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予兆(1)


部屋に入ってきたリアンはクローディアを見て、一瞬驚いたように目を丸くさせていたが、すぐに笑みを浮かべた。


「あれ、起きて待ってたんだ」


白いブラウスと黒のスラックス姿で現れたリアンは、お風呂から出たばかりなのか肩にタオルを掛けている。


「だって、今日は…」


「今日は、なに?」


リアンはタオルで髪をわしゃわしゃと拭くと、ドアの近くに置いてある木製のかごの中に放り投げた。


これから何が起きるのか気になって仕方がないクローディアと違って、リアンは余裕そうだ。


「今日は、大事な日なんでしょう?」


クローディアは恐る恐る問いかける。それを聞いたリアンはその意味を理解したのか、胸の前で腕を組むと、首を傾げて。


「…結婚記念日だから?」


なんだか楽しそうな声音でそう言うと、ゆっくりとした足取りでクローディアへと歩み寄っていった。


「侍女に言われたの。今夜は大事な日だって。リアンが来たら身を委ねるようにとも…」


あっと思った時にはもう、遅かった。


気づけばクローディアの視界いっぱいにはリアンがいて、緊張で固まっていた身体は、柔らかなベッドの上に押し倒されている。


「…大事な日、ね」


真っ赤になっているクローディアのことを、リアンは面白そうに見下ろしている。思わずクローディアはリアンの胸をぽすりと叩いたが、その弱々しい打撃に効果はなく、それどころか指を絡め取られてしまって、クローディアの体温は上昇してしまう。


「リ、リアン…?」


胸の音が聞こえてしまいそうな距離に、リアンの顔がある。女の子のように長い睫毛に、雪のように白い肌、蒼い瞳。何もかもが綺麗なリアンの吐息がかかり、クローディアの心臓はついに悲鳴を上げた。


ふ、と吐息を感じた瞬間、クローディアは目を瞑った。口づけをされると思ったのだ。


だが、それはいつまで経ってもやって来ることなく、思わず身構えていたクローディアに降ってきたのは、小さな笑い声だった。


「何もしないから、安心して」


その声に、閉じていた瞼を持ち上げると、リアンは優しい眼差しでクローディアのことを見下ろしていた。


「好きでもない男に、抱かれたくないだろうし。…そもそも俺たちは、本当の夫婦じゃないしね」


「だ、抱くって…」


「侍女が言ってたっていうのは、初夜のことでしょ?」


クローディアは納得した。結婚をして夫婦で初めて迎える夜だから、侍女たちはクローディアにこのような格好をさせたのだ。


「…あ……」


リボンを解けば脱げるこの服は、まことの夫婦になるための手助けのようなものだろう。悪夢の中で何度かその行為を経験していたクローディアは、男女の営みについては知っているが、もしかしたらこれから起きていたかもしれない事とは、クローディアの知るものとは随分と違うのかもしれない。


悪夢で経験したはじめての夫婦の営みというのは、期待で胸を膨らませていたクローディアの身も心もズタズタに引き裂いたものだった。


大事な侍女の髪を投げつけられ、服は引き裂かれ、嫌だと泣いても口を塞がれ、乱暴に、一方的に行われ。果てには縛りつけられたりなど、そこには優しさも愛も何ひとつなかった。


(──そう…初夜とは、アレと同じことなのね)


きっと、子を作る儀式の初回を“ショヤ”と言うのだろうとクローディアは考えた。何が何なのかきちんと理解せずに、こんな格好をして待っていたクローディアを見て、リアンは揶揄ったのだと思うが。


──もしも、本当の夫婦だったのなら。リアンはあのまま続けていたのだろうか。


ふとそう思った時、思い出したくもないフェルナンドとの夜の記憶が流れ込んできて、クローディアは涙をこぼした。


ぽろりと、無色透明な雫がクローディアの頬を転がり落ちる。それは一度ならず、二度三度と落ちてきたあと、ぽろぽろと溢こぼれていった。


「…ごめん。怖がらせるつもりじゃなかったんだけど」


リアンは心の底から反省した。形だけの夫婦とはいえ、抱かれるためのような格好をして待っていたクローディアを見たら、つい揶揄からかいたくなってしまったのだ。


「違うの、これは…その、」


思い出しただけだと、クローディアは言わなければならないのに。それは言ってはならない、誰にも言えないことなのだと涙が訴えているようだ。


「ディアは大事に育てられたお姫様だから、男にいきなり近づかれたら怖いよね」


「ちがっ…」


「考えもしないでごめん。何もしないから、泣かないで」


必死に否定をするクローディアだが、自分のせいで泣かせてしまったと思っていたリアンにクローディアの声は届かなかった。それでもクローディアは必死に首を振り続け、何度も否定をする。


「ほんとうに、違うの。怖くなんてないわ」


触れられるのは怖いが、リアンのことを怖いとは思っていないのだ。


「……そう」


リアンは安堵したのか、指先でクローディアの目元をそっと拭うと、泣きそうに微笑んだ。


「なら、笑ってよ。今日ははじまりの日になるわけだし」


上手くできていたかはわからないが、クローディアは精一杯口角を上げてみせた。リアンの言う通り、二人の関係は今日から始まっていくのだ。


たとえそれが表向きだけのものだとしても、リアンは夢のために、クローディアはフェルナンドから逃れるために、自分にできることをするために。


「…おやすみ、ディア。これからどうぞよろしく」


その日、ふたりはベッドの端と端に寝転んだが、手を繋いで眠りについた。いつもは冷たいリアンの手は、今日はほんのりと熱を持っていた。

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