人質
残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。
幌が掛かった荷馬車の荷物の影から、女が出てきて僕に向かって叫んだ。
「この女が大事ならそこを動くなっ!」
「お前が…!」
魔術調査班に間諜が潜り込んでいるのはわかっていたが、その顔を見て僕は一瞬言葉を失った。マーガレット――魔術調査班の中で一番アリアのことを気に掛けてくれていると思っていた人物だった。
アリアがアカデミーに移ってすぐの頃から二人で楽しそうに話しているところもよく見かけたし、魔術の練習で疲れた様子を見るといつも心配そうに寄り添っていた。アリアも頼りにしていただろうに……
その女は、僕達に見せていた優しげな雰囲気など微塵もない冷めた目で馬車の荷台に鉈を片手に立っていた。後ろ手に縛ったアリアの腕を背後から強く掴んでいるようで、猿轡を噛まされたアリアは痛みに顔を歪めていた。
そして顔を上げて僕を見つけると、瞳にはみるみる涙が溜まり、頬を伝った。
「アリアっ!」
僕は思わず馬を動かそうとした。
「動くなっ!!」
女は叫び、アリアを少し前に押し出して間を取ると、鉈を振り上げ、それをアリアの肩に落とした。
何が起こったのか理解ができず、声も出なかった。
アリアが荷台の上に倒れ、返り血を浴びた女はこちらを睨んでいた。
―――なっ、なぜ…、アリアは、大切な人質……じゃないのか?
剣を握る僕の手が震えていた。
僕もチェスターも荷馬車の方に気を取られていた隙に、まだ縛り上げる前だった男が剣を拾ってチェスターに斬りかかった。チェスターは鞘に戻していた剣を素早く抜いて、その攻撃を受け止めた。
「この女を死なせたくなければ武器を捨てろ!我々は魔術師の生死は問わない!」
なんということだろうか。人質のアリアだけは身の安全が保証されると思っていた。だが、荷台に倒れているアリアを見ると、ここは女の言葉に従うしかなかった。
僕は剣を地面に投げ捨てた。
―――狼狽えている場合じゃない。何としてもアリアを早くあの女から奪い返さなければ!
「お前もだ!」
男と剣をギリギリと合わせて拮抗していたチェスターに向かっても武器を捨てろと女が叫んだ。
―――チェスターが剣を捨てる瞬間に隙ができるはずだ。
チェスターは、相手とせめぎ合う剣を握りながら僕を見た。
僕は頷き、それを見たチェスターは相手を強く押し返して距離を取ってから剣を地面に放った。
向こうは二人ともチェスターの動きを見ていた。
僕は素早く手を敵の二人に向け、水魔法の攻撃を放った。怒りで極限まで集中したからか、放たれたのは水ではなく、氷の矢だった。
「ギャァッ!」
「グワッ!!」
それぞれの右の肩口に矢は突き刺さり、手にしていた武器を落とした。
チェスターは目の前の男を、僕は馬で走り寄って荷馬車に乗り移り、女を取り押さえて手早く縛り上げた。
「アリアっ!」
荷台の上で倒れているアリアの横に僕は膝をついた。うつ伏せに倒れて意識のないアリアの肩から背中までざっくりと切られ、淡いピンクのワンピースは真っ赤に染まっていた。
きつく結ばれた猿轡を外すと血色の失せた唇の端が切れて血が滲んでいた。長いまつ毛に引っ掛かっていた涙が濡れた頬を伝い、荷台の床板にポタリと落ちて吸い込まれた。
アリアがどれだけ怖い思いをしたかと思うと、守ってやれなかった申し訳なさに押し潰されそうになった。
「いや、今はそんなことより止血だ」
動けなくなった自分自身に指示を出すように呟いた。
アリアを硬い床板に上から抱き上げてやりたかったが、酷い怪我で動かすことも躊躇われ、そこに寝かせたまま持っていた布で止血を始めた。だが傷は深く、すぐに布も真っ赤になった。
僕は、アリアが投石にあった時に侍女らの傷を治癒の魔法で治した時に彼女が言っていたことを思い出していた。
___『水や風のように、白を思い描いても治癒の魔法は使えないみたいなんです。ただ、この傷が治ってほしいと思っただけで…』
僕は右手をアリアの肩の上にかざした。
―――治れ、治れ、治れ…
何も起こらないようだが、諦めたくなかった。
―――頼む。治ってくれ……
強く強く願った。
すると手のひらが少しずつ熱を帯びてきた。




