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その時私は鳥になっていた  作者: 日多喜 瑠璃
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第5話です。

年月は流れ、父親からもらったバイクにも慣れた頃?

杏美は、そのバイクに乗って出かけます。

前作「赤い鳥、泣いた。」と合わせて読めば、よりお楽しみいただけると思います。

 風を切る。

 まだ肌寒さを感じる森の京都。道端には少し汚れた雪が残り、凛とした空気が辺りを包む。

 そんな国道162号線を南下する、赤いオフロードバイク。そのハンドルを握る、小さな手。


 杏美は19歳になっていた。

 二輪免許を取得して2年。父のバイクを譲り受けて2年。

 足の届かない背の高いバイクに悪戦苦闘し、何度も転びながら、それでも森を走りたい気持ちを抑えられず、練習に明け暮れ、いつしか月日は流れていた。


 2年も乗ると、さすがにバイクにも慣れたものだ。左足をステップに乗せると、小さな体は跳ね上がり、チョコンとシートに跨る。今度はそのまま右に体をずらし、左足でスタンドを蹴り上げ、シフトペダルを踏んでローギヤに。

 杏美は、かつて父が各地を旅し、時に森へと繰り出したというこのバイクを乗りこなすため、小さな体を巧みに動かす。運動能力に対する「無理」などという文字は、彼女の辞書には書かれていないのだろう。


 視界の開けた直線道路をしばらく走り、ツーリングライダー達が休憩に利用するという、京北にある道の駅へ着いた。

「お? 小柄やけど…」

 ライダー達の目は、杏美の小さな体に釘付けになる。

 器用に左足でスタンドを出し、跳ねる様に飛び降りる。

「おお〜! 上手やなぁ。」

 見ていた人の群れから、そんな声が聞こえた。杏美は軽く会釈して自販機へ向かう。見ず知らずの他人に対しても、笑顔で応える。5年の月日は、いつしか“対人恐怖”という深い心の傷を塞いでいた。

 これはバイクと出会い、行動範囲が広がった事が功を奏しているのだろう。ただ、中学生の頃の様な活発さはなく、他人とのコミュニケーションは今も避けている。それは、長きに渡って両親や京子以外の人との交流がなく、人との付き合い方を忘れかけているからなのかもしれない。

 心の奥は、不安定なままだ。



「ぃよっこらしょっと!」

 自販機で買ったお茶を赤いリュックに仕舞うと、再び器用にバイクに跨り、少し走る。

 昔ながらの町並みの中の、喫茶店の居抜きと思しき建物の前にバイクを停め、杏美は扉を開けた。


「今日は! お、お久しぶりです。」

「ん? お、おお、平野ちゃんか。」

 杏美は本当に久しぶりに、鳥研事務所にやって来た。

「石原さんから様子は聞いてるで。バイク乗ってるんやて? カッコええやん。」

 ―えへっ。

 杏美は少し笑顔になって、室内を見渡す。

 しかし…こんなのだっただろうか? 妙に殺風景な気がする。それは長い月日の間にイメージがすり替わっていただけなのだろうか? 


「あの、菊…池…さん? あ、コ、コーヒー飲まはります?」

 上手く話せない。言葉は途切れ途切れになる。

「はは…なんや、緊張してんのかいな? 気楽にしぃや。」

 菊池の、見た目とは違う優しく穏やかな口調。だが、何を言えば良いのかも分からず、同じ言葉を繰り返してしまう。

「コ、コーヒー…」

「うんうん、平野ちゃん淹れてくれんの? 嬉しいなぁ。ほな、もらおかな。」


 カタカタカタカタ――


 カップを置く手が震える。菊池という人物が怖い訳ではない。彼と2人きりというシチュエーションに慣れていないだけだ。

 ―もっと打ち解けないと。

 深呼吸を2回した。菊池の仏頂面は、怒ったり苛ついたりしているのではなく、元々そういう顔なのだ。そう自分に言い聞かせ、一生懸命コミュニケーションを取ろうと頑張ってみる。

 しかし彼の表情には、どこか寂しげな気持ちが読み取れた。

 ―菊池さん、何か抱えてる?

「いやっ!」

「ん!? どした!?」

「あ、ああ…溢れちゃった。」

「そうか。ええよ、気にせんで。」

「菊池さんの分は…あります。あず…私は、別に…飲まんくていいし。」

「ありがとな。」


 もう一度部屋を見渡してみる。島田はどうしたのだろう? 姿が見えないが、探鳥に出かけているにしても、デスクの上があまりにも片付きすぎて殺風景だ。

 その雰囲気から、何らかの歪みがある事は察知した。確かめる如く、もう一度周囲を見渡してみる。


「あ、あの…」

「うん?」

「これ…これ、置いといて、い、い、いいですか?」

 絵本。リュックから取り出し、胸に抱える様に持っているのは、描き上げてから2年、漸く書籍となったあの絵本、「赤い鳥、泣いた。」だ。

「ほう? 絵本か。見せてもうてええか?」

 杏美は菊池に絵本を手渡した。その表紙に描かれた絵。

「アカショウビンやな。ワシらが調査してるのと一緒や。」

 ―パソコンで『TK探鳥ナビEX』見てたから。

「ふうん。え? 作者って平野ちゃん? 平野ちゃん描いたん?」

「は、はい。」

「そうかぁ。上手やし、上手い事ストーリーも作ったんやな。アカショウビンについて言われてる事、しっかり盛り込んだぁるな。うん、面白いわ!」

「ありがとうございます。」

 ―島田さんにも。


「あの…島田さん…は、探鳥に?」

 ―!!

「し、島田か。は、はは…タンチョウ? タンチョウ(鶴)は京都には居らんわ…って、何言うとんねん。なぁ、このオヤジは…」

 ―笑えへん。

 島田はどうしたのだろう? 変な誤魔化しは要らない。不安が膨らむ。しかし言葉に出来ず、杏美は目で問うた。

「あ、あのな…島田は、辞めた。」

「え!?」

「その、な、『TK探鳥ナビEX』の開発に…な、え〜っと専念…したい言うて。」

 ―嘘はやめて。

 この期に及んでまだ誤魔化そうとしている? 何と分かりやすい事か。

「い、いや、ちゃうな。」

 菊池は俯いた。そして、しばし考え込んだ。いや、考え込むふりをして、強く瞼を閉じた。事実は事実として曲げられない。そして、訊かれれば嘘を通すのも良くないのだろう。


「あのな、平野ちゃん。実は事故起こしたんや。島田は責任取る言うて辞めた。」

 予想だにしなかった言葉が、菊池の口から発せられた。事故って、一体どんな? 責任を取る程の、重大な―?

 ―え!?

「きゃああっ!!!」

 杏美は思わず悲鳴を上げた。同時に菊池の瞼が濡れた。

「す、すまん、平野ちゃん。ワシな…ワシ…」



 深夜の田舎町。華やかなネオンとも無縁な、静かな佇まい。明かりは消え、闇が辺りを包み込む。

 杏美は、お気に入りの赤いリュックを空いたデスクの上に置いたまま、泣きながら事務所を飛び出した。

 どうにも処理しきれない衝撃が、杏美の脳裏に鮮明に残る。あれ程元気いっぱいだった菊池の、思わぬ涙。

 罪と罰を語るなら、菊池は何の罪を犯し、何の罰を与えられたと言うのか? 生涯癒えることのない心の傷、そして、失われたもの…

 右足―。

 もう戻ることのない、菊池の右足。彼はこれから先、ずっとこの障害を受け止め、そして受け入れて生きていかねばならないのだ。


 ―菊池さんの傷を思たら、あずの傷なんか全然ちっぽけやん。

 そう思ってみたところで、杏美自身も心の傷は癒えた訳ではない。人と繋がることの恐ろしさ。それを目の当たりにした事。

 何かひとつの食い違いが、それに関わる人達の人生を豹変させる。

 あの、森山とのつまらない小競り合いがそうさせた様に。


「ぅうあああー!!!」

 堪らずに叫んだ。言葉にならない叫び声を、何度も何度も上げた。自分の中から何かが消えゆく様な喪失感と恐怖を覚えた。

 独りぼっちの夜。眠れない夜。

 ―眠剤…?

 杏美はテーブルの下の引き出しから薬を手に取り、コップ半分にも満たない水で苦し紛れに喉へ流し込んだ。

 瞬く間に意識が遠のく。

 ―あ、べ、ベッドに…。

 そう思うのも束の間、ソファに寝そべったまま、杏美は深い眠りについた。

 深く…深く…。

読んでいただき、ありがとうございます。

実は、日多喜瑠璃自身、オフロードバイクに乗っていた経験があるのですが、ホント背が高いバイクなのでよく転びました。

杏美は小柄という設定なので、それこそ鳥のようにチョコンと飛び乗るイメージを持って、読んでみてくださいね。

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