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「赤い鳥、泣いた。」のスピンオフです。
単独でも成立するストーリーに仕上げていますが、合わせて読んでいただけたら、尚、世界観がお伝え出来るかと思います。
京都市右京区、とある中学校。
平野杏美は、小柄だが明るく活発で、元気いっぱいの人気者だった。美女という訳ではない。どちらかと言えば個性的で、笑うと歯茎がチラリと覗く。男子生徒にとって、そこがチャームポイントだったり、或いは苦手なポイントだったりする。サバサバした性格は、“男前な女の子”として好まれる反面、少数のアンチ派も必ずや存在する。
子供というのは、自身の一言に対して“重み”など感じない生き物だ。社会で生き抜くために必要な「オブラートに包む」という事をまだ知らない。だから、人の嫌がる事も平気で言うし、時として人が嫌がるのを見て楽しんでいたりもする。
それは、成長と共に経験を積んで知るものだが、中学生というのはその成長過程にあり、経験度合いにも個人差がある。残念だが、子供のまま成長出来ていない部分も、あって然りなのだ。
であれば当然、杏美の口元について揶揄する者も居る訳だ。しかし、そんな連中でさえ黙らせてしまう程に、杏美の頭脳は天才的だ。
例えば此奴―。
森山悠斗という男子生徒は、人に対する思いやりというものを身に付けるに至っていない、所謂“ガキ”だ。ヤンチャな事この上ないが、不良少年とも呼べない程に、思考回路は子供のままだ。しかし、中途半端に人を、そして世の中を見ているだけに厄介だ。
「おい! 平野!!」
―なんやねん!?
「お前、笑ろたらキショいねん。」
この一言は、クラスの男女問わずその半数以上を敵に回す事になる。とりわけ女生徒にとって、杏美の笑顔は華やかと例える以外にないのだ。そして、男子生徒の少なくとも3分の1は“杏美派”なのだから。
周囲から冷ややかな視線が、一点に集中する。
―こんな不細工な男に言われたくない。
カッパとあだ名の付く少年・森山。兎に角自分を肯定したいがために、他人のウィークポイントを探しては、声を上げる。
「お前もな!」
杏美が反撃に出る。
「お前ってお前、誰に言うとんねん!!」
「お前や。森山や。」
「はあ!? 俺様に呼び捨てすんな!」
「てか、森山はあずに呼び捨てしたり“お前”って言うたりするやん。何であずは“お前”言うたりとか、呼び捨てしたらあかんの? お前、そんな偉いの?」
確かにそうだ。言ってはいけないルールなどない。そこに森山は、よくありがちな反論をする。
「おう、偉いんじゃ。」
皆が笑った。杏美から森山に、決定打が浴びせられた。
「偉い人は、余計な悪口言うたり上から目線でもの言うたりしやへんねん。森山は偉い事も何ともないで。普通の中学生や。私らと一緒や。偉い言うんやったら、生徒会長とかやってみぃ!!」
―わははははははは!
「森山が生徒会長て…この世の終わりや!」
杏美派の皆から笑い声が上がった。森山は、何も言い返せずに悔しさを右足に込め、机にぶつけた。
何と見苦しい事か。
そんな杏美の人生は、この森山悠斗の手によって変えられた。
体育祭。その日、全校生徒がジャージ姿で校庭に集まる。
「おい、カッパ! やれよ。」
「マジでやんのか?」
「当たり前やんけ。泣かしたれ。」
番長と称される男子生徒は、森山をからかい半分で唆した。
「お前、舐められとんねやろ? やったる言うてたやんけ。チャンスやぞ。ヒヒヒ…やってもたれ!」
森山悠斗。此奴の思考回路…その行為の先にあるものを想像する能力もない。自分が悪巧みのターゲットになっているとは思いもせず、番長の指示に従ってとんでもない行動に走った。
楽しそうにお喋りする女生徒達。薄井日菜乃、林由莉奈、そして、杏美。仲良し3人組だ。
森山はその背後にそっと近付くと、体を低くして両手を伸ばし、杏美のジャージを掴んだ。
「え???」
一瞬の出来事に、何が起こったのか解らず、呆然と立ち尽くす。
いつもは感じないはずの寒さを感じる。
―はっ!?
動揺した他の女生徒達も、事態を把握するのには少々の時間を要した。
「あずっ!!」
杏美は、全校生徒の見ている中で、誰にも見られたくないデリケートな部分を晒されてしまっていた。
「早くっ! 囲って!!」
数人で杏美を囲み、ガードする。
男子生徒達が、森山を引き離す。
森山は、ヤンチャな男子達に袋叩きにされた挙句、番長に腕を引っ張られ、職員室へ連れて行かれた。
ようやく事態に気付いた杏美は、その場で泣き崩れた。
体育祭は、思わぬ事件により中断された後、その後の競技は中止された。
まだ落ち着きを取り戻せない、一夜明けた教室。いつも明るい笑顔で登校するはずの杏美の姿は、そこになかった。
当然だろう。あれ程の辱しめを受けておいて、尚もその場に姿を見せる事など出来ようものか。思春期の女の子だ。勝ち気ではあっても、そこまで図太い神経なんて持ち合わせている訳がない。
あんなに活発で人気者だったはずの、1人の女子中学生が…一瞬の出来事のせいで不登校になった。
一方で、森山に指示を出したとされる番長は、「俺は森山をからかうつもりで言うただけです。平野に申し訳ない。」と言って、猛反省している。そして、それは事実であり、本音だ。まさか、森山が本当にやってしまうとは夢にも思っていなかった。
―あのアホが!
番長は、自慢のリーゼントを刈り落とし、坊主頭で平野家を訪れ、土下座で謝罪した。杏美の両親から怒号を浴びせられ、尚も頭を上げる事はなかった。
そんな番長にも、父親は居る。しかし、其奴がこれまたとんでもない事を言う。
―金払たら何とでもなる。
そして、多額の慰謝料を払って事の鎮静化を図るべく、平野家へと謝罪に向かう息子に小切手を握らせた。
しかし平野家は、それを受け取らなかった。受け取って何になる? 過去は消すことなど出来ない。杏美の心の傷は、金なんぞで癒える訳がないのだ。
父親に手渡された小切手を突き返され、番長は自宅に帰る事も出来ず、路頭に迷った。そして苦し紛れに聖護院へ駆け込んだ。
番長もまた、この一件で人生が大きく変わってしまった。
そして、実行犯である森山は…彼も学校から姿を消した。あれだけ大それた事をしでかしたのだから、のうのうと登校出来る訳がない。その後、彼に纏わる噂は後を絶たない。
森山は、以後転落の一途を辿ったはずだ。果たして今、何処で何をしているのだろう?
「沼に帰った」などと笑う者もいるが、自身が放ったつまらない悪口が発端となり、相手を、周りの人を、人生が変わる程に傷付けるに至った結果、学校から姿を消す事になり、自分の人生までをも変える事になってしまった。
この事実に彼は、大人になってからもずっと悔いていく事になる。背負ってしまった過去は、消す事は出来ない。それは誰しも同じなのだ。
杏美と仲が良かった日菜乃、由莉奈の2人は、その後、杏美の自宅に何度も通った。
もちろん、「学校に行こう」などとは言えない。杏美の気持ちを思いやれば、その言葉はあまりにも残酷だ。ただ、元気を取り戻して欲しい。今まで通り、楽しくお喋りしたい。本当にそれだけの思いで、この日も杏美の自宅を訪れた。
「あず…」
2人は、ドアの前で何度も杏美を呼んだ。彼女はなかなか応えてくれなかった。
それでも、大切な友達を救いたい。その必死の思いは、1週間が過ぎ、漸く届いた。
「ひな…ゆっぴ…」
ドアの向こうから、杏美の力無い涙声が聞こえた。
「あず…顔、見せて欲しいよ…」
「ごめんなさい。ひなも、ゆっぴも…あずを助けようとしてくれてる。それは分かってる…会いたい。でも…」
「でも何? 私らで良かったら、何でも話して。」
「ごめん。あず…人が…人と会うのが怖い…」
―この街に住むみんなが怖い。
杏美はそう言うと、ドアの向こうでまた泣き崩れた。
「あずと会うたら、ひなも、ゆっぴも、みんな変な目で見られる…」
「そ、そんな事ないって! あずも全然変な目でなんか…」
「見てる…この街の人が、みんな見てる…」
―あず!!
「2人はあずの大事な友達。いつか、絶対帰ってくるから。」
そう伝えると、杏美は2人に別れを告げた。そして、学校に関わるすべての人との交流を絶ち、住み慣れた街を去った。
日菜乃と由莉奈。彼女達もまた、杏美との楽しい中学校生活を奪われてしまった。それは、ある意味被害者とも言える。胸が苦しい。残された1年半の中学校生活に、明るい光を失った。そんな思いをそれぞれ抱いていた。
その後杏美は、京都市の北の外れ、森の京都と呼ばれるその地域に住む事になった。
町外れの小さなログハウス。それは、平野家の別荘だ。小学生の頃から夏休みなどを過ごした、杏美にとっても馴染み深い土地である。
無茶とも言えそうな14歳の少女の1人暮らしだが、事件の前の京都市内の実家に近い安心感を覚えた。
そしてこの地に住むようになり、杏美は野鳥が好きになった。
自宅(別荘)周りを飛び交う小さな生き物。まん丸い目。その動き。その愛らしさに、杏美は魅了されていった。
読んでいただき、ありがとうございます。
まずは、主人公・平野杏美が他人との交流を絶ったいきさつからのスタートです。
ちょっと衝撃的だったでしょうか。
人の心って、一瞬の出来事でズタズタに崩れるんだなって、書いている自分自身も怖くなりました。
杏美はどの様に回復していくのか。
是非、次回もよろしくお願いします!