残月(1)
──これが夢だと気づくのに、時間はかからなかった。
色とりどりの花が咲き乱れている庭園。その中心で、見慣れた人物が空を仰いでいる。風に吹かれ、ふわりと揺れたその髪は見事な黄金色で、兄弟の中で唯一父親から受け継がれたものだ。
幼い頃は羨んだこともあった。自分ともう一人の兄は高貴な血を引く母から生まれたのに、その兄の母はただの伯爵家の出だったから。
だけど、そんな捻くれた自分を、まるごと愛してくれた。名を呼んで、抱き上げ、頭を撫でて、優しく声をかけてくれた。いつだって後ろを振り返っては、両の手を広げて待ってくれている人だった。
だから自分は自分らしく生きようと思えたのだ。
そんな懐かしい気持ちに浸りながら、視線の先で佇んでいる兄を見つめていた時。その両腕の中に幼子がいることに気づいた。
髪は陽の色ではなく、次兄と妹によく似た白銀色で、陽を受けて煌めくと透けるような光を放っている。
(──これは、誰の記憶だ?)
間違いなく夢を見ていて、しかも自意識があるローレンスは、その不思議な光景を少し離れたところから見ているようだった。幼子を抱いている兄と、白銀色の髪の幼子。何度瞬きをしても景色は変わらないが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「──おじうえ。どうして僕には母がいないのですか」
幼子が不思議そうな声と顔で兄に問いかけている。空を見つめていた紫色の瞳はゆっくりと幼子へと注がれ、柔らかに細められた。
「そなたの母は空へ旅立ってしまったのだ」
「どうしてですか。僕よりもお空の方が良いのですか」
「そなたと一緒に居たかったが…天使に連れて行かれてしまった」
「お空には何があるのですか。どうして連れて行かれてしまったのですか。お願いすれば僕も連れて行ってもらえますか?」
子供の好奇心からか、幼子は純粋な眼差しで「どうして」と繰り返している。それを受け止めていた兄は次第に顔を曇らせていたが、自分も行きたいと乞うた幼子の言葉を聞くと、ついにその小さな体を掻き抱いた。
「ならぬ。自ら天使になることは大罪。……そなたに母はおらぬが、私がいる。エレノスもローレンスもいるから」
(───ぼ、僕もだと!?)
突然自分の名が出てきたことに驚いたローレンスは、思わず身を乗り出し、その勢いで草の茂みから転がるように彼らの前に出ることになってしまった。
今のポーズに名を付けるならば、うつ伏せバンザイだ。
(うう……僕は何をしているんだ)
夢の中でも格好良くありたいというのに、この意味深な夢はそうあらせてはくれないらしい。
兄を“おじうえ”と呼んだ幼子。ならば既に亡くなっているという、母の名は──?
「おじうえ、また隠れんぼですか?」
ぱたぱたと足音が近づいてきたかと思えば、優しい手つきで頭を触られた。辿るように顔を上げると、小さな手が差し出されている。
白銀色の髪の幼子は、大きな紫色の瞳を瞬かせていた。
◆
「────ッ!!?」
「お目覚めですか? 殿下」
目を覚ますと馬上だった。どうやらローレンスはうたた寝をしていたようだ。
「僕としたことが…」
景色は港町から一変、煉瓦造りの建物が点々とある寂しい街だ。だが道が綺麗に整備されているうえ、すれ違う荷馬車の数が桁違いに多いので、大きな町を結ぶルートなのだろう。
「到着までもう少しかかるので、寝ていても大丈夫ですよ」
「いや、もう大丈夫だ。それに…」
ローレンスは上半身を見下ろした。
身体には紐がしっかりと巻かれ、前にいるマリスの身体に括り付けられている状態だ。恐らく監禁されていたローレンスの体調を考慮し、馬の上でも眠っても大丈夫なようにしてくれたのだとは思うが…。
「どうかなさいましたか?」
「何でもない。それよりも、助けてくれてありがとう」
閉じ込められていた塔から脱出したローレンスは、助けてくれた少年──マリスと共に馬に乗っている。
ローレンスが跨っているのは愛馬のリリーだ。帝国領で襲われた時に離れ離れになっていたが、マリスを乗せてここまで連れてきてくれたという。
訊きたいことが山ほどあるローレンスは、前で手綱を握っているマリスの白銀の髪を見ながら口を開いた。
「マリス君よ。君と語り合いたいことが沢山あるのだが」
「僕もですよ。殿下」
「ではまずは一番聞きたいことから。君は何故あの場所に?」
今にも顔に触れそうな距離にあるマリスの髪は、夢の中で見た幼子とそっくりだ。だが夢は夢でしかない。あれは現実ではないし、マリスは他国の貴族の令息だ。
そうだと分かっているのに、夢で見た光景が脳裏に散らついている。
「……殿下と別れて、ある人に会って。ほんのひと時話をした後、すぐ近くで人が倒れているのを見つけたのです」
国一の規模を誇る孤児院の近くで、ローレンスはマリスと別れた。そこでローレンスは襲われ、連れ去られたわけだが、その後現場の周辺でマリスは負傷者を見つけたという。
「青い髪を束ねた方でした。細身の剣を持っていて」
「それは僕の部下のハインだな」
ハインは文官だが、剣も扱える優秀な人間だ。ローレンスが一番信頼している部下であり、長く傍で仕えてくれている。
「意識があったので、応急処置をしたのですが…。殿下が連れ去られた、今すぐ馬車を追わなければと言っていて」
「それで?」
「その怪我で何を言ってるんだろうって思ったので、城に報せに行けと言いました。代わりに僕が後を追って、あそこに侵入したというわけです」
遠い北の地から家出をし、ローレンスに引っ付いて誰かに会いに行ったかと思えば、今度は単身で隣国に乗り込むとは。
「君はお転婆なのだな…」
ローレンスの小さな呟きが聞こえていたのか、マリスは愉しそうに微笑う。
「ふふ。僕を育ててくれた伯父上が悪戯好きで、色々教えてくれたんですよ」
「たとえばどんな?」
「家庭教師から逃れて遊ぶ方法とか、鍵穴をこじ開ける方法とか、見張りの張っ倒し方とか」
嬉々としてマリスは語るが、どれも良いことではない。だがローレンスも子供の頃にやったことがあるので、何をしているんだと叱ることはできず、共に声を出して笑ってしまった。
「いけない伯父上ではないか」
「大好きな伯父上です」
貴族としてあるまじき行為だと思う。けれど、貴族の子供ならば、どれも一度は経験することだろう。その窮屈な世界から一時でも逃れるために。
「君はその伯父様を……」
ローレンスは言いかけた言葉を飲み込んだ。気になったことを訊かずにいられないのは悪い癖だ。悪気がなくとも、受け取り方によっては不快な想いをさせてしまうかもしれないから。
「何でしょう?」
「いや、何でもないよ」
「ええ、気になるじゃないですか」
マリスは戯けたように言っていたが、顔が見えない今、本当に気になっているのかどうかは分からなかった。
(……なぜだろうか)
マリスは伯父のことを大好きだと言っていた。育ててくれた、と。ならば両親とは関係が悪いのだろうか。家族同然の伯父を置いて、たった一人でここまで来たのだろうか。
気になることは沢山あったが、ローレンスは一つも口にすることなく、目の前で揺れる銀髪を見ていた。




