配下に置く”のが夢だったのだと語っていたのに。
偽りばかりを口にし、伴侶にと望んだ女の命を散らせた男のことを、クローディアはもう信じない。
そんな気持ちで見つめていたから、伝わったのだろうか。
「………もう、いい」
何が、と聞き返す暇はなかった。
フェルナンドは気力を失ったような顔でクローディアを見据えていたが、何を思ったのか、腰に穿いていた剣を抜いてクローディアの首筋にそっと刃を当てた。
「もう一度死んで、また私と出逢ってくれ。そして今度こそ結ばれよう、クローディア」
「嫌よ!」
クローディアは間髪入れずに返すと、あろうことか、首筋に当てられている刀身を右手で掴み、フェルナンドを睨みつけた。
「なっ…」
まさかクローディアが剣を掴むとは思いもしなかったのか、フェルナンドが怯む。その隙にクローディアはフェルナンドから少し距離を取り、精一杯声を張り上げた。
「私はこんなところで死なないっ!リアンと共に、生きていくわっ…」
「よりにもよって彼奴と生きるなど、私は絶対に許さない!!」
きっと、リアンを選ぶというクローディアの言葉が、フェルナンドの導火線に火をつけたのだろう。
フェルナンドの手にあった剣が、今度こそクローディアに突きつけられる。
「オルヴィシアラ王国の王位継承者はこの私なのだ! 正統な血筋が彼奴など私は認めない!」
右の手のひらから血が流れていくのを感じながら、クローディアは瞳を瞬いた。
(──リアンが、正統な血筋?)
側室から生まれた、禁色を持って生まれた第二王子。そう聞いていたし、誰もがそう思っていることだろう。だが今のフェルナンドの言葉は、嘘しか吐かなかったその口から放たれた、ただ一つの真実のように思えた。
「よく聞け、クローディア。間もなくこの城は我が軍に包囲される。皇帝はお前と民の命と引き換えに死を選ぶだろう。そして私は白銀色の髪のお前を妻にし、偉大な王になるのだっ…!」
銀色の刀身が陽光を弾いて、禍々しい光を放つ。フェルナンドの青色の瞳はそれ以上に冷たく、残虐な光を宿していた。
もはやフェルナンドはその剣でクローディアの命を奪うことに、何の躊躇いも抱いてはいないようだ。
まるでそれが、運命だとでも言うかのように。
「─────」
勢いよく剣が振り下ろされる。もはや誰にも、この男の凶行を止めることはできないだろう。
そんな絶望が胸をよぎった、その時。
白い外套がクローディアの視界を覆い、キン、と無機質な金属音が響き渡った。
亀更新ですみません…社畜を極めてました(泣)




