ー iridium side ー page01
そもそもの始まりは、経済の破綻から始まったと言われる。第三次世界大戦の核、そしてバイオ兵器に晒された市民はシェルターに逃げ込む事ができた僅かな生存者以外、全て死に絶えた。
……らしい。
七十八年間、外の世界を確かめる術を、この天を遮るドームが冷たく拒絶していて、外に出る方法も皆無。最後の機器技術者も半年前に死んだばかり。
「イリー、もう朝ごはんの時間よ!また夜通しそこにいたんでしょ、いい加減に降りてきて!」
セリムの声はこんな世界でも生気に溢れ、生命力とは何かを思い出させてくれる。
腕時計を見て、小さく溜息をついた。夜の間だけ開く、薄汚れたごく小さな観測窓に息を吹きかけ、袖口で拭いた。無論、向こう側に溜まった砂が取れるわけでもなく、相変わらず細かい傷だらけの小窓は煤ぼけた夜空を僅かに覗かせるだけだった。
それでも漆黒の闇に浮かぶ銀色の月が美しいのは変わらない。昔の人は月の顔に様々な形として見ていた。
僕には女性に見えたのでセリムと二人で「カグヤ」と呼んでいる。東方の国のお姫様らしい。
らしい、としか言えないのはドームに持ち込めた文献には限りがあり、各国の伝承の類は出身国である人々が記憶を頼りに「ノア」の僅かな記憶領域に書き残したものしかない。
恋人の唇に指を添えるかのように窓に触れる。それを合図にゆっくりとシャッターが閉じていくのを恨めしそうに睨みつけ、合金製の閉じかけた格子の隙間からカグヤを見た。
セリムは原子番号五十八「セリウム」から付けられたドームで生まれた五十八番目の子。僕は七十七番目「イリジウム」
僕が幼い頃はセリムは姉のような存在だった。第三世代の他のチルドレンは生まれて数年で病気にかかり、僕らしか生き残れなかったから必然的にパートナーとなった。
必然? いや違うね。
大勢いたとしても僕は君を選ぶ。そんな事を言うと決まって彼女は「自分でパントリー使えるようになってから言って? あなたの面倒見れるのは私くらいだから、仕方がなく、そう、仕方がなく一緒にいるのよ?」と冷ややか目で見てくる。
彼女は研究に明け暮れる僕を文字通りに面倒を見てくれるパートナーだ。昔は夫婦とか言ってたらしいが定かではない。とにかく生活能力がない僕には彼女がいないと食事を取る事すら出来ずに研究に没頭し、ドームの中に蔓延する「レミング症」を発症して死に至るのは目に見えている。
故にパートナーどころか僕にはとってはもう女神さまだ。
うん。彼女が作るベーコンエッグは最高だ。もうそれだけで女神。
まあ、素材を作るのはノアのファームで作られた合成タンパク質だけど。
そう、僕にとってはカグヤは君なんだ。
「イリー!」
セリムの大声が辺り響く。怒っているわけでもなく、そうしないと僕にまで届かないのだ。
真下から見上げるセリムに「今降りるよ」とだけ返事をする。
ドーム型シェルターの最上層部の一部にある観測室は、巨大なドームの天蓋を支える、縦横に張り巡らされた合金製の梁に乗っけられた鉄板と椅子だけだった。そもそも「観測室」と呼んでいるのは僕らだけ。人幅しかない上、手すりもないキャットウォークから観測室に続く三十五メートルもある手製の梯子を使って、そこに登ろうなどと気を起こすのは僕ら二人くらいだ。
レミング症が流行る前は恋人?同士のスポットだったとか。恋人というワードはノアに聞いても「記憶域が損傷しています。別のワードで試しては?」とテンプレートな返事をしてくるだけだった。
狭い作業用通路に降りるとセリムが目を輝かせて僕の両腕を軽く引っ張る。
「ね、ね、何か発見、あった?」
セリムの掴む手の暖かさに体が冷えていたことを思い出した。吐く息が白く凍る。だが朝を迎えればここは熱中症になるくらい暑くなる。
「ちょっと、ね」
セリムは、わぁ、と言うとぴょん、と跳ねる。慌てて彼女の軽くて細い体を抱きしめた。
「落ちたら危ない、よ」
間近にある顔が僕を見上げて微笑む。
「で、何がわかったの?」
「部屋に帰ろう。ちょっと計算しなければ」と、そう言って彼女の小さな手を引いた。
通路の奥にあるドアを開けるとエレベーターがあるのだが、もう使われなくなって五十年は経つ。取り換える部品は既になく、あったとしても、取り換える技術者がいないのだ。脇にあるタラップを使って降りていく。部屋に行く途中、数人とすれ違ったが僕らに関心を持つわけでもなく、壁に頭を打ち付けていたり、床にすわり爪を噛みながら、既に死んだ友人の名を囁いていた。セリムは繋いだ手を離すと僕から離れ、老人の手を取って立たせて部屋へと連れて行く。
もう長くはない。老人が、ではなく、このシェルターが。
二十八人中、普通に生活できる者が、出来ない者の数を下回った。最後の子供になるだろう僕らは、まだ動ける者をなんとか励まし、希望を持たせようと必死だったけど、大人たちのレミング症は後を絶たず、残ったものは自殺すら考えることが出来なくなった者ばかりだ。
だけど僕を不安にするのは、もはや蔓延する死の匂いではなかった。
先程、隔壁が閉まる直前に窓に触れ、指先が覆った月の姿に違和感を感じる。
急いで部屋の手帳型の端末を立ち上げた。
「ノア、天体の観測データの一覧」
「記憶域が損傷しています。別のワードで試しては?」
高揚のない男性の声が手元から聞こえてくる。
データの損失が酷いのは今に始まった事じゃない。特に時間軸に関してのデータは皆無だった。時間を記録に残そうとしても削除され、ノアに修復を頼んでも「あなたには権限がありません」の一点張りだった。
僕のカグヤみたいに強情だ。
……カグヤか。
ふと試したいことを思いついた。
「ノア、研究データじゃなくて伝承カテゴリを開いて」
「四千三百二十四項目あります」
「その中から外観及び大きさを予測されるものを抽出」
「三百十四項目あります」
「全部出して」
最初はストレージの損失かと思っていたが、どうやら誰かが意図的に消した部分がある。それでも手掛かりになりそうな文献や、映像をかき集め、何度もやりなおし、自分の勘違い、計算違いがないかを確かめた。
そして、ベッドに腰掛け、頭を抱えた。
なんと伝えればいい?




