烏兎(5)
ローレンスは必死に頭を働かせ、記憶を巡らせる。
シーピンク家の子息であるマリスを助け、別れた後──一度城に戻ろうとハインと話している時に、事件は起こった。
帝国で一番大きい孤児院が目の前で爆発したかと思えば、背後から複数人の男に羽交締めにされ、馬車に押し込まれたのである。
当然部下であるハインは主を助けるために剣を抜いていたが、傍にはローレンスの愛する馬のリリーが居た。だから自分に構わず逃げよと命令し、意識を失って──今に至るのだろう。
その首謀者が目の前にいる人でなければいいと、思う。
「兄上よ。いくつか質問をしても構わないかね?」
「勿論良いとも」
「では一つ目。僕をここに連れてくるよう命じたのは、兄上か?」
エレノスは頷いた。
「では二つ目だ。ここは帝国か?」
「いいや、違うよ。ここは私の同志の国だ」
「……三つ目。兄上の同志というのは?」
その質問にエレノスは答えなかった。だが答えは見えている。黒一色というエレノスの服装が語っている。
ローレンスはゆっくりと息を吸って、吐くと、目を閉ざした。
「……なるほど、理解したよ。兄上は我ら家族を捨てたのだね?」
「その逆だよ、ローレンス。私は悪しき者から妹を守るために、ここに来たんだ。君を連れてきたのは、遠ざけるためだよ」
「何から僕を……」
言いかけて、ローレンスは口を噤んだ。目を開いた先に飛び込んできたものが、あまりに美しくて──言葉を失ったのだ。
「──このままでは、クローディアが殺されてしまう。だから私は、兄上に皇位を退いていただこうと思ってね」
「なッ──!!」
「ふふ、意外かい? 私が皇帝になろうとしているのは」
「当たり前だ! 皇位簒奪を目論むなどっ…兄上らしくもない!!」
戸惑いに揺れるローレンスの瞳を絡め取るように、エレノスが間近で顔を覗き込む。
「らしくない、とは? 君は私という人間を、どこまで知っているんだい?」
いつも通りの美しい笑顔で。優しい声音で、エレノスは言う。
「あ、兄上は……いつも優しくて、家族想いで、努力家で、何でも出来てしまう素晴らしい方で…」
「………だから?」
「だから、兄上は家族を……クローディアを悲しませるようなことは、絶対にしないだろう?」
縋るように、祈るようにローレンスは声を絞り出したが、エレノスは何も言わなかった。静かな眼差しでローレンスを一瞥すると、背を向けたまま口を開く。
「かつて私たちの父は、私にこう言った。皇帝という座は、何かを成し得る為の手段だと。守りたいものは両手以上にあるか、と」
「……それで、兄上は?」
「ないと言ったよ。私の大切なものは、ずっと、ひとつだけだったから」
エレノスはそう冷たく言い放つと、静かに部屋を出て行った。無論鍵をかけて。
◇
狭く薄暗い部屋にひとり残されたローレンスは、しばらくの間考え事をしていたが、烏の鳴き声が聞こえてきた頃に顔を上げた。尻と踵を引き摺るように動かして、窓辺へと身体を寄せる。そうして壁を使って立ち上がってみせると、窓の外を覗き込んだ。
橙色の空の下には、一面の海原が広がっている。そこに浮かんでいる船の旗は全て黒く、白い輪が逆さの三角形のような位置で三つ描かれている。周辺の建物は全て低い塔のような見た目で、四つ足のように建つ柱の中央には階段があった。
どうやらここは、オルヴィシアラ王国のようだ。
「………はて、どうやって帰るか」
ローレンスはずるずるとその場でしゃがみ込んだ。
自分は今、他国で監禁されている。それも実の兄の手によって。兄を止めなければならないが、まずはこの部屋から出なければならない。
武器も何もない今、どうしたものかと思ったその時──カチャカチャと鍵穴に何かを差し込む音が鳴ったかと思えば、静かにドアが開いた。
現れた人物を見て、ローレンスは今度こそ声を失った。
「──遅くなってしまい、申し訳ありません」
吹き込んだ風で、白い外套がふわりと靡く。夕陽を受けると黄金色に煌めいて見えたのは、白銀色の髪だ。ローレンスは口元を緩めた。
「聞きたいことが山ほどあるのだが、後で聞いてもいいかね」
「いくらでもどうぞ。でもその前に、僕に恩返しをさせてくださいね」
そう言って、迷いのない足取りでローレンスの元まで来ると、その人は慣れた手つきでロープを切っていった。




