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烏兎(1)


何もかもが、呑み込まれていく。生まれて初めて入った水の中は途轍もなく冷たく、深く、クローディアという存在の全てを引き摺り込んでゆくようだった。


縮まっていく視界で、黄金色が輝いている。お日様のようなそれは大好きな兄と同じ色の髪で、いつか触って弄ることができたのなら、どんな風に結こうかと悪戯なことを考えたものだ。


「────」


誰かが、クローディアの名を呼んでいる。その声はどこかで聞いたことがあるような気がした。


「───、────」


何度も呼ばれているうちに、自分のせいで母が死んだと知った日に、祖母が教えてくれた名前の意味を思い出した。


──『夜明けに生まれたあなたは、美しい花のようだったのよ』


誰が呼んでいるのだろう。必死にその名を呼ぶ存在を確かめるために、重い瞼をこじ開ければ。


「──目を覚まして。クローディア」


そこには、まだ見ぬ海の色の瞳から涙を溢れさせている、リアンの姿があった。





───アウストリア皇城。それは、帝国の中心である大都市・帝都シヴァリースの中央に聳える巨大な城だ。歴代皇帝が政務を執り行ってきた場所である皇宮に、ある凶報が届いた。


「──クローディアとヴァレリアン殿下が行方不明だと!? 一体何事だ!」


容姿端麗、頭脳明晰、沈着冷静。誇りと威厳に満ちており、自己にも他者にも同様に厳しいことで知られている帝国の皇帝・ルヴェルグ一世は、南宮の騎士からの報告を受け、声を荒げた。


その隣に皇帝の右腕であるエレノスの姿はない。もう一人の弟であるローレンスの姿もなく、執務室では皇帝と宰相とラインハルトの三人が話し合いをしているところだった。


剣を立て、片膝を着いて首を垂れている騎士は声を上げる。


「申し上げます。ヴァレリアン殿下が孤児院を訪問中に、皇女殿下も合流され、それからすぐのことでした。突然孤児院が爆発し、お二人は建物の中にいた子供を救出され、そのまま戻らずっ…!」


「何故二人を行かせたのだ!」


「仰る通りでございますっ…申し訳ございません…」


ルヴェルグは大きく息を吐くと、机の下で足を組んだ。

ヴァレリアンが孤児院を訪問するのはよくあることで、行き先は日々事前に報告を受けている。


だが今朝は大雨が降っていたので、予定を中止していると思っていたのに、皇女夫妻の住まいを訪れたらヴァレリアンは不在だった。


そして、ヴァレリアンの行き先で、爆発が起きた。そこには数時間前に会ったばかりのクローディアも来ていた。こんな不運な事故が起きるとは。


二人の身を案じると同時に、突然起きた事故について考えるルヴェルグの斜め後ろで控えていたラインハルトは、険しい表情で口を開く。


「……陛下。急ぎ捜索隊を編成し、向かわせましょう」


「ああ、そうしてくれ。被害の状況は?」


「孤児院の者は怪我人が二十名ほど、死者はおりません。半数以上が外に出ていたのが不幸中の幸いでした」


ルヴェルグはまた息を吐くと、指先で机を弾いた。

今朝の雨が嘘だったかのようによく晴れたから、子供たちは遊びに出たのだろう。孤児院の人間が全員無事であったことは吉報だが、家族の安否が分からない今は喜ぶことができなかった。


そこへ、扉の向こうから慌ただしい足音が聞こえたかと思えば、勢いよく扉が開かれた。


「──陛下、ご無礼をッ!」


転がり込むように執務室に現れたのは、ローレンスの側近であるハインだった。急いで来たのか、髪も服装も息も乱れている。


「ハイン卿。何事だ?」


ルヴェルグはハインに駆け寄ると、その肩に触れた。ローレンスの身にも何か起きたのか、ハインの身体は震えている。


「も、申し上げます…」


「早く申せ。何があった?」


「ロ、ローレンス殿下がっ……」


「ローレンスがどうしたと言うのだ!」


ハインはくしゃりと顔を歪める。それを隠すように顔を俯かせると、絞り出すような声で言った。


「ローレンス殿下が、何者かに連れ去られました…」


「───ッ!!」


今度こそルヴェルグは息の仕方を忘れ、ヴァイオレットの瞳を大きく見開いた。


次々と舞い込む予期せぬ悪い報せに、ひとつも動じない皇帝などいない。だがそのようにしてみせるのが皇帝というものだと教えたのは、ルヴェルグの師であり現宰相でもあるウィルダン=グロスターだった。


「──陛下。大至急エレノス閣下を呼び戻されては?」


ウィルダンは指先で眼鏡を押し上げると、表情一つ変えずに冷静な声音で助言をした。こんな時も変わらない師の声に、ルヴェルグの中の何かが灯る。


ルヴェルグはふらりと立ち上がると、いつもの凛とした表情で室内にいる面々を見渡し、口を開いた。


「ラインハルト、至急オルヴィシアラへ連絡を」


「かしこまりました」


「護衛よ、副騎士団長に各関所に伝令を送り、検問を行えと伝えよ」


「はっ!」


「ハイン卿は第二騎士団を連れ、先にローレンスの捜索を。宰相はマルセルをここへ、その後は謁見の間で待機せよ。私は騎士団長を連れ、後ほど下で合流する」


「御意、我が君」


取り急ぎの一通りの指示を飛ばしたルヴェルグは紫色のマントを翻し、颯爽とした足取りで執務室を出て行く。それに続いて、側近たちも自分たちのすべきことをするために駆けて行った。

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