預け物(前編)
二つ目の視察地の古い橋の架け替え現場で、責任者からの説明を受け終わると、チェスターが控えめな声で話し掛けてきた。
「殿下、レイドナー教授に確認したところ、お渡しする物はハンティントン侯爵に預けてあるそうです。その方が受け取りしやすいでしょうから、とのことです」
ハンティントン侯爵、ギルバート・ルーサー・ハンティントンは、僕と同い年で、幼い頃から交流がある数少ない心を許せる友人だ。五年程前に彼の両親が馬車の事故で亡くなり、数年は前侯爵の弟であるレイドナー教授が侯爵家を取り仕切ったが、ギルバートが成人すると共に爵位を継いでいた。
彼が立派に侯爵家当主を務めていることに尊敬をしているが、本人にそう言うと、王子の立場の方が余程大変だと労ってくれる。建前と駆け引きばかりの人間関係の中で、ギルバートは嫌味も遠慮もなく僕に接してくれ、僕も本心を隠すことなく過ごせる貴重な相手だった。
「そうか。では、ギルバートの予定は?」
「はい、確認してございます。侯爵邸にて昼食を用意するので、殿下にお越しいただきたいと。その予定でよろしいでしょうか」
「ああ、それで問題ない」
「では、侯爵にそのようにお伝えいたします」
チェスターは再び部下のケインを呼び、ハンティントン邸へ向かわせた。
◇ ・ ◇ ・ ◇
午前中の視察を全て終えてハンティントン侯爵邸に着いた。
春の初月も半分が過ぎ、手入れの行き届いた庭園は色とりどりの花が咲いていた。馬車が止まったエントランス前には、ギルバートが待っていた。
明るい茶色の目を細めて笑う顔は昔とあまり変わらないが、焦茶の長めの髪を後ろにスッキリとまとめた長身の姿は、男の僕から見ても色気がある。いつの間にそんなものを身につけたんだ。令嬢方に大層人気があるらしい。
「ようこそいらっしゃいました、殿下」
「急に予定を入れて申し訳なかった」
「いえ、とんでもございません。こちらへどうぞ」
ギルバートの執務室の隣の応接室に通されると、すぐに昼食が用意された。給仕達はテーブルに料理を並べ終えると下がり、それを見てチェスターも他の従者達に目配せをした。
「では殿下、私共も失礼いたします。廊下に控えておりますので」
「ああ、ありがとう」
敬礼をして皆が退室すると、ふぅ、とギルバートが小さく息を吐き、「さあ、食べようか」と僕をテーブルへと促した。
「久しぶりだな、ライリー。二ヶ月ぶりか?」
普段は敬語だが、従者達も下がったので、ギルバートは昔からの砕けた口調で話し始めた。僕も気持ちが緩むのを感じた。
「そうだな。最近、バートの方が忙しいからな」
「雑用ばっかりなんだがなぁ…」
「侯爵家当主の仕事を雑用って言っていいのか?」
「書類の確認と揉め事の仲裁がほとんどだ。騎士団で剣を振っていた方が俺は性に合うよ」
「そうかもしれないな」
僕はギルバートの言葉を肯定したが、彼が当主の役割を十分に果たしていることを知っている。若くして爵位を継いで、周りからは心配の声が聞こえていたのを、今ではすっかり黙らせてしまっていた。
「ライリー、これが叔父上から預かっていたものだ」
食事を終え、ソファへと席を立った時にギルバートが棚に置いていた箱を持ってきた。
「ああ、ありがとう!」
楽しみにしていたものだから、思わず声が弾んでしまった。それを見て、ギルバートは呆れ気味に笑って言った。
「相変わらず好きなんだな。俺にはガ…骨董品の価値はわからないからな」
「あ、ガラクタって言いそうになっただろう!」
「ははは、悪かった。馬鹿にするつもりはない」
「本当かなぁ」
ギルバートの反応に悪い気はしていない。むしろ揶揄われているのを楽しんでいるのかもしれない。
僕も一緒に笑っていると、コンコンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「きっとアリアだろう」
そう言ってギルバートは立ち上がり、扉を開けると、そこにはギルバートの妹のアリアが立っていた。