秘色(5)
空にかかっていた灰色の雲の隙間から、白い日が射しはじめている。あんなにも降っていた雨はいつの間にか降り止み、その予期せぬ天候にローレンスは目を細めながら空を見上げていた。
つい先日咲いたばかりの花は大丈夫だろうか。ただでさえ寒い日が続いているというのに、そんな中で花を開かせたと思えば、大雨に見舞われるだなんて。
「雨、止みましたね」
宿屋を出たローレンスとマリスは、馬を引き取りに行ったハインを入り口で待っていた。
マリスの服はずぶ濡れだったので、代わりに手配した衣服を着てもらっている。セーラーのような襟と膝まであるロング丈が特徴の、通称帝国式と呼ばれている型のコートだ。以前リアンにも着せたそれは、マリスにもよく似合っていた。
「遥々帝国にやって来たマリス君の時間を無駄にしないようにと、天が雨雲を追い払ってくれたのだろう」
「ふふ、なんですかそれは」
マリスは笑う。まだ熱が引いていないのか、寒さの所為なのかは分からないが、その頬はほんのりと赤かった。熱を計ろうとローレンスは手を伸ばし、マリスの額に触れる。すると、マリスは子供のように頬を膨らませ、不満そうな顔をした。
「…そうやって、僕を子供扱いするんですから」
「うん? 僕からしたら、君は子供なのだがね」
遠回しに嫌だと言っているようなのに、ちっとも嫌そうには見えないマリスが面白くて、ローレンスは声をあげて笑った。
ひょっとしたら、マリスにはローレンスのような歳の頃の兄が居るのかもしれない。家出をしてきたと言っていたが、どんな理由があって出てきたのだろうか。
触れてはいけない気がしたローレンスは、可愛い弟のように思えて仕方がないマリスに笑いかけると、今度は頭を撫でた。
そんな戯れ合う二人の元へ、ハインが二頭の馬の手綱を引いて駆けてきた。
「──殿下、お待たせしました!」
ローレンスは軽やかに馬に跨ると、マリスに手を差し出した。てっきりハインの後ろに乗ると思っていたマリスは、ぽかんと口を開けてローレンスを見上げる。
「さあ、僕の後ろに乗りたまえ」
「僕のような人間が、良いのですか?」
「嫌かい? 僕の愛馬のリリーは」
ローレンスに仕えて十年になるハインは、初めて愛馬の名を聞いて吹き出した。おまけにその馬は雄なのに、女性の名を付けていたとは。
マリスは嬉しそうな顔をすると、ローレンスの愛馬・リリーの鼻を撫で、何かを囁く。そして慣れた動作で馬の背に跨ると、ローレンスの腰に手を回した。
「では行こうか。帝都へ」
ローレンスは足首を柔らかく上下に動かし、リリーのお腹に合図を送る。するとリリーは軽やかに駆け出した。
ローレンス一行は帝都へと繋がる大きな街道からは外れ、木々が生い茂る小道を進んでいた。この道では馬が好む草が道に沿うように自生していて、近くに大きな川もある為、遠乗りが好きな者はよくここを通るのだ。
小道の出口に差し掛かった頃、途中の分かれ道の先で、皇族の紋章がある馬車を見つけたローレンスは「おや」と声を上げた。
「あれは殿下の馬車だな」
ローレンスが見つけた馬車は、孤児院の門のそばに停められていた。正面には国の象徴の花である沈黙の薔薇が、傍には皇女の夫君であるリアンの花紋として、ルヴェルグが決めたサザンカの花が彫られていた。つまりあれはリアンの馬車だ。
「殿下? 兄上様ですか?」
「いや、ヴァレリアン殿下だよ。妹の…クローディアの夫君でね」
「皇女殿下は、ご結婚されていたのですかっ?」
マリスは驚いたように声を上げ、ローレンスを掴まる手に力が籠った。それを不思議に思ったローレンスは、前を見据えたまま口を開く。
「うむ、昨年の秋のことだ。…オーグリッドからは祝いの品を沢山頂いたのだが、ご存じなかったのかね」
他国の貴族といえど、帝国と友好同盟を結んでいる国の人間が、皇女が結婚したことを知らないなんてあるだろうか。ローレンスの顔と名を憶えていてくれたのなら尚更、クローディアがヴァレリアン王子と結婚したのを知らないとは。
「……あ…その、僕は反抗期だったもので」
焦ったような声音と不思議な返答に、ローレンスは眉を寄せた。マリスとはまだ出逢って一日も経っていないが、その心根は優しく、真っ直ぐな人であると思っていたからだ。
なぜならマリスは、ローレンスの愛馬にこう言っていたのだから。
──『僕を乗せてくれますか? リリー・メルシエ』
まるでダンスを申し込むかのように、甘く柔らかな声で、マリスはリリーに語りかけていた。
(……そういえば、僕は彼にリリーの本当の名を言っただろうか)
またしても不思議なことがあるものだ、とローレンスが思ったのも束の間。腰に回されていた手は離れ、後ろに座っていたマリスが飛び降りた。
「マリス君? 急に何を──」
突然のことに、ローレンスは慌てて手綱を引いたが、何故かリリーが大人しくしないから飛び降りることができなかった。
「僕はここで降ります! ローレンス殿下、ありがとうございました」
「待つんだ! 一体なぜっ…」
マリスはローレンスにぺこりと頭を下げると、お日様のような笑顔を飾った。それは探し物を見つけた子供のように眩く、ローレンスは思わず目を細めてしまった。
そんなローレンスを置いて、マリスは一直線に駆けて行った。
その先にあるのは、リアンの馬車が停まっていた大きな孤児院だ。
──マリスはリアンに会いたかったのだろうか?
あと数話で終わります。もう少しだけお付き合いください…!




