烏兎(3)
夜が明けた頃、二人はオルシェ公爵領の騎士に発見され、公爵家の本邸で保護された。ラインハルトからの早馬で二人のことを知ったベルンハルトが、先代当主であった祖父に相談を持ちかけ、祖父の助言で川岸を中心に捜索していたら見事に的中したという。
「──ごめんね、ちゃんと身体も休めていないのに」
二人は今、本邸の回廊をベルンハルトと歩いている。入浴と軽食を取った二人は、祖父が待つ部屋に案内されていた。
「気にしないで。私もお祖父様に会いたかったから」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
ベルンハルトはふんわりと笑う。そして一際大きな扉の部屋の前で足を止めると、一呼吸してからドアを叩いた。この先で待つ祖父は、共に住んでいるはずのベルンハルトでさえ緊張するほどの人物なのだろうか。
祖父とほとんど言葉を交わしたことがなかったクローディアは、大きく息を吸って、祖父からの返答を待った。
「──入りなさい」
記憶にない祖父の声は、深く温かみのある、穏やかなものだった。開かれた扉の先には、気品のあるスーツを着ている長身の男性が立っている。その長い白髪は後ろで束ねられ、瞳の色は濃いグレイだ。
「よく来たね、クローディア」
──セリエス・オルシェ。
クローディアの母、ソフィア皇妃の父親である祖父は、ラインハルトよりもエレノスに似ている優しげな面立ちの男性だった。
「……おじいさま…」
祖父・セリエスはゆっくりとした足取りで歩み寄ってくると、クローディアの頭を撫でた。懐かしむような眼差しでクローディアを上から下まで見ると、にっこりと笑う。
「大きくなったね。…あの子によく似ている」
あの子というのは、きっと母のことだろう。ソフィア皇妃のことを知る人は皆、クローディアと会うと同じことを言っていたから。
「私がお前と会ったのは、生まれた時と、ルキウス陛下が亡くなられた時だけでね。長く病を患っていて、結婚式に参加することができなかった」
「…そうだったのですね。お会いできて嬉しいです、お祖父様」
セリエスは頷くと、溢れんばかりの笑みを浮かべたまま、クローディアからリアンへと目を向けた。
リアンは緊張しているのか、強張った顔をしている。ぎこちない動きで深々と敬礼をすると、凛とした顔でセリエスを見つめていた。
本来ならば、リアンが首を垂れる必要はない。帝国の皇族であるリアンと、公爵家の人間であるセリエスとでは身分が違うのだから。
だが、この通された部屋にはとある物が飾られていた。そのことに気づいたリアンは、息をするように礼を尽くしていたのだ。
「お初にお目にかかります、セリエス様」
「……ヴァレリアン殿下、ですね?」
リアンが頷くと、セリエスは目元を綻ばせた。
「……お国の海のような、綺麗な目をしていらっしゃる」
セリエスは自身が公爵家の当主を務めていた頃、隣り合っていたオルヴィシアラの領主と懇意にしていたという。美しい灯台がある港町が好きだったと語ると、クローディアとリアンを椅子に案内してくれた。
「導の灯台は私も好きです。よくあの上から遠くを見ていました」
「美しい国ですからね、オルヴィシアラは。……エレノスが惹かれるのも無理はない」
最後の一言で、部屋の中の空気が静まり返った。リアンは口を開けたまま固まり、その隣にいるクローディアは俯いた。まさか兄の名前が出るとは思わなかったのだ。それも、不穏な空気を纏って。
「……お祖父様。エレノス様は滞在されるだけなのですよね? フェルナンド殿下とは仲が良いと聞きましたし」
「皇帝の不在時にその全ての権限を持つ地位にある皇爵が、たかが一国の王太子に招かれ他国に行くなど言語道断だ」
「でも、仲が良いんですよ? 私邸に招いていたそうなのですから」
「甘いな、ベルンハルト」
セリエスの瞳に鋭い光が宿る。その目に射抜かれたベルンハルトは言葉を失ったのか、ごくりと喉を鳴らしていた。
「国家間に友情など存在しない。それを誰よりも解っているはずの皇爵が、何の利益もない国に滞在するのだ。私が何を言いたいのか分かるか?」
争いごとを嫌い、芸術を愛する穏やかな人物として知られていた、先代のオルシェ公──それがセリエスだ。だが、リアンは彼が大戦の時代と云われたアドレス皇帝の治世では、皇帝の剣として戦地を駆けていたのを知っている。
「お祖父様、それじゃあまるで、エレノス様は帝国を…」
「ほぼ間違いないだろう。二人が居た孤児院が爆破され、ローレンス殿下が連れ去られたのだからね」
あまりに簡潔な、きっぱりとした言葉に、クローディアは何を言われたのかわからなかった。口を開けたまま呆ける三人に、セリエスは固い声で告げる。
「皇位簒奪を目論んでいるのは確かだ。──自分の意志で」
「うそよっ…」
クローディアは勢いよく立ち上がり、厳しい顔をしているセリエスを見つめた。泣きそうになるのを必死でこらえ、震える手でドレスの裾を握りしめる。
「嘘よ! お兄様は私を置いて行ったりしないわっ…!」
「クローディア」
「言ったものっ…。お兄様は、ずっと愛しているって……」
生まれた時からずっと傍にいて、慈しみ、惜しみない愛を注いでくれたあの優しい兄が、家族を捨てるなんて絶対にあり得ない。それを身を以て知っているクローディアは、兄が家族に背こうとしているなんて信じられなかった。
「……私だって、信じたくはない。だがね、そう思われても仕方のないことをしたのだ。現にあの子は隣国に行っていて、ローレンス殿下はこの近くで襲われた。現場にあったのはオルヴィシアラの矢だ」
オルヴィシアラへ行くには、必ずオルシェ公爵領を通らなければ行けない。
「………うそ。エレノスおにいさまは、そんなこと…」
「あの子の優しさは、私も知っているよ。だがね…」
その言葉の続きをセリエスは発さなかった。クローディアの隣にいたリアンが、首を横に振って拒絶の意を示したからだ。
セリエスはゆっくりと息を吐くと、ベルンハルトを連れて部屋を出て行った。




