不安と葛藤(後編)
『不安と葛藤』はアリア視点のお話です。
馬車は、魔術調査班の移転先のウェーンブレン宮殿に到着した。かつて城塞として建てられたとは思えない美しい白い外観の建物は、今では王族の方々の静養の地に相応しく、庭も内装も美しく整えられていた。
ライナス様は宮殿内を案内すると仰って私の手を取り、エントランス正面の階段を上った。
順に各部屋の配置を説明してくださる。大きな食堂が一階にあると聞いて、私は心が弾んだ。
「アカデミーでは一人か、叔父様と二人で食事をしていたので寂しかったんです。だから、皆さんと食事できるなら嬉しいです」
両親が生きていた頃は、いつも家族で楽しく食卓を囲んでいた。兄様と二人になってからも、夕食だけはと兄様はできるだけ時間を作ってくれたから、その日の出来事や心配なことを話すことができた。
アカデミーに移ってからは、時々はレイドナーの叔父様が一緒に食事をとってくれていたが、叔父様の魔術に関する話は私には少し難しくて、不安なことを相談するような雰囲気ではなかった。
調査班の皆に不安を打ち明けるわけではないだろうが、楽しくお話ししながら食事をすれば、きっと気持ちも明るくなるだろうと思った。
そんなことを考えていたら、殿下が冗談めかした声で、
「そうだったのか。僕も食事に誘えばよかったな」
と仰った。殿下はお忙しいし、私をわざわざ誘われる理由もないが、そうやって気遣ってくださることが嬉しくて、私は「ふふふ」と笑った。
嬉しい気持ちに浸っていると、横で殿下が胸元をさすっていた。
「どうかされましたか?」
私が見上げると、殿下は「いや、なんでもないよ」と穏やかに笑った。
殿下の落ち着いた声と笑顔で、ここへ来るまでに感じていた不安が少し軽くなるように感じた。
◇ ・ ◇ ・ ◇
「わぁ……」
私は目の前に広がる景色に息を飲んだ。
重厚な扉の向こうの白を基調とした南向きの部屋が私がこれから過ごす部屋だと案内された。大きな窓からは宮殿が建つ山の麓に広がる森の緑と、その向こうにある湖の水面がキラキラと輝いているのが見えた。
「綺麗だろう。この部屋が宮殿で二番目に眺めがいい部屋なんだ」
「二番目?」
私が不思議そうな顔をすると、殿下はふっと笑った。
「一番はこの上の部屋だ。陛下や王太子が使われる」
「なるほど…」
私は納得して天井を見上げた。陛下や王太子殿下のための部屋であれば、いくら空いていても他の者が使っていいはずはない。
そしてふと気づいた。ここが二番目に眺めがいい、つまりは二番目に格の高い部屋であれば――
「でしたら、こちらの部屋はライナス様がお使いになるべきではないのでしょうか?」
ごく当たり前のことを伺ったつもりなのに、殿下は声をあげて笑った。
「僕はここにずっと滞在するわけじゃないからね。貴女や調査班の皆が快適に過ごせる部屋を使ってもらいたい。それに僕がいつも使う部屋があるんだ」
「そうなのですか?」
「ああ、湖は見えないが、渓谷が綺麗に見えるんだよ」
「それは素敵ですね」
その景色も見てみたいと思いながらも、殿下の部屋にお邪魔するわけにもいかないので、目の前の素晴らしい景色を楽しむことにした。
国で一番美しい湖と言われるウェイン湖の澄んだ青色は、ライナス様の瞳のようだ。そう思って殿下の横顔でも盗み見ようかと視線を隣に移すと、その綺麗な瞳と視線がぶつかって内心ドキドキした。それを隠して笑顔を作ったけれど、うまく笑えているかしら。
「アリア、疲れていないか?」
殿下の側にいて、嬉しかったりドキドキしたりに気を取られて、自分が疲れているか考えていなかった。改めて疲れてるかどうか考えてみて、ふと気づいた。
「いいえ、全然疲れていませんわ。それどころか、今までで一番体が軽いのです」
「そうなのか?」
「はい。魔力を持つようになってから、溢れた魔力が覆い被さって重くて息苦しかったのが、すっかりなくなって。ライナス様が、魔力を引き取ってくださったおかげです」
そのことを自覚したら、ますます体が軽く感じた。宮殿の大きな門をくぐった時は物々しい警備に不安を感じていたのが、殿下の優しい笑顔と目の前に広がる美しい景色に、緊張していた気持ちもだいぶ和らいでいた。
そして「そうか、よかった」と微笑む殿下の両手を、私は思わず握りしめていた。
「殿下、ありがとうございます!」
心からの感謝の気持ちを伝えると、殿下は私の両手を引き寄せた。私は引かれるまま殿下の胸に飛び込み、きゅっと抱きしめられた。不意に殿下の腕の中に収まって、ドキン、ドキンと鼓動が大きく鳴り、顔が熱くなるのを感じた。
「アリアのそんな笑顔を久しぶりに見た」
そう言った殿下の声も明るく嬉しそうだった。でも、それに続いて「アリア、」と私の名を呼ぶ声は優しくも力がこもっていた。
きっと耳まで赤くなっていると思ったら顔を上げることができず、殿下の胸に顔を埋めたまま続く言葉を待った。
「常には側にいてやれないが、僕が貴女を守ると約束する」
その言葉が私の心に染み込んでいくと共に、私の心臓の音はますます大きくなっていた。殿下の責任感に甘えてはいけないという冷静な考えと、私のことを守ってくださるという殿下の言葉に甘えたいという気持ちとで葛藤していた。
ここまでのお話を読んでくださった皆様、ありがとうございます。アリア視点のお話はいかがでしたでしょうか。また次回からはライナス王子視点のお話に戻ります。引き続きお楽しみいただけましたら嬉しいです。




