秘色(6)
雨上がりの空の下で、きらきらとした表情で駆け回っている子供たちを眺めていたリアンは、ゆっくりと近づいてくる人影に気づいて顔を向けた。そこには凛とした目でリアンを見つめる、白銀色の髪の美しい少年が立っていた。
リアンは瞬時に子供たちを背に庇うようにして立つと、ごくりと唾を呑んだ。
「……どなたですか?」
一瞬、少年をベルンハルトかと思ったが、瞳が菫色で彼よりも背が低いので別人だと分かった。
ならば、誰だろうか。突然目の前に現れたこの少年は。
必死に頭を働かせるリアンの前で、少年は一瞬だけ嬉しそうに笑うと、深く頭を下げた。
「──ご無礼をお許しください。貴方が皇女殿下の夫君、ヴァレリアン殿下ですね?」
「…そう、ですが。貴方は?」
少年はゆっくりと顔を上げる。その瞳を潤んでいて、今にも涙を落としそうだった。
「……貴方を選ばれたのですね。よかった」
一体何のことなのか、そもそも何に喜んでいるのか理解が追いつかなかったリアンは、何を言えばいいのか分からず固まっていた。だが、少年の瞳から大粒の滴が落ちたのを見て、リアンは何か言わなければと思った。
(──でも、何を?この人は誰…?)
呆然と立ち尽くすリアンだったが、目の前にいる少年を見ているうちにあることに気がついて、唇を開いた。
だけど、リアンの声よりも先に、空気を駆け巡ったのは少年の囁きのような声で。
──皇女殿下のこと、よろしくお願いいたします。
その涙に濡れた声を聞いた瞬間、ある確信を得たリアンは、反射的に少年の手を掴んでいた。
「……貴方は、アルメリア、さん?」
リアンの問いかけに、菫色の瞳が大きく揺れる。それを見て、目の前にいる少年は嘘がつけない人だと分かった。
少年は何も言わなかった。きっとそれが答えなのだろう。肯定も否定もしなかったのだから。
しばらくの間、二人の間には沈黙が流れていたが、それを先に破ったのは少年の方だった。
「僕は……死人同然なのです」
それすなわち、この世にはいないものなのだと少年は言う。それを聞いて、リアンは泣きたいような気持ちになった。
やはりアルメリアは人の名だったのだ。それも、生きている人だった。もう逢えないとクローディアは泣いていたけれど、こうして目の前で息をしている。
「……ディアは今でも、貴方のことを想っています」
「そんなはずは…」
「アルメリアの花が咲いた日、嬉しそうに笑っていました」
大きな菫色の瞳が見開かれる。はらはらと惜しげもなく透明な雫を落としていくそれは、クローディアと似ている気がした。
「……僕は…」
「お願いします、ディアに会ってあげてください。ほんのひと時だけでもいいので」
リアンは少年の声を遮って、勢いよく頭を下げた。手は掴んだままだ。離してはいけないと直感が言っている。
少年は瞳を濡らしたまま、何度も首を横に振ると、リアンの手を振り払ってフードを被った。
「それはできません。永遠に。……ごめんなさい、殿下」
「お願いです! どうかっ…」
少年に背を向けられたリアンは、もう一度引き留めて、今度こそ縄にでも繋いでクローディアの元に連れて行こうと考えた。けれどリアンの手は宙を描いて、少年に触れることは叶わず、その背は遠のいて行く。
だが、その先でここに来るはずのなかった馬車が停まり、中からクローディアが出てきた。
リアンは開口一番に叫んだ。
「──ディア! 今すぐあの人を追って!」
リアンの声に、フードを被った少年は駆け出していった。見事に横をすれ違ったクローディアは、目をぱちぱちとさせながらリアンと後方を交互に見る。
「あの人? どういうことなの?」
「理由はいいから、早く! でないと、今度こそもう二度と逢えなくなるかもしれないからっ…」
今ならまだ間に合うから、行ってほしい。その背を追いかけてほしい。あの人は生きていたんだよ、逢えるんだよ。そう言いたいのに、何も言えなくなってしまったリアンは、突然現れたクローディアの前で立ち尽くしていた。
リアンはクローディアの幸せを願っていた。クローディアにとっての幸せが何なのかは分からないけれど、逢えないと思っていた人に逢えるのなら、それは自分と共にいる時間よりも遥かに幸福なものだろうと思う。
なのに、何も言えなくなってしまって。
それどころか、胸の辺りが詰まったような気がして、苦しくなって。
息をするのは、こんなにも難しいことだっただろうか。
「……そんな顔をしているリアンを置いて、どこへ行けと言うの?」
リアンの手に、優しい熱が灯る。
いつかの日のお返しをするかのように、リアンの手を握ったクローディアは、とても綺麗に笑った。
「……ねえ、リアン。私は今、あなたと話がしたいわ」
「…ディア……」
クローディアの声を聞いて、リアンは初めて自分が泣いていることに気づいた。
唇が震えて、声が出せない。泣いてなどいないと否定をして、彼女が恋しがっていた人に逢えたのだと、自分を置いて追いかけろと伝えたいのに、喉元を迫り上がってくるのは声にならない声ばかりだ。
「リアン、どうして泣いているの? 何かあったの? どこか苦しいの?」
クローディア少しだけ屈んで、リアンと目線を合わせる。その眼差しは優しく、リアンを気遣う声音は柔く、手に灯る熱は温かく。それらが今この瞬間、自分だけのものになっていることに、声を上げて泣きたくなったリアンは、クローディアを両腕で思いきり抱きしめた。




