烏兎(2)
寒さを感じて、クローディアは目を覚ました。
ぼんやりとする視界の中心には焚火があった。組み置かれた枝の上の火がぱちぱちと弾け、そこにまた枝や葉を追加していたのはリアンで、クローディアが目を覚ましたことに気づくと、美しい青色の瞳を大きく見開く。
「ディアッ…」
返事の代わりに頷くと、リアンは横たわっていたクローディアを抱き起こし、確かめるように抱きしめてきた。クローディアの名を呼ぶ声は濡れ、肩は小刻みに震えている。
リアンは置いて行かれたこどものような顔をしていた。はらはらと涙をこぼしながら、名を呼んでは頬に触れ、生きているのを確かめるような動作を繰り返している。
何度もそうされているうちに、次第に胸の辺りが温かくなっていくのを感じたクローディアは、ゆっくりと息を吐くとリアンの手を借りて身体を起こした。
「……ここは?」
「たまたまあった洞窟みたいなものかな。二人ともびしょ濡れだったから、とりあえず暖をと思って」
そう言って、クローディアの体調を気遣ってきたリアンは、上半身に何も纏っていなかった。俗に言う半裸というものを間近で見たクローディアは、思わず後退りそうになったが、すぐ後ろには岩の壁があり。
狭いうえ、近い。そんな空間に、リアンと二人きり。そのうえ自分が下着姿であることに気づいてしまったクローディアは、膝を丸めて手で顔を覆った。
「どうして私……こんな格好なの?」
「どうしてって、川に飛び込むのに邪魔だったから、脱がしただけだけど」
水を吸った衣服は錘になって、泳ぐ時の妨げになる。ドレスを着て水に入っていたら、大変なことになっていたとリアンは苦笑すると、クローディアの濡れた髪を撫でた。
それからリアンはここに辿り着くまで何があったのかを話していった。
燃え盛る建物から子供を救出した二人は、脱出するためにテラスから川に飛び込んだ。その時のクローディアは煙のせいで意識が朦朧としていたので、服を脱がされたことを覚えていないようだ。
荒れる川に流されつつも何とか岸へ上がったリアンは、近くにあったこの岩穴にクローディアを運び込んだという。
「寒い中そんな格好で居させてごめん。夜が明けたら、近くに人がいないか捜してくるから、もう少しだけ頑張って」
リアンは目線のやり場に困ったのか、少し気恥ずかしそうに目を逸らす。
「俺が履いてたズボンを乾かして、着せるか迷ったんだけど……そっちの方が困るから」
「風邪を引いたら困るものね」
「そうなんだけど、そうじゃないというか、いやそうなんだけど…うーん…」
リアンはぶつぶつと何かを呟きながら頭を掻いた。よく分からないクローディアは、両腕と両脚で身体を隠すように座りながら、こてんと首を傾げた。
それからしばらくの間、リアンは何かと奮闘している様子だったが、クローディアのくしゃみを聞いてハッと気を取り直した。慌てた様子で集めていた枝を惜しげもなく火に焚べると、クローディアに沢山の大きな葉を差し出す。
「今からそれくらいのやつを取ってくるから、これでも被ってて」
「被るって、これを?」
「他に何を被るのさ。ほら、早く」
何がなんなのか分からないクローディアは、ひたすらに瞬きを繰り返した。葉をどうやって被れというのか。自分を残してリアンはどこへ行こうとしているのか。
「……ディア。状況、分かってる?」
「ええ。こんな格好で、寒いわね」
「だからその葉っぱを衣服代わりにしろって言ってるんだけど」
どうやって? と首を傾げるクローディアを、リアンは呆れることも怒ることもしなかった。クローディアは温室で大切に育てられたお姫様なのだ。リアンとは違う。
「……ちょっとだけごめん」
リアンは一言謝ると、クローディアの髪を後ろに流した。そうして葉を肩や胸元、膝に掛けていくと、ほっとしたように息を吐いた。葉っぱを纏った人形のようで、見た目は不恰好だが、濡れた髪と下着姿でいるよりかは少しはマシだろう。
暖をとるためか、リアンはクローディアの真横にぴたりとくっつくように座ると、ゆらめく火を見つめながら口を開いた。
「たぶんここはオルシェ公爵領だと思う。帝都とオルシェ公爵領の境目になってるリュミール川に飛び込んで、城とは真逆の岸に上がったから」
リュミール川は帝国一大きな川だ。首都の隣にあるオルシェ公爵領との境目で、オルシェ公爵領の向こうにはオルヴィシアラ王国がある。
叔父であるラインハルトは政務の為、帝都にある別邸で生活をしている。公爵領にある本邸を預かっているのは、次期当主であるベルンハルトと祖父母だろう。
「夜が明けたら、人を捜しに行こうと思う」
「…葉っぱ姿の私を置いて?」
「………葉っぱ姿にしたのはごめんだけど」
リアンはくすっと笑うと、クローディアの頬に手を添えた。その指先は熱く、触れられたところから溶けてしまいそうだ。
「リ、リアン……?」
美しい青い瞳が、未だかつてないほど近くにある。吐息がかかりそうな距離に、クローディアの心臓は忙しなく動き出した。
「……こんな時に言うのは、どうかと思ったんだけど」
リアンの指先は頬から首筋、肩へとゆっくりとなぞるように動くと、背で止まった。そうしておでこを合わせる。今度こそ息がかかる距離に、クローディアは口をぱくぱくとさせ、顔を真っ赤に染めた。
「──俺にも、ディアの痛みを分けて」
「リア──」
「嬉しい時も、悲しい時も、この命ある限り尽くさせて」
リアンはもう片方の手でクローディアの耳を撫でた。鼓動のひとつひとつすら、愛おしむように。
「傍にいさせて」
その一言は、この上なく切なく奏でられた。
菫色の瞳から、大粒の涙が玉のように頬を転がり落ちる。降り出した雨のように止まらないそれを、リアンは指先で優しく拭うと、クローディアの身体をぎゅうっと抱きしめた。
「……最初は、知りたいなんていう烏滸がましい気持ち、なかったんだよ」
「………、…っ」
「ディアと出逢う前の俺は、いつ殺されるのか…いつまで生きられるのか、分からなかった。だから、ディアとお城で会って、庇って怪我をした時……やっと死ねるって思った」
オルヴィシアラ王国の国教。それらが神と呼ぶ者の髪色を持って生まれたがために、酷い扱いを受けてきたというリアン。フェルナンドの気まぐれで連れて行かれたアウストリア帝国で、ふたりはまた出逢った。
「だけど、アイツがディアに近づくのを見た時……気づいたら身体が勝手に動いてて」
はらりと、肌を隠していた葉が下に落ちる。
「悲しそうな顔ばかりしてると思ったら、笑ったり、また泣きそうな顔したり…なんか目が離せなくなって」
優しい声音に、クローディアの中の何かが溶かされていくような気がした。それは二度目の人生を歩き出した時から、今日までずっと胸の奥深くにこびりついていたものだ。
「ディアが心から愛する人に出逢えるまで、そばにいるって約束したけど」
リアンの声が濡れていることに気づいた時には、もう遅く。抱きしめていた腕はほどかれ、その両手は泣きじゃくるクローディアの両頬に添えられて。
「誰にも譲りたくないから、俺を選んで。クローディア」
その一言で、クローディアの嗚咽は止まらないものになった。
こんなに泣いたことなど、生まれてから一度もないだろう。何不自由のない世界で生まれ、家族にこの上なく愛され、とても大切にされて。辛くて悲しい記憶も片隅にあるけれど、それを包み込んでくれた温かい人に出逢えた。
クローディアは目元を乱暴に拭うと、今日も綺麗な青色の瞳を見つめて、目一杯笑った。
「あなたと一緒に、生きたいわ」
これからもずっと。自分に触れるのは、リアンだけがいい。そんな想いを込めて、リアンと同じように両手で頬に触れてみれば。
夜空よりも淡く、真昼の空よりも濃い──美しい色の瞳が揺らめき、無色透明な雫をこぼした。
「もう一度、約束をしよう」
クローディアの耳元に、リアンの唇が寄せられる。吐息とともに囁かれたのは、共に金色の麦畑を見た日に交わしたものとは、また別のもので。それはとてもやさしくて、あまい響きを持った言の葉だった。




