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青星の水晶〈上〉  作者: 千雪はな
おまけ
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【番外編】王子、熱を出す

執務室には、書類をめくる音、ペンを走らせる音、席を立ち壁際の本棚へと歩く足音、集中した空気の中にそれぞれが手を動かす様子が伝わる音が静かに響いていた。



「殿下、こちら補足資料です」


僕は手元の書類から顔を上げて、机の向こうに立つチェスターが差し出した数枚の紙を受け取って軽く目を通した。その資料は、今、確認している書類の補足ではなく、次に処理しようと横に置いている書類に対するものだった。


「ああ、ありがとう」


受け取った資料を横の書類の上に置き、手元の書類へ視線を戻した。


「……殿下、大丈夫ですか?」


「何がだ?」


その声にもう一度顔を上げると、チェスターが心配そうに僕の顔を覗き込んだ。


「殿下、もしかしたら熱があるのではありませんか?アリア様、確認をお願いできますか?」


水魔法の影響で体温が低くなった僕が発熱しても、普通の人間からしたら、それが微熱か高熱かがわかりづらい。同じく水魔法で体温が低いアリアが確かめるのが確実だ。


「はい、もちろん」


チェスターの心配そうな声を聞いてすぐに僕の側へと来ていたアリアが僕の額にそっと手を当て、パッとそれを引いた。


「ライナス様⁈ひどい熱です。すぐに治癒を!あちらのソファへ移っていただいてもよろしいですか」


「ああ、頼む」


立ち上がろうとしたが、全身が(だる)くて体を支えようと机に手をついた。


「ライナス様!」

「殿下っ!」


咄嗟にアリアがこちらに腕を伸ばしたが、小柄な彼女が支えきれるとは思えず、それを静止するのと同時に、チェスターが慌てて机を回り込んで僕の体を支えた。


朝から少し怠さは感じていたが、大したことはないと思っていた。しかし、時間が経つにつれて目の奥が痛くなり、集中できないと感じていたが、アリアが慌てるほど熱が出ていたのか。


チェスターの手を借りてソファに深く腰を下ろした。さっきまでは気を張っていたようだ。柔らかなクッションに体を預けると、倦怠感が襲ってきて二度と立ち上がれないように思えた。


アリアがソファの前に跪き、僕に手をかざした。


治癒の魔法を使う時、漠然と「治れ」と念じてもあまり効果がないことがわかってきた。治したい対象を認識してそこに集中することで治癒ができる。外傷であれば目視で確認できるが、体の内部は手をかざすことで不調の核のようなものを感じるのだ。


僕の頭からつま先までゆっくりと体内の様子を探ったアリアが、心配そうに横に立つチェスターを見上げて言った。


「特定の悪い箇所は無いようです。疲れが出られたのかと…」


チェスターは小さく「よかった」と漏らし、その様子を見たアリアも優しく微笑んだ。そして僕の方へ向き直った。


「それでは…」と呟いて、アリアの手のひらからふんわりと白い光が広がり始めた。その光に包まれると疲れがスッと引く。僕の治癒の魔法では原因のある傷病は治せるが、疲労から回復させることはできない。彼女が疲労感も取れる治癒力を持っていることをありがたく思った。


僕はクッションにもたれて、ふぅっと息を吐いた。


「ああ、助かる。これですぐに仕事に戻れる」


今日は集中できずに仕事が進んでいなかった。アリアの治癒の魔法をかけてもらえば、高熱もこの疲労感もすっきりと取れて、いつも通り仕事ができるようになる。


僕は目を閉じてその光を待った。優しく温かな光に包まれるのを―――


「アリア…?」


いくら待っても治癒の光に包まれないのを不思議に思って目を開け、軋む体を起こした。僕に向けてかざしていた手は固く握られ、アリアはぎゅっと口をつぐんでこちらを見ていた。


―――これは……怒っている?


なぜアリアが怒っているのか見当もつかなければ、原因を振り返る気力もなかった。でも、アリアのその瞳を見れば怒っているのは間違いない。怒りで少し潤んでいるようにも見えた。


「ええっと……、あの……アリア?…治癒は……」


「致しません!」


キッパリと言い切られた。


そしてすくっと立ち上がると、周りの者達の方を向いた。


「チェスター様、ライナス様はお休みになられます。調整をお願いいたします」


「かしこまりました」


「エレン、隣の部屋の寝台を整えて。それから、マーティン殿に殿下の寝衣を用意するようお願いしてもらえるかしら」


「はい、ただいま」


マーティンとは、僕の衣服を管理する従者だ。アリアは普段あまり顔を合わせることのない僕の専属の従者の名まで覚えているのか、と回らない頭で感心していた。


アリアの侍女のエレンは、お辞儀をすると静かに行動を始めた。


チェスターは、確認が済んだ書類を手にすると、こちらに軽く頭を下げて部屋を出ていった。気のせいかもしれないが、少し笑いを(こら)えているようにも見えた。



 ◇ ・ ◇ ・ ◇


手際よく指示を出すアリアに圧倒されている間に、僕は寝台に寝かされ、天蓋を呆然と眺めていた。


気がつくと、アリアが寝台の横の椅子に座って僕の額に手をかざしていた。


「痛みだけ取りますね」


フワッと淡い光が僕の頭から足先まで包んだ。いつもより弱い光で、頭痛と体の軋む感じが徐々に引いていった。熱っぽさと全身の怠さは残るが、だいぶ楽になった。


―――これなら執務に戻れそうだ。


口にしたらアリアに怒られるのはわかっているので、心の中で呟くだけにとどめた。


「…ありがとう」


「痛みがなくなったからって、執務に戻ってはダメですよ。しっかりお休みくださいね」


「ああ、わかった。でもなぜ完全には治してくれないんだ?」


今までは、体が軽くなるほど治癒の魔法をかけてくれたのにと疑問を口にした。アリアは困ったように笑って答えた。


「治してしまったら、ライナス様はまた無理をされるでしょう?」


「………」


そんなことはしないと言いたかったが、否定しきれなかった。それを見て、アリアはふふふっと笑った。


「ライナス様が辛そうにされるのを何度も見たくはありませんもの。体が休むように悲鳴を上げたのですから、その声を聞いて下さいませ」


「……わかった。心配をかけてすまなかった」


その言葉にアリアは安心したように柔らかく笑った。僕は彼女の手を取ると、その手のひらに自分の頬を寄せ目を閉じた。


「ああ、冷たくて気持ちいいな」

番外編をお読みいただきありがとうございます。お楽しみいただけましたでしょうか。


続きのお話を下巻として書き始めました。こちらのお話のタイトルに〈上〉と付け加えるだけでは寂しいので、番外編としてこの一話を書きました。


この先のお話は、下巻にてお付き合いいただけましたら、とても嬉しいです。


千雪はな

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