秘色(4)
「ディアよ。この頃、エレノスの様子がいつもと違うと思わないか?」
突拍子もない話に、クローディアは驚きつつも首を傾げた。
最後に会ったのは晩餐会の時だが、いつもと変わらず優しく、気遣ってくれたように思う。だが、ほぼ毎日政務で顔を合わせているルヴェルグはそうは思わないらしく、大きな窓の前へ移動すると立ち止まった。
「私の知るエレノスは自分から何かを求めて動くような人ではなくてな。いつ何時も私に意見を求めてから動くのだが、この頃のエレノスはどうにもよく分からないのだ」
ここ最近のエレノスは、何も言わずに何かをしているようだと言う。皇帝への報告が必要なことをしているわけでもなければ、それを義務付けているわけでもないことから、どこで何をしていようが構わないが、エレノスがそういう風にしたことは今まで一度もなかったそうだ。
「いつどこで何をしようと、それはエレノスの自由だ。国に関わることでなければ、報告も要らぬ。だがな、そうではないのだ…」
「……ルヴェルグ兄様?」
ルヴェルグは何度か口を開き、閉じてから、小さな声で何かを呟いていたが、その声はクローディアには届かなかった。そして、ふわりとマントを翻すと、寂しそうな微笑を飾って。
「ディアなら何か気づいているのではないかと思ったのだが、どうやら私の気にしすぎのようだな」
「兄様──」
「──失礼致します、陛下。オルシェ公より早馬が…」
「すぐに戻る」
クローディアはルヴェルグを呼び止めようとしたが、扉越しに聞こえた兄の配下の声を聞いて口を噤んだ。そんなクローディアを見て、ルヴェルグは困ったように眉尻を下げていたが、子供の頃からしていたようにクローディアの頭をそっと撫でると、早足で部屋を出て行った。
部屋にひとり残されたクローディアは、甘酸っぱい紅茶を喉に流し込んだ。砂糖を入れずとも、クローディア好みの甘さであるこの紅茶は、エレノスが自らブレンドしたものだ。
──『おにいさま、紅茶って、甘くないのね』
クローディアが幼かった頃。まだ紅茶の美味しさが分からなかったクローディアは、初めてそれを飲んだ時、舌を出して顔を顰めていた。そんなクローディアを見たエレノスは柔らかに微笑みながら、これならどうかと干した果実やハーブなどを入れて、クローディアが飲めるよう味を調節してくれたのだ。
ローレンスが花を好きなように、紅茶を好んでいたエレノスは、自分で栽培した茶葉をブレンドし、こうして時折届けてくれていた。
そんな優しい兄が、家族に何も言わずに何かをしていた。そして、他国の慶事の色である服を着て、何日も滞在するという。
(きっと、フェルナンドがお兄様に何か言ったんだわ)
そうでなければ、エレノスがクローディアに何も言わずに留守にするなんてあり得ないだろう。だって、ふたりは誰よりも濃い血で繋がっている兄妹なのだから。
クローディアは齧りかけのクッキーの残りを口に運び、ナフキンで口元を拭うと立ち上がった。やらなければならないことが見つかったのだ。
「──失礼致します、皇女様。どうなさいましたか?」
クローディアからの呼び鈴の音で、別室で待機していたアンナがやって来た。
「アンナ、馬車を用意してくれる? 雨が弱まったから、出かけてくるわ」
「かしこまりました」
アンナが駆け足で部屋を出て行ったのを見て、クローディアは衣装部屋から頭から足元まですっぽり隠れる雨具を引っ張り出すと、玄関へと向かって急いだ。
(──リアン、今日は一日同じ所にいるかしら)
クローディアはリアンと話さなければと思っていた。
生まれた時からずっと一緒にいた家族でも、話さなければ何を考えているのかわからなくなってしまうのだ。赤の他人であるリアンなら尚更、兄たち以上に話し合わなければならない相手だろう。
──『……嫌なこと、聞いてごめん。ディアのことが、知りたくて』
──あの日。リアンがアルメリアは人の名前ではないかと訊ねてきた日、クローディアは聞かないで欲しいと言ったのに、踏み込まれたことが悲しくて辛かった。
それは、リアンは駄目だと言ったら、それ以上は何もしてこない人だと思っていたからだ。事実、それまでも踏み込んできたことはなかった。
きっと、あの時のリアンとルヴェルグは同じなのだろうと思う。エレノスのことが分からないと言って、悲しそうな顔をしていたルヴェルグは、とても寂しそうだった。どんな時でも、どんなことでも話してくれていたエレノスが、この頃何も言わなくなってしまったから。
リアンも同様に、一番近くにいるはずの存在──仮初だとしても、形だけのものだとしても、一緒にいようと約束をした人が、何も話してくれなかったら、寂しい気持ちになってしまうだろう。
だから今度はクローディアの番だ。いつだって味方で、守ろうとしてくれたリアンのために、クローディアから歩み寄りたい。
逃げてばかりじゃなくて、向き合わなければ。そのための第一歩を踏み出さなければ。
「──ここで降りるわ」
リアンの行き先の孤児院の門の傍で、見慣れた馬車を見つけたクローディアは、馬車から降りるとドレスの裾を持って駆け出した。
もう、雨は降っていなかった。




