ラスト・カーニバル
序章 幻影
何時も記憶の片隅に浮かぶのは、賑やかな音楽と煌く光。それは、遠くにも近くにも感じられる。まるで目の前で繰り広げられているようだった。光と影が交錯し合い、ソレは最後に見た光景と似ていた。それは、夢なのか、幻なのか、浮かんでは消えていく。それは、ただの夢なのか、何時の記憶なのかは解らない。その光景は、時々、同じ場面が重なり合うかの様に浮かぶ。
目の前で、繰り広げられている、カーニバル。色々な色の光の遊園地。そこの広場には、サーカスのテント。派手な衣装の芸人に混じって、一人、離れた処に、黒い衣装のピエロ。カラフルなイメージとは、ほど遠い。黒いピエロは、子供達に、いろんな色の風船を配っていた。何故か、誰一人同じ色では無かった。どこから取り出すのか、気付いたら、パッと取り出していた。何も無い宙から、始めからそこにあったかの様に、取り出しては、渡していた。不思議だった、まるで魔法の様で。その黒いピエロの肩には、彩色鮮やかな鳥を乗せていた。
黒いピエロと、彩色鮮やかな不思議な鳥。
―それは、幼い日の想い出。
幼い頃、近くの遊園地で、毎年行われているカーニバル。それに公演に来ていたサーカス団。そのサーカスを見に行くのを、毎年楽しみにしていた。一番の想い出は、黒いピエロ。
黒いピエロは、私に風船を渡してくれる時、何かを囁く。だけど、その囁きは覚えていない。だけど、貰った風船の色は、とても綺麗な空色だった。
あれから、どれくらい、時は過ぎ去ったのだろう。
久しぶりに、幼い頃の夢を見たせいか、朝から憂鬱な気分。幼い頃の自分と今の自分との間に、ギャップを感じる。
戻れない、その現実。私は、歩みを止めたまま、蹲っている。
一章 戸惑い
実家から、かなり離れた都市にある大学に、通っている。
特に何かに興味があった訳でも、やりたい事がある訳でも無かった。ただ、実家から離れた場所に、居たかった。
特に何もしないまま、大学三年。周りの学生達の殆どが、進路を決めて、それに向かって頑張っている。だけど、私は、何もせず淡々と日々を過ごすだけ。
取り残されている思いは、無い。自分は、何をすればいいのか解らないだけ。
私自身、自分の事を理解出来ない。そんな気持ちだった。
一人暮らしには、広すぎる、マンションの最上階の部屋。ベランダには、激しく雨が打ち付けている。
「……もうすぐ、梅雨が明けるのか」
呟くと、気が抜けていく。ぼーっと、していても仕方ない。起き上がって、濃いめの、コーヒーを淹れる。
大学三年になって、不登校の半ば引きこもり状態。それが、今の私の現状。
コーヒーを啜りながら、窓に映る自分を見つめる。
―私、何がしたいんだろう?
そう思った時、スマホの着信音がする。久しぶりに着信音を聞いた。ただ、放置したままだったんだけど。この着信音は、友人の千早。私は、友人を作らなかった。だけど、気の合った人となら、付き合っていける。私が、電話が苦手と言ったら、メールで要件を伝えてくれる。少ない友人の一人。
『そろそろ、出てこないと、ヤバいよ。留年になるよ』何時も、気遣ってくれる。千早は少し変わっている。彼女もまた、気の合う人としか、進んで付き合おうとしない感じがする。だけど、彼女には明確な目標がある。そういう人って、羨ましいと思ったりする。
私は、世間で云う、引きこもりなのかな? いや、違う。私は、見失っているだけ。その見失っているモノのせいで、歩みが止まってしまっている。それは、言い訳かもしれない。
千早からのメールで、重い心と身体を引き摺りながら、大学へ向かう。留年はしたくない。先のコトは、見えない。でも、取りあえず、卒業だけはしよう。それだけ、しか考えられない。
気怠い自分に言い聞かせて、部屋を出た。鬱陶しく雨は降っている。だからといって、夏は夏で嫌い。
大学に着いて、久しぶりに千早達に会った。少しだけ、気分が晴れる。
「久しぶり、元気だった?」
そう言ったのは、友人の一人、留美。彼女は、何時も元気一杯だ。その元気が何処から生まれるのか、知りたかった。私が休んでいる間に、髪型を変えていた。就活あるのに、ウェーブをかけた髪の毛。
「元気じゃないよ。憂鬱モード。今年は、何時もより多いんだよ。そんな状態では、ダメなのに」
溜息混じりに言う。
全ては、あの夢。このところ、毎日見ているような気がする。
何時も、私の事を気遣ってくれるのは、この二人。他の学生達の様に、サークル活動にバイト、就活なんて、無気力な私には、遠いセカイに感じる。
休んで引きこもっていた間の、ノートのコピーを貰う。かなりの量だ。
これは、ヤバい……かもしれない。
「ねぇ、もうすぐ夏休みだけど、遥は如何するの?」
すっかり夏休みモードの留美が、問う。そういうところが、少し羨ましく思うのは、どうしてだろう?
「夏休み? 私、ペナルティーがあるから、それが先。何も考えていないし、決めていないよ。さっき、呼び出されて、色々な先生や教授から、追加レポートを提出するように言われたし。就活は放置。でも、卒業だけはしたいし」
我ながら、情けなくて、苦笑い。
「そっかぁ。ねえ、遥、秋場ゼミの旅行は、如何するの?」
千早に、言われて、私は驚いた。
「あの話、本気だったの、教授?」
「うん。半ば強制的に決めた様だよ。人数多い方が団体割が利くらしいとかで。
ヨーロッパ方面。参加は、旅費も掛かるしお金の問題もあるから、参加は強制じゃないけど、遥は如何するの? 私ら二人も行くけど」
と、留美が数冊のパンフレットを出してきた。私は、はあと、いう感じで受け取り、何気なくパラパラとページを捲って見ていた。ヨーロッパだけあって、古城関係の観光が多い。世界遺産巡りとか。ページを捲っていた手が、ふと止まった。
“世界最大のサーカス団。本拠地での公演観覧”
それに、胸の奥で何かが、引っかかって痞える感じがした。
―夢の影響かな? それとも……。
「サーカス、かぁ」
何気なく、呟く。懐かしいモノ。だけど―。
「あ、これ知っている。世界的に有名なサーカス団だよ。遥、こういうのが好きなの?」
留美が覗き込む様にして、そのパンフレットのサーカス団の写真を見る。
私の知っている、サーカス団は、あのサーカス団だけ。そう思ったら、胸が疼いた。
「そういうわけでは、ないよ。ただ、サーカス団にも色々あるんだなって、思ってさ」
答えると、何故か、幼い日、想い出のサーカス団と、あの黒いピエロの姿が、心を過った。そして、同時に、堪らない、切なく寂しい思いになってしまった。
「どうかしたの、遥。ぼっと―して」
黙り込み、写真を見つめる私に、心配そうに千早が言った。
「ううん。何でもない。この記事を読んでいたら、ふと、子供の頃を思い出してしまって」
何かが胸に痞える感じがして、お茶を一口飲んで、溜息を吐く。
「なにか、あったの?」
留美が言った時、背後から別の声が掛かった。
「お、亜麻見。今日は、出て来たんだな。お前、何を抱え込んでいるのか知らないが、もう少し、ちゃんと出席しないと、マジでヤバいぞ」
幻想文学ゼミの秋場教授。海外の幻想文学を翻訳したり、その深層心理などを考えるのが主。飄々としていて、年齢不詳的で掴み処の無い不思議な人。
「はい。自分でも、よく解っています」
なんとも言い難い、作り笑みを浮かべ答えた。
「それなら、出席しろ。それから、夏休みに行くゼミの旅行。ヨーロッパ方面だけど、その辺りで行きたい処あるなら、意見出しておけ。……おっ、サーカスか。しかも、チケット取るの難しいサーカス団。その地元で公演か。ツテでも、日本公演の時、チケット取れなかったからなぁ」
そのパンフレットを、持ったまま、秋場教授は一人、何か思案に入って、独り言を言っている。こーなったら、暫く、自分のセカイに入ってしまう。学生から、変人扱いされるのも、解る気がする。
「ねぇ。遥。幼い頃の思い出って、どんなことがあったの? 聞かせてよ」
と、留美。教授は一人のセカイに入ったままだ。
あまり、話したくはないけれど
「幼い頃、住んでいた町にあった遊園地。そこで毎年カーニバルがあったの。そこに、サーカス団が公園に来ていたの。小さいサーカス団だったけどね。その、サーカスを毎年見に行っていたの。だから、私にとって、サーカスっていったら、想い出なの。懐かしいモノがあって、さ」
仕方なく答えた。それだけなのに、切なさが込み上げてくる。
「そういうのって、なんだか良いよね」
千早が言う。ちょっと違う気分だけど。
「亜麻見は、サーカスに興味があるのか?」
私達の話が耳に入ったのか、教授は、こちらのセカイへと戻って来る。
―興味? なの? 違う、想い出でしかない。
「多分、そうなのかもしれません」
返答に困り、取りあえず、差しさわりのない答えを出した。
「ふ~ん。そういえば、何かの雑誌に、色々なサーカス団の特集がされていたぞ。興味があるのなら、探して読んでみろよ」
と言う。その先、なにか言いたげだったけど、チャイムが鳴ったので、教授は講義を始めた。
幻想文学ゼミ。表向きは、海外の小説の翻訳などや、その国の民俗文化などを学ぶ。一方で、神智学的な部分もあるが、それを、ファンタジー・民俗伝承とかで、誤魔化している。建前は、翻訳考察。だからといって、会話が出来るわけではない。辞書と自分のセンスの世界。外国語のゼミは、真面目なゼミとしてあるけれど、ここは、ヲタク系。秋場教授も変わり者、ゼミの学生も変わり者として、大学内では言われている。そのかわり、他のゼミより、何故か就職率が高い。大概、出版社。今日は、前期のまとめの講義。サボってたから、良く解らない。
「さっきの話、また聞かせてね」
留美が耳打ちする。私は、小さく頷く。
少し前、流行った、海外の異世界物の小説の話。それを、その国ならではの文化が残っているから、設定がしっかりしてる等々。ノートのコピーを見ながら、ホワイトボードに書いていく事と照らし合わせて、写していく。教授は、何故か、異世界の魔法使いの話を、理論で解説している。何の講義か解らない。千早は、それについて、納得している。解るのが凄い。
午前の講義が終わる。選択している講義の殆どで、説教された。
私達三人は、旧館にあるカフェに行く。
「来週から、前期のテスト。それで、ほぼ決まるのかぁ」
留美は、参考に貰っていた、求人票の束を見て言う。
「成績だけじゃあなくて、何を学んだかにもよるよねー」
捲りながら言う。
「千早は、ほぼ決定だから良いよね。ねぇ、遥は?」
留美が問う。
「解らない」
としか答えられない。
事実、そうである。何も考えれない。その理由は、なんとなく解るけれど、言えば言い訳にしか過ぎない。
「あ、そうそう。遥、さっきの話の続き、聞かせて」
求人票の束をしまい、留美が言う。
……話さないといけないのか。内心、溜息。
幼い日の想い出。私は、何故かソレに縛られていて、未来が見えないのでは無いのかと思う。
「えっと、小さな遊園地。テーマパークの様な処では無くて、昭和のバブル前の様な、遊園地。うーん、デパートとか大型モールにある、ゲームセンターの隣にあるような、小さな子供向けの乗り物とか遊具がある、そんな感じの遊園地を考えてみて。その頃の私は、まだ幼くて、メリーゴーランド位しか乗れなかった。その遊園地のイベント、カーニバルがあったの。その時は、サーカス団がやって来て、それを見に行くのを楽しみにしていたの。昔ながらの、サーカスだよ。アナログ。その時期になると、毎年、ワクワクしていたのを覚えているよ」
先ほどのパンフレットを開く。まったくの別のモノ。これはこれで、凄いのかもしれないけれど、サーカスといったら、あのサーカス団でしかない。
「昔ながらの、アナログなサーカスか。でも、このサーカス団は、最新式の設備と技術。そして、デジタル演出」
と、留美。
「私、運良く、このサーカス団のチケット取れて、見に行ったけれど、ステージ遠すぎ。だから、モニター画面だったよ。同じ会場なのに、モニターで見るなら、DVDで観るのを変わらないって思った。遥は、その思い出のサーカス団以外の、サーカス団を観た事あるの?」
留美の問いに、首を振る。
「無いよ。そのサーカス団だけ。大きくて、それなりに名の通っているサーカスを観てみようかと思ったけれど、チケット取れないし。何かが違うんだよ、ね。この、パンフレットのツアーだったら、チケット付だけど。皆の意見、自由行動とかでも、無理かも」
溜息混じりに、言った。
「なら、教授に直談判」
千早が言う。
「休んでいるばっかりの私が、意見出せないよ。それに、サーカスに興味があるっていうのは、幼い頃の、あのサーカス団の想い出が強いから」
また、胸が痞える感じがする。そして、それは痛みにも似ている。それに、顔をしかめていると
「まだ、何かあるの?」
二人は、興味深そうに、私を見る。どちらかといえば、私は聞き役タイプ。自分から喋るのは、苦手。
でも、想い出のサーカス団の話を聞いて貰えば、胸の痞えは取れるかもしれない、私は、深呼吸して
「あのね。そのサーカス団には、一人変わったピエロがいたの。他のクラウンって言うのかな、その人達は派手な服でおどけていたけれど、そのピエロは、何故か全身黒色の衣装で、白い顔に赤い涙の雫。そして、何時も、肩には、変わった派手な色の鳥を乗せていたの。不思議だったのは、集まって来る子供達に、何処からか取り出す風船を渡す事。ヘリウム入りの風船。隠し様が無いサイズをどうやって、何もない宙から取り出すのかが、不思議だった。しかも、一人一人、皆違う色の風船」
思い出してみる。その情景は、色褪せていない。
「とにかく、不思議だったよ。どんな手品にも、タネも仕掛けもあるのだろうけど、あれは、物理的に無理っぽい。今、考えても。でも、幼い頃は、不思議で一杯だったな」
何だか、想いだすにつれて、逆に、胸の痞えは痛み疼き始める。どうして、そんな事になるのか、解らない。……辛い。
「そのピエロが、幼心に印象的だったから、イコール、サーカスなのかもしれないよ。風船は、何かトリックがある。プロなら、そういう風に見せる」
留美は、追加したドリンクを、飲みつつ言う。
「―それは、あるかもしれないけれど。初めて、両親に連れられて、その遊園地に行った私は、はしゃぎ過ぎた私は、迷子になって、一人ぼっちで泣いていた。その私に、声を掛けて、両親の所に連れて行ってくれた。それが、黒尽くめのピエロ。それから、毎年、サーカスを観に行く度に、私に声を掛けてくれて、何処からか取り出した風船をくれた。それが、幼い頃の一番良い想い出。だから、多分、今になっても“サーカス団”が、気になるんだと思う」
話し終えると、私は深い溜息を吐く。胸の痞えと痛みは、酷くなっていく一方。それを打ち消そうと、アイスティーを一気に飲み干した。しかし、喉は潤ったものの、胸の痞えは、そのままだった。
子供達、其々に違う色の風船を配っていたピエロ。私が、最後に貰った風船の色は、どんな色だったのか覚えていない。でも、初めて貰った風船の色は、今でも、ハッキリと覚えているのに。そう、綺麗に晴れ渡った澄んだ青い空色。でも、どうしても最後に貰った風船の色だけが、思い出せない。思い出そうとすれば、胸が痛む。
「そういうのって、初恋って、言うんじゃないの?」
留美が意味深に笑って、言った。
「え?」
思いがけない言葉に固まってしまう。そういう話題に振られるなんて、考えてもいなかった。こういう時って、どう返答すればいいの?
サーカス団と、あの黒いピエロが、気になるのは、私にとっての初恋だったの?
自問自答してみたけれど、その様なコトそもそも理解出来ない。
「幼い頃の初恋って、本人の自覚無いから、多分、無意識的な記憶として、残っていて、それが、何かによって、複雑な思い出になっているんじゃないのかな?」
困った表情が出ていたのか、千早がフォローしてくれる。私は、すぐに顔に出るらしい。だから、余計な事まで、探られてしまう。
「解らない。でも、毎年、逢うのが、凄く楽しみだった。何故かは解らないけれど」
千早の言葉と、幼い頃の感情を同時に考えてみたけれど、何かが違う。
その『何か』が、なんであるのか、解らない。
「初恋の思い出かぁ。いいな、私も恋したいなー」
留美は、一人でウットリしている。私には、理解不能。その様なコトを理解するのは、多分、この先も無いだろう。
午後から、別々に受けている講義に出る。やっぱり、説教された。心配されるし呆れられる。はっきり言って、仕方ないから大学進学したのが本心。先は、判らない。比較的仲の良い学生から、ノートをコピーさせてもらう。こちらも大量。その学生が
「精神的に辛いなら、休学して、身体と心整えてから、また復学すれば」
と、アドバイスしてくれた。私、傍から見ると、無理しているのかなぁ。
人間関係の距離というのも、よく判らない。幼い頃の記憶。そこが、原因だけなのは、よく判っている。そして、その先には、必ず、あのサーカス団と、黒いピエロの存在がある。想い出なのか、留美の言った、幼心の初恋なのかは、解らない。だけど、黒いピエロの事を想うと、胸が痛むのは、どう説明すればいいのか、教えて欲しいくらいだ。
過去に囚われていて、現実が見えていないのかもしれない。そう考えると、溜息しか出てこない。
来週からは、前期の試験と、サボっていた間の補講とレポートの山。
放課後には、就職セミナーがあったが、始めから参加するつもりはなかった。
別に今、就職という考えでは無い。今は、自分を立ち直させるのが先。そうしないと、何も解決しない。それに、根源の一つの親子関係も影響している。両親をどうしても、赦せない。それが、心の中にあり続ける限り、私は、立ち止まったままだろう。
―だから、なんなの? と、自問自答する。
雨は小雨になっていた。構内の庭にある池や茂みからは、カエルの鳴き声がしている。大きくなりすぎた紫陽花の木が、ピンクや青色の彩りを緑の葉っぱの色を際立たせている。葉っぱの上の、カタツムリは、風が吹く度に殻にとじこもったり、出てきたりしていた。
秋場教授の言っていた雑誌を探すため、大学近くの本屋へと向かう。大型書店なので、一日いても飽きない。店の中は、エアコンが利いていて快適。そのためか、何時もより立ち読み客が多い。
本屋や図書館が、好きだ。たくさんの本。何時か世界の本を全て、読みつくしてしまいたいという、無謀な思いがある。世界のあらゆる本を読みつくした先に、何があるのか? 考えているだけで、楽しい。その様な事を、ずっと遠い昔、考えていた様な気がする。幼い想い出では、無くて。遠い昔。
久しぶりの本屋、欲しかった本を片っ端から、カゴに入れていく。教授の言っていた雑誌、というより、専門誌ムックの様な本を見つけた時、カゴは、ずっしりと重くなっていた。
父親からは毎月、多額の生活費とお小遣いが送金されてくる。マンションは、まとめて四年契約。学費も予め、指定の口座から落ちる様になっていて、その講座の金額でさえ、そんなに必要なのかと思ってしまう。他の学生は、アルバイトを掛け持ちしているのに、私は、父親からの送金のみで、自由に暮らしている。でも、それにたいして、引け目を感じたコトは無い。
父親は、父は、仕事の成功以来、人が変わり拝金主義者となってしまった。それもあるだろうけれど、崩壊した、幼かった頃の家族関係。父への嫌悪。父は、それを知っていて、私に対しての申し訳なさを、お金で埋めている。
私と、父と継母との間にある溝は、深くて遠い。そこに家族関係なんてものは、存在しない。あるとしたら、金銭のみ。成人した今、親を見限ってしまえば済むものだけど、学生の間は、という甘え。
―無気力。無関心。トラウマ。そんな言葉しか出てこない。それは、何処からはじまったのか? 考えると、憂鬱になる。
すっかり重くなってしまったカゴを、レジへと持って行く。レジには、何時もの店員がいて、挨拶をしてくれたので、私は頭だけ下げた。
「何時も、沢山かってくれますね? 文学部なの?」
「ええ、まあ。でも半分は、趣味です」
会話は苦手。
「へー。ありがとうございます。重いから袋二重にして、あと、雨だから、一応ビニール袋に入れておきましたから」
二重になった紙袋の中には、数冊に分けられてビニールの袋に入っていて、大きな紙袋には、雨除けのビニールが掛けてあった。
「ありがとう」
受け取ると、思っていた以上に重かった。
店の外に出ると、暗くなっていた。相変わらず雨はシトシト降っている。時刻は、午後七時前。腫れていたならば、まだ明るい。二時間近く、本屋にいたのか。重い本屋の紙袋を下げて、駅へと。帰宅ラッシュにあたり、何時もより人の多い電車。久しぶりの満員電車は、辛いモノがあった。
自宅のある駅に降りて、溜息。
買った本を読みたい。でも、試験勉強に追加のレポートの山。それは、私が、引きこもってサボっていた、代償だから、仕方の無いこと。
「―代償」
そう呟くと、なんだかとても悲しいというか、寂しいモノを感じた。
自分の部屋に帰り着くと、ホッとする。エアコンをいれて、買った本を整理する。
父の事を嫌悪する一方、経済的に依存している。そんな自分が、嫌だった。でも、思っても現実は簡単には変えられない。
実家から、遠い大学を選んで入ったのも、あの家から逃げたかったから。就職も考えたけれど、高卒就職は許して貰えなかったし、自分自身に自信が無かった。実家を遠く離れ、自分の時間を作って、考えをまとめたかったのかもしれない。でも、何一つ出来ていない。
私にあるのは、幼い日の想い出だけ。それが、まとわりついて現実の事に追いつけない。このままでは、ダメだ。
そんな考えを振り切り、期限の迫っているレポートに取り掛かる。レポートの山と、試験勉強に、一区切りがついたので、秋場教授の言っていた、サーカス関連のムックに目を通す。世界の色々な、サーカス団。主に中規模から大規模の有名サーカス団が中心。活動の歴史や、出演者のインタビューが載っている。私的には、それに対しては興味が無い。むしろ、それらのサーカス団の歴史や、出演者の思い入れに、興味がある。
そのムックに、サーカスについての歴史が綴られていた。
『世界最古のサーカス。動物に芸をさせたり、寸劇を披露する見世物が、古代エジプトにあったとされ、それが、やがて、古代ローマのコロッセオみたいな劇場タイプへと変わって行った』まとめると、そんな感じ。
サーカスといっても、今はデジタル演出との融合や、大人数で演ずる派手なものが定番。世界的に有名な大きなサーカス団は、全てコンピュータのプログラミングにそって、プログラムが決められているとか。
幼い頃に観た、あのサーカス団は、昔の形式のまま、今も続けているのだろうか? 幾ら有名なサーカス団について書かれていても、それは知識にしかならず、私にとっての、サーカス団は、あのサーカス団しか在り得ないのだから。
私は、どうしても、あのサーカス団の黒いピエロが、気になっている。理由は、単なる想い出だからなのか?
ページを捲っていると、サーカス関係の求人情報が少しだけ載っていた。興味はあるが、エンジニア系。あと、通訳。芸を希望なら身体能力。
無理だ。精々、簡単な外国語程度。この様な特殊な求人は、どこで入手するのだろうか? 少なくても、大学の求人センターには無かった。あったのは、イベントの雑用バイト。
「もし、何かの切っ掛けが在って、この様な業界に入ったらな、あの黒いピエロに逢えるのかな?」
思いながら、本を閉じて、溜息。もはや、溜息はクセだ。
前期の試験と、ペナルティーのレポートや補習・追試が終わり、皆と遅れての夏休みとなった。秋場教授の言っていた、ゼミでの旅行は、お金の事もあり、行ける人と行けない人に別れた。積み立てていたお金で、行けれなかった人のお土産を買う事で決まった。基本行けれる学生は、強制参加とか強引だ。
私は、どちらでも良かったが、千早と留美が行くので行く事にした。……強制参加……だけど。
パスポートも出来て、後は旅行用品を買う。如何するべきか考えていたら、千早と留美に誘われて、一緒に買い物に行く約束をした。
パスポートの申請で、どうしても必要な書類を取り寄せるのにし方がなく、実家に連絡したら、父は
「充実した学生生活も、ゼミで行く海外旅行を楽しむのに、沢山あって困ることはないから。学生生活を楽しみなさい」
と、多額の金額を送金してくれた。私は、むしろ、そんなお金の面より、この先の相談を聞いて欲しいと思ったり、心配して欲しい。
父は、高校中退して、祖父からの小さな町工場を手伝って、継いだ。だから、学生生活や、若い頃は、仕事しかしていない。玄孫請けの様な小さな町工場。経営は厳しかった。幼い頃の記憶だから定かではないが、所謂、低所得だったのかもしれない。それが、とある機械に必要な、とても重要な部品の注文が来た。色々な、企業や大きな工場、町工場にも発注を掛けたけれども、何処も、その重要な部品を造る事が出来なかった。だけど、長年の経験なのか、運が味方したのか、学歴すらない、経営難の小さな町工場の父が、それを完成させた。
成功したのは、父一人だけだった。その事で、全てが変わった。
経営難の町工場は、あっと言う間に中堅企業の工場に、そして、特許や開発技術の権利とかで、一流企業の仲間入りをした。とても重要な部品だけあってか、父の技術力と発想力を、大手が引っ張りだこになった。
それから、私達家族の生活が一変してしまった。
もともと、症庶民。仕事の成功で、あっと言う間に、成り上がり。付き合う人達も変わった。ハイソな人達との付き合い。上流社会。そういう世界で、上手く立ち回るには、付き合い方は、父は知っていたのだろうか?
まあ、何もないならそれでいい。孫請け工場だけあって、顔色伺いは上手いのだろう。飽く迄も、相手を立てて腰低く付き合っているのだろう。そこは、私は関係ない。
時折、父と別れて再婚している実母からは、連絡があるけれど「元気でやっていますか。こちらは、大丈夫です」の一言だけ。父の事にも、私の現状や将来の事にすら触れようとしない。実弟がいるけれど、その話も無い。
実弟とは、生まれてから、一年くらいしか暮らしていない。その一年から二年の間に、全ての事が大きく変わってしまった。生れたばかりだった実弟も、もうすぐ、中学校卒業する頃だろうか。
身内の事を考えると、憂鬱になってしまう。私だけ、身内の中で独りっきり。
逆に考えれば、自由。だけど、気分は沈んでしまう。
その複雑な思いを振り払う様にして、千早と留美との、待ち合わせ場所へと向かう事にした。
照り付ける夏の陽射しが、引きこもり的生活の自分にとって、眩しすぎる。煩くて頭がクラクラする様な、セミたちの鳴き声。木々の多い公園ならでは、そんな、猛暑な公園で、子供達はセミにも劣らない程、元気に友達と叫びあっている。その光景を見ていると、少し羨ましく思うのは、如何してなのかな?
待ち合わせの場所に、すでに千早は来ていた。私の姿が見えたのか、千早は元気に手を振った。私は、軽く手を振りかえし、速足で千早のもとへ向かった。
「おひさ、毎日、暑すぎるよね。元気だった?」
扇であおぎながら、千早は言った。白檀の扇子。細かい文字が刻まれている。
千早いわく、「魔除け」らしい。私は、汗を拭いて、頷く。そのまま立って、ハンカチで扇いでいると、必死な表情で留美が走って来た。
留美は、明るくて元気なのは良いのだけど、少しルーズなところがある。それを本人は、自覚しているのかは解らない。今日は、完璧に遅刻。留美は、汗だくで平謝りだった。私が言える立場ではないけれど、留美は講義にも遅刻してくる遅刻魔だった。
留美が、落ち着くのを待って、私達は、旅行用品を買うべく店へと向かった。
レンタルセットがあったし、旅行会社が一式揃えてくれるプランもあったけれど、留美が
「どうせ買うのなら、自分の気に入った物がいい」
と言ったので、こうして買い出しに出掛けている。それは、それでいい。千早も私も、賛成だった。でも、きっと、誰かと旅行なんて、最初で最後。新しい思い出を創れば、幼い頃の切ない想い出を上書き出来るかもしれない。そうすれば、先へと進む道が見えて来るのかもしれないと願っている。
こうして私達は、一通りの旅行用品を買い、大きな物は配達して貰うようにして、繁華街から少し離れた処にある、商店街の定食屋で、遅めの昼食を食べる。値段が安い割に美味しく、食べ放題コースもある。留美が行きつけにしているらしい。誰かと、食事をするのも、夏休みになって初めて。人ごみも始めてで、少し疲れたけれど、たまにはいいかなって、思う。
食事を終えて、店を出たところで、意外な人達と合ってしまい、今までの気分が台無しになっていくのを感じた。
―なんで、こんなところで。
あえて、気付かないフリをしていたら、相手から声を掛けて来た。
「お久しぶりです、遥さん」
軽く頭を下げる。如何して、こんな処で? 絶対に会う事はないであろう土地なのに。知らないフリが出来る程、私は器用じゃない。それが出来れば、少しはマシなのかもしれないけれど。仕方なく、私は無言で会釈を返した。
「知り合いなの?」
留美が問う。留美は、時々空気が読めない事がある。千早は、察しが良すぎるところがあるのか、バツの悪そうな感じを漂わせていた。
「あ。お姉ちゃまだ」
その言葉に、二人が同時に「えっ?」と、こぼした。
「妹?」
千早が耳打ちする。
「うん。腹違いの、ね」
相手に聞こえない様に、千早に答えた。千早と留美は、私に対して、申し訳なさそうな態度になる。私の嫌悪感が滲んでいるのだろう。
「お久しぶりですね、路子さん、望ちゃん」
淡々と挨拶する。そこには、なんの感情も無く、ただ早くやり過ごしたかった。
「こちらこそ。遥さんも、お元気そうで。そちらの方々は、大学のお友達?」
気を遣っているのかいないのか、相変わらずオットリとした口調で、にこやかな笑みをたたえている。
「ええ。同じゼミの友人です。―こんなところで、何かあったのですか?」
質問に深い意味は無い。何故、この母子がいるのかが知りたかった。
「はい。この近くで、望の好きなアニメのイベントがあったの。如何しても行きたいって、駄々をこねられて、それで。遥さんは、お買物? 今度、ゼミで海外旅行に行かれるのでしょう」
悪い人ではないけれど、好きになれない。
「はい。中世と幻想文学の旅とかで、教授が決めたんです。―それでは、路子さん、父によろしく」
早く話を切り上げ様としているのに
「夏休みなのだから、帰って来ては如何?」
と路子さんは言ったけど、私は
「せっかくですけれど、今、友達と一緒だし、この後も予定があるんです。夏休みも、色々とやらないといけないコトも、ありますし。では、父の事をよろしくお願いします」
「あら、一緒にお茶でもと、思ったのに」
空気読んでよと、内心、毒づく。
「ごめんなさい。友達と一緒です。それじゃあ、失礼します」
建前で一例して、何か言いたげだった路子さんを無視して、その場から離れた。
手を振っている無邪気な望ちゃんには、少し悪いなと思い、愛想で手を振ってあげた。私は一人で歩いていく。千早と留美が、困惑しながら付いて来るのがわかった。
頭では、大人気無いと解っている。路子さんにも、望ちゃんにも、罪は無い。だけど、私の心は、継母である路子さんの事を拒絶していた。千早と留美は、軽く会釈して、速足で歩いていた私に、追いついてきた。なんだか、厄介事が増えた様な気がする。しばらく私は、無言で歩く。きっと、ムッとした表情か、今にも泣きそうな表情が、顔に出ていたのかもしれない。完全に、路子さん達から離れた辺りで、
「私の家は、両親離婚しているんだ。母は再婚しているけれど、私の家は、少し特殊だから……」
気遣ってくれるのか、千早が何時もの明るい声で言った。確かに、千早の家は。
二人に、嫌な思いをさせてしまた様で、申し訳なかった。
「ごめん。私、路子さん・継母とは相性が悪いし、なんか折り合いが悪いんだ。私、父とも破綻している感じだし。義妹の望ちゃんには悪いけれど、どう接していいのか解らないし、上手く振る舞えないんだよ」
溜息混じりに言う。二人には、私の路子さんに対する言動はどう映っていたのだろう。
レンガを敷き詰めたモザイク模様の歩道。照り付ける陽射しで、熱くなっているのが、靴底から伝わってくる。所々、店先には、打ち水の跡が残っている。
「気にしていないよ。遥も、凹まなくてもいいじゃない。それより、これから如何する?」
留美は、何事も無かったかの様に言う。空気読めないところが、幸いしたのか、その一言で、私は、少し楽になった。留美は、買い物をしまっくった為、両手一杯の買い物袋を抱えている。
「お店、巡り」
と、留美は元気に言った。明るく振る舞えるって、凄い。
私には、出来ない……。
それから、気を取り直して、色々と店を巡る。留美は、入る店で何か買っては、荷物を増やしていた。
「重い、重いよー」
と、両肩両腕に買い物袋を担ぐようにかけ、両手に袋を提げている。
「そんなに買うからだよ。重いなら、まとめて配達してもらったら?」
千早が、呆れ顔で言う。
「せっかく、バイト代が思ったより入ったから、なんか、パーッと使いたい気分なんだもん。まー配達してもらう程でもないし」
留美は、荷物を降ろすと、肩や腕を揉みむ。
と、そこへ、オープンしたばかりのネットカフェの宣伝をしていた、何かのキャラクターのコスプレをした人がやって来て、私達に、チラシと割引クーポン券、そして、ド派手なオーロラカラーのアルミ風船を一個づつくれた。
―風船かぁ。風船といったら、幼い日の想い出なんだよなぁ。貰った、アルミ風船を見つめ、心の中で呟いた。
留美の休憩が終わり、また両腕一杯の荷物を抱えて、歩き始める。貰った風船は、紙袋の持ち手の所に括りつけている。歩く歩調と風に、風船は揺れていた。
他愛の無い話をしながら、商店街を歩く。夕方になって、少し気分的に涼しくなった感じ。相変わらず、微風なのが暑苦しい。留美が、ベンチを見つけて、休みながら、荷物の整理をしたいと言ったので、私達は、そのベンチに腰を下ろした。
「はあ。お店巡りは楽しいけれど、人混みは苦手だし、歩き回るのも疲れるね。どうする? どうせなら、何処かで夕御飯食べて帰る?」
千早は、白檀の扇子で扇ぎながら言った。その白檀の香りが幽かに香る。
「そうだね。私、駅前に新しく建ったビルに入っている、お店に行ってみたい。ずっと気にはなっていたけど、一人で入るには、入りづらい感じがして」
私は、珍しく、自分から意見してみた。
すると、二人とも、同じく気になっていたのか、同意してくれた。言ってみるのは、大切なコトなのかな。
「もう少し、休んでから、にしよう」
留美は、汗を拭きながら、荷物を持ちやすい様に、整理しながら言った。千早は、旅行の買い物リストにチェックを入れて、買い忘れが無いか確認している。
私は、ベンチに座り、ぼんやりと、夕暮れの空を見上げていた。と、その時、目の前を、見た事もない大きく派手な羽の鳥が、横切って行った。
その鳥に、一瞬、心を掴まれた感じがした。
「今、何だかヘンテコな派手な鳥? みたいなの飛んでなかった?」
リストから目を離し、千早が空を見た。それだけの、存在感。
「うん。見た。あ、って感じだったけれど。カラフルな大きな鳥。ペットでも逃げ出したのかな」
荷物をまとめ終えた留美が、腰を伸ばしながら言う。
私は、無意識で、その鳥の飛んで行った方を目で追っていた。立ち上がって、思わず、その鳥を追い掛けたい。そんな気持ちが、あった。
―なんで? あの鳥が。いや似ているんだ、あの黒いピエロが何時も肩に乗せていた、派手な鳥と。あの鳥は小さかったけれど……。
記憶を辿る。大きさは違えど、よく似ていた。
その鳥は、西の彼方に飛び去って行った。私達は、その鳥が消えていった空を、暫く見つめていた。その先には、沈んでいく太陽が紅に染め上げた空が広がっていた。
にわかに街が、ざわめき始めて、何処からか、色々な食べ物の匂いが漂ってきた。
「なんだか、珍しい鳥さんだったね」
千早は、相変わらず扇子で扇ぎながら、言った。
「そろそろ行こうよ。食べ物の匂いかいでいたら、お腹が空いてきたよ」
と、留美。
「……そうだね。行こう」
千早は、扇子をしまい、立ち上がった。
留美は、あの定食屋で、食べ放題コースを頼んで、食べまくっていたのに、まだ食べれるのかと、感心する。本人いわく、いくら食べても太らない体質。なにか、食べていないと落ち着かないタイプらしい。燃費が良いのか、吸収が
少ないのか。ある意味、羨ましい。
夕暮れの街は、慌しかった。夕食の買い出し、帰宅ラッシュ。そんな、商店街を歩いて、駅前まで戻って来た。人気の店だけあって、まだ夕食には、早い時間なのに、すでに満席だった。人の多い所は、苦手。でも、たまには、友人とこうして、買い物や食事をするのも良いかもしれない。
街を一望できる廃ビル。建てたものの、外側だけ完成しただけ。そのまま倒産してしまい、放置されて久しい。
その屋上に佇む人影の下に、あのカラフルな鳥は、降り立った。
「―彼女は、あの時の子供は、まだ君の事を覚えている。だから、現世・今生にこそ、チャンスが訪れるかもしれないぞ」
鳥は、佇んでいる人影に言った。人影は聞いているのか、聞いていないのか、ただじっと、街の灯りを見つめていた。しばらくして
「そうか。でも、あの時の子供・遥が、覚えているのは、サーカス団のピエロとしての僕。ハルカであって、ハルカでは無い。名前が同じだけ。だから、現世の遥の方を、もう少し見守りながら、ソノ時の機会を待つ事にしよう」
と、呟く。
「なるほど。名前が同じ。ややこしいけれど、そこに宿命的なモノを感じるが」
鳥は、彼の肩に乗る。
「彼女は、僕の素顔を覚えていてくれるだろうか? ピエロの下の本当の顔を。幼い日の想い出ではなくて……僕は、あの時の姿のまま……」
その呟きは、折からの風に消される。彼は、空を見上げる。くすんだ都会の空には、細い月と幽かな星明りが見える。眼下、地上に広がる街の灯りの方が、くすんだ空に浮かぶ星々より、ずっと星空らしかった。
二章 夢に見る街
そして、ゼミ旅行、出発当日。
空港の出発ロビーには、遥たち学生が集まっていた。皆、はしゃいでいて楽しそうにしている。秋場教授は、そんな学生達の様子を見ながら、
「―以上が、大まかな予定。帰国後、この旅行で観たもの、感じた事をレポートにして、夏休み明けに提出すること。あくまでも、観光では無く、ヨーロッパに関する幻想文学だ。何故、ファンタジーはヨーロッパが舞台なのが多いのかを、自分なりに考察すること。レポートは単位に換算するから、な」
と、嫌味っぽく言う。学生達からはブーイングが上がる。それを、教授は面白そうに見ていた。
「レポート書くなんて、嫌だよ」
留美が、頬を膨らませる。
「レポートは参加者だけの課題だから、嫌なら行かなければいいじゃん。あの教授の事だから、なんか出しそうだなと思ってたけれど。まあ、レポートは簡単でいいじゃん。翻訳とかしろよりマシだと思う」
と、千早が、やっぱりねという顔で言った。
小さなゼミといっても、参加者は十数人いる。それだけのチケットとかを用意できる、教授は、凄い。しかも直前に。コネがあるのかな。
飛行機に乗り、私は、窓際の座席に座り、考えていた。
予め予想していたのか、大きなコネとツテがあるのかを。色んな意味で不思議な人だ。
始めは、はしゃいでいた学生達も、機内サービスが終わる頃になると、疲れたのか、うとうとする人、ビデオを観ている人、観光ガイドを参考にコースを念入りにチェックしたりして、静かになった。翼の近くとあってか、エンジン音が、ゴォーと響いている。千早も留美も、疲れたのか、うとうとしていた。
私は、読んでいた本から目を離し、窓の外を見る。もう、ユーラシア大陸の上まで来ている。座席のモニターの飛行ルートを見たら、中国辺りかな。
何処までも続く青い空。雲も少なく、遙か眼下には、霞んだ大地が見える。日本なんかと比べ物にならない、広大な大地。
限りなく続く青い空は想い出。何故、想い出なのかは解らない。遠い記憶、夢なのかもしれない記憶。私は、この大空を識っている様な気がするのは、如何して? 記憶より想い出より、もっと深いナニかが私の中で、この大空を見つめている。
飛行機に乗ったのは、大学へ入学するために、こっちへ引っ越して来た時だけ。
電車や新幹線でも、来れたけれど、どうしても飛行機に乗ってみたかった。
その理由は、今でも解らない。ただの興味だけだったのかもしれないし。
後は、父親の仕事の成功前、たまたま商店街のくじで、旅行券が当たって、家族旅行をした。その時に、飛行機に乗った。まだ、家族であった時。
その事かもしれないし。私にとって、一番幸せだった頃。
そんなコトを、思い出したら、虚しくなってしまう。気を取り直し、読んでいた本をしまい、これから行く、自由行動に選んだ街の観光ガイドブックを開いた。私達三人が行くのは、その街の中でも、マイナーな場所。近くには新しいショッピングセンターなどがある、最近少し注目されている観光場所だ。その区画の隣に、目的地がある。古い町並を残し保存しているエリア。ガイドブックに少しだけ載っているだけの場所。観光には向かないらしいと、ある。幾つか、その町に関する資料と写真を手に入れた。本当に、検索してもヒットしないくらいので、大変だった。それほど、知られていない場所。ヨーロッパの古都という写真集でようやく見つけた。いかにも、幻想文学や、中世ヨーロッパを舞台としたRPGに、出てきそうな町。
何故そこにしたのかは、二人共、ゲーム好きなのもあったし、私がよく見る夢に、この町そっくりな町が出てくる話をしたから。たまたま、ガイドブックに小さく載っていたのを見つけ、
「この町は、夢に出てくる町に、似ている」
と言ったのがきっかけ。その町に行けば、夢の謎も解けるかもしれないと、思ったから。
窓の外に広がる空の彼方を見つめながら、私は、その夢のコトを想い浮かべていた。はっきりとは覚えていないけれど、新しい家に引っ越した頃から、時々見ている気がする。
日本ではない。何処か知らない異国の小さな町。古くて狭く、寂れていて静かな町。そんな町で、年に一度行われる、春を告げるカーニバル。こんな小さな町にも、行商や芸人達が集まって来る。それを目当てに、近隣の町からも人が来るので、一年で最も賑わう時期。その夢の中で、私は、みすぼらしい幼い孤児の少女だった。でも、毎年、カーニバルの季節を心待ちにしていた。古ぼけた孤児院の暮らしは、貧しく惨め。そんな生活の中で、カーニバルだけが、唯一の楽しみであり、生きがいだった。そう、カーニバルの為に何とか生きていくといった感じだ。カーニバルの時期は、全ての人間が平等になれる。だから、この町に暮らす貧しい者は、カーニバルを心待ちにしていた。
夢の中の私が、カーニバルを心待ちにしていたのは、巡業のサーカス団。孤児院の前の広場に、毎年やって来て、テントを張っていた。そのサーカス団にいる、一人のピエロが、私は、とても好きだった。そのピエロに逢いたい為に、カーニバルが待ち遠しかった。ナゼそのピエロが好きだったのかは、解らない。
多分、あの遊園地のカーニバルに行けなくなったから、そんな夢を見たんだと思っていた。自分の感情が夢となって。きっと、その頃の私は、孤独だったのだろう。父親の仕事の成功と、弟の誕生で。
その夢の中で何度も繰り返される場面。一番印象の強い残像ともいえる。
それは、夢の中の私が、カーニバルを終えて去って行くピエロに、向かって自分の想いを伝える場面。
「私も、一緒に連れて行って」
かすれそうな声で、私は必死で想いを伝えようとしていた。その言葉に、ピエロは、無表情のまま首を振った。
「……それは、出来ないよ」
小さく一言。
「一緒に連れて行く事は、出来ないんだ。その代わりに、この珠を、あげよう」
何処からか取り出した、掌に乗る程の珠を、私に手渡してくれた。その珠は、透明で、珠の中には小さな光が浮かんでいた。
「あ、ありがとう。でも、如何してダメなの? 他の子は、ここから、商人や芸人達に引き取られて一緒に行ったよ。そんな子、たくさんいたのに」
綺麗な珠を貰って嬉しかったけれど、一緒に連れて行って貰えないことが、とても悲しかった。ピエロは、随分と時間をおいて、思い詰めたかの様に
「今は、まだ、ダメなんだ」
消えそうな程、哀しい声で呟いた。その先に続く言葉があったのだけど、カーニバルのラストを飾る花火の音に掻き消されてしまった。花火の光に気を取られたのか、眩しさに目が眩んだのか、私は、人混みに消えていくピエロを、追う事が出来なかった。花火の音と光、人々の歓声が、小さな町を包んでいた。
私は、その喧噪の中に、ただ独り取り残されていた。
―ボクハ、マダ、ユルサレテイナイ。
誰かの呟きが、耳元で聞こえた。深い悲しみを含んだ、その声と言葉は、何時まで経っても耳に付いて離れなかった。
気が付くと、涙が頬をつたっていた。
如何して?
二人に、気付かれないうちに、涙を拭う。
「ぼくは、まだ、ゆるされていない?」
何度も、心の中で呟いてみる。その言葉に、何か意味があるのだろうか。
飛行機の窓から見える、果てない空を見つめる。その言葉は、消えることなく、私の心の中で、リピートしていた。
心の奥深くで、ナニかが囁いている気がした。そして、何時もの様に、胸の痞えと痛みを感じる。健康診断に問題は無い。精神的なものと言われた。でも、この症状が出るのは、必ず、“ピエロ”に関する事、夢、想い出に触れた時。
ナゼ? 幼い日の想い出だけなのか、それとも何か別に在るのか知りたい。夢の意味や占いの事を、本やネット、果ては、精神心理学の論文まで読んだけれど、どれにも該当しない。想い出だけでは無い。それだけは、確証している。
―あるとしたら、前世。でも、そこに確証など無い。
夢に出てくる町に似ている、これから行く場所。そこに行けば、何かが解るかもしれない。そう思い、私は、その町に関する資料を纏めたノートを開いた。
事前に組んでいた、ゼミで廻る観光地。世界遺産や、文学に出てくる土地など。その後は、其々のグループに分かれて、自分達の決めた場所を観光兼取材する。
私は、その計画の段階で、すでに行きたい場所は決まっていた。でも、そこは、Hテルや集合場所から、かなり離れていた。一人でも行くというのは、ダメだった。だから、私の夢の話を知っている、千早と留美との三人で行くなら許可してくれた。
観光地では無い。所謂、地元の古い町を保存しているだけ。近くのエリアに出来た、大きな商業施設が観光ポイントとして紹介されていて、その町は小さく風景写真が載っていただけだった。それを見た時から、絶対に行かないといけない感じを受け、そこへ向かう。まるで、夢の中、心の奥深くに在るモノに導かれるかのように。
灰色の石造りと薄赤色のレンガ造りの町。通りも狭く、車が一台通るのが精一杯な道。通りに沿って、両側には壁の様に、古びたレンガの建物や、石造りの建物が立ち並んでいる。所々に、裏路地へ続く細い道が家と家の間にあり、入り込むと迷いそうな感じがする。集めた情報で、古い町並みをそのまま保存とあった。日本で言うなら、大きな観光地から少し離れた場所にある様な、隠れ観光スポットみたいなもの。SNSとかに写真で上げれば、人気が出そうな感じもするけれど、それすらないのは、きっと、近くの、大型商業施設の方で買い物をしたのを、SNSに投稿する方が、フツウの人にとっては良いのだろう。私は、その様な事には、興味が無い。
中世からある町。戦時中に攻撃を受けなかったのが、幸いして残っている。観光地でも無いのに、町は綺麗に手入れされている。日本の隠れ観光スポットは、それなりに活気があるのに、ここは、静かだ。地元の人が、歩いている位。そんな地元の人も、観光客らしき外国人が珍しいのか、遠目で見ている。
どこか、寂しげなのは、人通りの少なさと、町全体の静けさなのかな。
ここに来て、何だか妙な懐かしさを感じてしまうのは、夢と関係しているのかな。特に目的も無く、街並みを眺めながら歩く。目的は、この町に来る事だから。まるで、中世時代に迷い込んだ感覚になる。
「RPGに出てきそうな町だね。やっぱり、RPGに中世ヨーロッパが多いのは、グリムやアンデルセンの影響もあるのかもしれないけれど、こういったゴッシク調の物に、日本には無いロマンがあるからなのかな。外国人が、京都や侍、忍者に、ある種の憧れやロマンを抱くのと同じで。でも、今は、観光地もそうだけど、やっぱり、アニメや漫画、ゲームのキャラだね。秋葉とかなんか、そっち系の外国人観光客が多いって言うし。うーん、でも、レポートの材料としては、微妙かな。むしろ、中世の錬金術とかの方が、面白いレポートが書けそう。教授好みの」
千早は、そう言いながら、色々な建物や小物を写真に写していた。
「う~ん。レポートとねぇ。何を書けばいいんだよぅ。遥、この町に拘っていたけれど、夢の中の町と何か関係あるの?」
留美は、棒付キャンディーを舐めながら言う。
先ほど見つけた、小さなお菓子屋。日本で言うなら、駄菓子屋。で、いかにも海外といった感じの派手で可愛らしいお菓子が、並べられていて、それを、私達は、幾つか買ったのだ。留美は全種類買っていたけど。
お店の人は、少し訛りのある英語で、
「以前は、こちらにも、観光客が来ていたけれど、あの商業施設が出来てからは、ごく稀にしか観光客が来ない」
と、話していた。
「私は、賑やかな所よりも、静かで歴史が感じられる場所の方が、好き」
と、伝えると、お店の人は、ぎこちない日本語で
「ありがとう」
と、言っていた。
以前は、日本人の観光客も訪れていたのだろう。
私は、留美の問いに、
「そのままだよ。実際にある町と、夢の中の町。如何して、そこまで似ているのかを確かめたかったし、検証もしたかった。ただ、無意識にテレビとかで見たのかもしれないし。それとも……もしかしたらの話」
答えて、通りの先を見つめた。狭い道の両側の建物のせいで、圧迫感がある。
日本だったら、木造建築なので、建物と建物の間が開いている。消防法でそうなっているのかは、よく解らないけれど、時々、古い町並み保存と消防法とがぶつかり合っているニュースを見る。
ヨーロッパの夏は、日本の夏より涼しい。湿度が低いぶん涼しくかんじるし、緯度が高いぶん、涼しいのかな。
道の両側の建物が、陽射しを遮っていて、時折吹く風が心地よい。とても、日本の猛暑とは比べ物にならない。その分、冬が寒いらしい。
「あー、飛行機の中で言っていた事ね。私、そういう事には興味ないけれど、他人と同じ行動しても面白くないし。あ、このキャンディー美味しい。あのお菓子屋さんも、いい雰囲気だったなぁ」
留美は、キャンディーを咥えたまま、デジカメを取り出して、通りの先に見えてきた、教会を通りの中央に立って写していた。
私と千早は、顔を見合わせ、苦笑いをする。留美は、マイペースだと。
通りを、そのまま歩いて行き、教会の前まで来た。教会の前は、噴水と花壇のあるロータリーになっていた。花というより、ハーブだろうか、その幾つかは花を咲かせていた。風が吹く度に、ハーブ独特の香りが漂う。ここも古いけれど、しっかりと手入れされている。ここまで、手入れしているというのは、この町の人達は、自分達の町を愛しているのだと感じる。日本の観光地も、もう少し学べば良いと、思う。観光客のマナーの問題かもしれないけれど。
この教会も、夢に出てきた様な気がする。
私の夢の話に、始めに興味を持ったのは、千早。もともと、魂とか輪廻とかオカルト系の事に詳しかった。千早は、オカルトヲタクとして、大学でも有名だった。本人は嫌っているらしいが、実家、祖母が、祈祷師というか拝み屋みたいな事をしていて、そういう霊感筋の家系らしい。親戚も、神社の宮司をやっていて、時々、神社の仕事を手伝わされたと愚痴っていた。そして、教授ともよく、オカルト話をしている。ゼミの学生の中では、千早は、教授の助手扱いとして見られているし、オカルトコンビと呼ばれている。千早は、それに対して何も言わないが、時々、眼が笑っていなく、殺気を放っているのを感じる。
「なんだか、映画とかに出てきそうな、感じの教会だね」
キャンディーを咥えたまま、留美は写真を撮っている。ある意味、器用だ。
「古い感じがするけれど、この教会も中世の頃からあるのかな?」
私は、留美の言葉に応えず、夢の中の教会と、現実のこの教会が、やはり良く似ていると、考えていた。変わりに答えたのは、千早。
「そうだね。中世が基盤で後は、修繕を重ねているって感じかな。壁は風化していて、何度も手入れした後が分かる。この古めかしさと、手入れに感銘するね。私は、一神教を否定するけれど、神様は存在している。一神教は、発展させてきた分、自然を破壊した。そして、中世の魔女狩りは、殆どが人間のエゴ。
罪の無い多くの人が殺された。それを認めないのが、私は許せない。歴史の裏には、そういった事もある。でも、人の信仰心や、思い入れを否定はしない。だから、この手入れの行き届いている教会は、古き良き物だと思える」
と。千早は、外壁を指でなぞりながら言った。その千早の言葉、少しだけ解る感じがする。
教会の外壁の風化。断面は、修復の積み重ねがある。天窓らしき窓には、ステンドグラスが、はめ込まれている。外からでは、くすんでいて何の絵なのかは、解らない。
「今も、使われているのかな」
花壇の前にあるベンチに座り、キャンディーを食べ終えた留美は、ミネラルウォータを飲みながら、教会を見上げている。
私も、デジカメを取り出して、教会の写真を何枚か写した。
噴水と花壇。教会を一緒に納めた写真にしたかったけれど、上手く撮れない。
ようやく納得のいく写真が撮れたので、私もベンチに座り、教会を見上げた。
「はー。レポートさえ無ければ、気楽なのに」
留美は、ボヤキながら、今度は、クッキーを食べ始めた。留美の大食いは、有名。痩せの大食いとして。学食の、超大盛りランチを平らげた、唯一無二の学生。しかも、スタイルのいい女子学生。彼氏募集中らしいけれど、それでは、彼氏なんか出来ないと思った。
教会のくすんだステンドガラス。何の絵が描かれているのからか、外からは解らない。内部からだと、何の絵か解るかもしれないけれど。教会だけあって、聖書などの一部分が表現されているのかもしれない。見てみたいけれど、町の人間でもなく信者でもない、ただの観光客を案内してくれるとは、思えない。そもそも、英語が通じるかは不明。現地の言葉は、少ししか分からない。辞書アプリでも、そんなに多く載っている言葉でもないし。
夢の中のコトなので、明確ではない。でも、こんな感じの教会があって、天窓には、同じ様なステンドグラスがあった。教会を眺めていると、また胸の痞えと痛みを感じる。夢に出てくる古い町、リアルのこの町。そして、この教会。胸の痛みと関係している。夢と関係しているコトだと想うと、必ず痛みを覚える。だから、ここは、夢に見た町なのかも。それが、ここに来て、更に強くなった。そして、なんとなく感じた、寂しさと不安と孤独感。なんで、そんな想いに駆られるのだろう?
「遥。どうしたの? ボーとして」
千早が肩を叩いた。私は、一度、深く考え込むと、周りが見えなくなる。
「考えていたの。この教会も、夢に出てきたモノと似ているって。ここに来てから、夢と現実の境界が解らなくなっている。私、やっぱり、変なのかな」
自分の中でナニかが、私に訴え掛けているのが解る。それは、私自身の想いなのか、現実逃避なのか、それとも……。
「飛行機の中でも、話していたよね。私の推論からすると、夢に出てきた町と、この町は、よく似ているのでしょう? 何度も、同じ夢を見るのは、それは前世の記憶に絡んでいる。もしかしたら、前世の遥が、この町で暮らしていたのかもしれない。魂は輪廻する。記憶は輪廻の中で消える。だけど、稀に前世の記憶を残したまま転生してくる人がいる。魂は、この町の事を記憶しているのかもしれないよ。だから、そんな想いが生まれるんだよ、きっと」
千早が言う。彼女は、その様な事に詳しい。拝み屋・霊能者の家系だから、余計に解るのかもしれないけれど、それ以上の事までは、視えないらしい。修行が足りないとかでは無く、意図的に見られない様にされているとか。
―魂。前世、輪廻。私には、いまいちよく解らない事。でも、それが本当なら、何の為に、私は生まれて来たのかが、知りたい。生物学的では無くて、魂を中心とした考えのもとで。
「前世ね。物語でよくある話だけれど、でも、輪廻は宗教的なモノだと思ってた。でも、宗教以前に、人は知っていたのかもしれない。現実に、輪廻転生で、宗教の最高指導者が決められる事だってある。でも、私の場合、きっと幼い日の、想い出と、両親との関係。そのトラウマからだと思う。だから、その思いが、夢に反映されているだけ、なんだ。前世なんて……」
胸が痛んだ。そう答えたものの、胸に痞える、言葉にならないモノは何だろう。
―前世、魂とかについて考える度に、そこに痛みを覚えてしまう。それは、幼い日、初めて黒尽くめのピエロに逢った、そこから始まっている。想い出だと思い込む事で、それでいて想い出そうとすれば、胸が痛む。想い出が、痛みそのもの。
「―ただの幼い日の、想い出、トラウマだよ」
わざと、自分に言い聞かせた。
「それは、否定できないぞ。そういうものは、現在の科学レベルでは、証明が出来ないだけで、輪廻転生は存在する。宗教観や個人の価値観以前に、な」
背後から声がした。この声と言い方は、秋場教授。
その言葉に、ギクッとした。なんで?
それより、どうしてこの場所に、教授がいる方が驚きだった。
「あ。教授、如何したのですか? 他の人達と一緒じゃあなかったのですか?」
と、留美。
振り返ると、そこには、手書きの地図とメモを手にした、意味ありげな笑みを浮べた教授が立っていた。気配が無いのも、何を考えているのかも不明。学内で、変人と言われるのも、解る。
「ちょっと、調べものをしていたら、この町にソレがあると聞いてな。それで、ついでだから、寄ってみた。それに、お前達三人組みも、この町に行くって言ってたし、まさか、鉢合わせするとは。ま、途中から、気が付いていて、暫くお前達の事を観察していたんだ。ああ、そうそう、この教会は、中世時代の建造物だ。それなりに補修や修繕はしているけれど。この辺りは自身や自然災害が無いから。何かに守られていたのか、戦争の被害も無かった。だからこうして、今現在まで残っているんだ。さすが、隠れスポット。買い物やエンターテイメントな観光なんかより、ずっと意味のある場所だ」
教授は、教会のくすんだステンドガラスを見上げて言った。一般的な観光には、興味無いのは解っていたけれど、ここで会うとは思ってもいなかった。
「やっぱり、そうなんだ。ナニかの加護と結界みたいな感じがしていたのは、そう言う事だったんだ。凄い、何かロマンを感じる」
千早は、デジカメのメモリーカードを入れ替えて、また教会や街並みの風景写真を撮っていた。
千早は、古く伝統のあるモノに対して、深い興味を見出す。それが、今なお大切にされているモノなら、なおさら。まるで、興味と敬意を同時に抱いているかの様に。古き良き時代のモノが、好きなんだろうな。
「そういえば、お前達、機内でも、夢とか前世とか話していただろう」
教授とは、席が離れていたのに、よく聞こえていたな。地獄耳なのか、その様な話には、人一倍敏感に反応するのか。ある意味、怖い。
「輪廻転生は否定出来ない。ある宗教では、主教指導者を輪廻の概念に沿って、決める。その宗教の最高指導者にな。ソレが現れたら、どんなに幼い子供でも、女性であっても、最高指導者として認められる。その様な、宗教だって現実的にあるんだ。そして、その者は、同じ印を持って生まれて来るらしい。それ以上は、極秘中の極秘で、私も調べられなかったが。それは、輪廻転生は存在している証。あと、催眠療法で対抗催眠を掛けて、その患者のトラウマを探って治療していく過程で、前世と思われる記憶が出てくる。それは、学会を二分しているけれど。現実にあった。前世で共に過ごした者が、患者として二人同じセラピストに掛かった時に。胎内記憶も、そうなのかもしれない。それは、専門外だけど、三歳位までの幼児の中に稀に覚えている子もいる。統計もあるし。子供には話していない事を、子供が急に話したりする。『お母さんは、歌をずっと歌ってくれてたよね』とか」
雑談から、いつの間にか、講義の様になってきている。こういう時の教授は、変なスイッチが入っている。声を掛けても、無理だ。
「そう言えば、亜麻見、ここが、お前の言っていた、夢に出てくる町なのか?」
絶対、私を研究の対象として見ている。監察対象か。内心溜息を吐いて、無言で頷くと、教授の顔が、玩具を貰った子供の様に輝く。
「デジャヴュだ。既視感。よく言われる、前世記憶だ。科学的な“解明”はまだされていないが、オカルト界では常識だ。計画段階で、この町に拘っていた、何としてでも行かなければならない雰囲気で。前世の記憶があるとしたら、きっと、この町の何処かに、お前の前世に関わるナニかがある筈だ。その時、お前は、夢の意味を知り、魂を認め前世と繋がる。そして、輪廻転生は証明される」
私達の前で、教授は熱弁を振るう。もしそうなら、私も知りたい。
何度も見る夢。この町が夢の中の町に、よく似ている事。そして、夢の中の私は、この町に住んでいた事。
「凄いな。そこまで、何度も同じ夢を見るのもそうだが、夢の内容を鮮明に覚えているのも凄い。科学的に夢は、記憶の整理とか言うが、お前が見ている夢は、その様な夢では無い。幼い頃のトラウマや記憶とも違う。夢について、幾つか種類がある。一つは、予知夢。災害が起こる夢を見て、実際に起こる。それが予知夢。宝が埋まっている場所を掘り返して宝が出てきた夢を見た考古学者は、実際その場所を掘ったら移籍が出た。そして、もう一つは、あの世とこの世の境。それは、どちらかというと記憶整理に近い。もう一つは、前世の記憶。朧げなのが普通だけれど、亜麻見の様な鮮明な夢は、もはや前世の記憶としか言えない。すなわち、魂の記憶」
教授の熱弁は続いている。幻想文学を被ったオカルト学だ。
「でも、それがどうして、前世の記憶だというのですか? 記憶って脳内の神経情報でしょう? 前世の記憶を脳は記憶しているのは、無理なのでは? それとも輪廻転生が存在する事を前提にして、魂の記憶を脳がスキャンして、夢として反映させているとでもいうのですか。そして、前世という夢を見る私には、何か意味があるのですか?」
つい感情的になってしまう。
「―遥。魂は存在するよ。神様達も、一神教も多神教も、そこに神様は存在していて、光と闇があるように対なす存在もまた存在している。物の怪、悪魔も。
魂魄。魂はタマシイそのモノで、人間や動植物に宿っている。魄は、その外側。殻みたいなもの。私も、そんなに詳しくないけれど、魂は宿主が死ぬと、輪廻の輪の中へ還っていく。一方、外側・殻の方の魄は、地に残る。それが、口寄せする時とかに現れるモノ。人格を留めているけれど、そのうち消える。でも、幽霊は、魂魄そのモノの存在。何らかの理由で、輪廻の中に還れない存在。輪廻する魂は記憶を持たない。普通はね。記憶を持つのは魄の方。でも、余程の事、如何してもやり遂げれなかった想いの強い魂が存在していて、輪廻の輪の中に還っても、前世の記憶を維持している。魄は消えてしまっていても、魂が記憶を抱いてしまったから。それが、前世の記憶。まあ、私の理論だけど」
と、千早。
「凄いな、斎月。確か、御婆さんが霊能者だったな。御婆さん譲りか?」
教授が千早に問う。千早は少し複雑な表情で
「そうですけれど。私なりに色々視て体験した結果からの、持論です」
と、答えていた。
「なんだか、難しそうな話だね」
留美が、話しが読めませんという顔をする。
「斎月の説も一理ある。やはり、輪廻。前世の記憶だ。魂が、一つ一つの人生を心残り無く全うすれば良いが、出来なかったら、転生しても同じ様な壁にぶつかる。自殺した魂が、転生して、同じ人生かより厳しい人生になるのと同じ。そして、魂にレベルがあるとして、より高いレベルを目指す魂は、より厳しい人生を歩むという。それは、幻想文学の中でも、取り上げられている事だ」
教授は力説する。でも、それは文学の中で書かれていたとしても、実際に考えるのなら、オカルトだ。突っ込みを入れたかった。余りの力説と、私達が外国人であるのとで、町を歩いている現地の人からは、不思議そうな視線をこちらに向けていた。だけど、教授は、お構いなしに続けた。
「そう、魂にも記憶は存在するんだ。記憶は消えると、斎月は言ったけれど、魂は記憶を積み重ねて、転生する際、その記憶を、より深い深淵へと封印すると考えている。それが、魂のレベルと考えていい。歴史上の偉人が、その様な存在なのかもしれない。だけど、前世で、成し得なかった事が心残りだと、魂もそれを記憶し、次こそはと考えているのかもしれない。だから、同じ様な人生を繰り返す人間も、少なからず存在している。亜麻見、お前も、その一人かもしれない。普通は、前世の記憶は認識出来ないし、知る由も無い。だけど、何かがきっかけで、前世の記憶が蘇ってしまう。それが、亜麻見の言っている、幼い日の想い出、そして、家族とのトラウマだろう。私は、そう仮定する。
もし、前世の亜麻見が、この町に住んでいたとしたら、他に何か見覚えないか?夢と一致する様な物はないのか」
がっしと、私の肩に手を置いて、問い詰める。興味津々の子供の様に。
―もう、なんか、滅茶苦茶だ。一番困っているのは、私自身なんだけどなぁ。
そんなのって、夢物語。ファンタジーでフィクションでしょう。きっと、ただの夢だよ。幼い日の想い出。叶えられなかった約束。―叶えられなかった約束?
不意に、胸に痛みがはしった。幼い日の約束とは、違う約束があった?
私は、胸に痛みを感じながら、教会を見上げた。
『約束』その言葉が、何だか、心に引っかかってしまった。これも、前世の記憶になるのかなぁ。
朧気だけど、教会もどことなく、夢の中の教会と似ている。
そう、もし前世の記憶が存在するのならば、現実の教会とは、タイムラグがある。前世が中世時代位なら、手入れ修繕されている教会と違いがあって当たり前。夢の中では、教会の裏には、小さな孤児院があった。夢の中の私が、暮らしていた場所。だけど、教会や商店や民家などは地図に載っていても、教会の裏には民家のみ。教会の一部だったのか、歳月と共に無くなってしまったのか。
でも、孤児院と教会は、それぞれ独立した建物だった。小さな孤児院と、その前に広がっている広場。そして、教会の裏口。夢の記憶は、そこまでしか無い。
やはり、夢は夢なのか? でも、教授なら何か糸口を探ってくれそうで、取りあえず話してみた。
すると、教授は、通行人を見つけては、話しをしていた。私には、現地の言葉は解らない。
「凄い。教授ペラペラだぁ。さすが、海外の小説とかを翻訳するだけあるし、講義でも、外国語ゼミより、違った言語を取り入れているだけあるなぁ。翻訳の課題だけでなく、マニアックな外国語の課題を出すのも、本人が、専門の外国語教授より、詳しいというのは本当だったのか。変人だと思っていたけれど、その辺りは、学者っぽいな。腐っても大学教授か」
留美が言う。彼女は、そんな風に教授を見ていたのか。確かに、他の教授達と比べると、マニアックだし変な処に拘っているし。常人じゃあ考えない事を考えて実行している。変人とは思わないが、変わり者であるのは確かだ。
何人かの通行人と話し終えて、教授はこちらに戻って来た。
「この町に孤児院があった事は、聞いたことが無いと。孤児院の存在自体知らないと。ただ、戦時中から戦後に、教会が孤児を預かって育てていた事があったそうな。それも、もう昔の事で、一人の老婆が言っていただけ。詳しい話は、収穫は無かった。―亜麻見、他に何か思い出せそうな事は無いのか?」
私の悩みより、前世の記憶とやらに興味深々だ。でも、それ以上、何も思い出せない。だから
「無いです」
と、答えた。教授は、凄くつまらなそうな顔をしていた。
夢の記憶。
毎年、楽しみにしていたカーニバル。その中で一番楽しみにしていたのは、度芸団。一年間、心待ちにしていた。黒いピエロに逢って話が出来る。夢の中の私は、それが唯一の生きる希望だった。貧しく孤独な孤児の私。黒いピエロだけが心の支えだった。そのコトだけは、話したくなかった。本当に前世の記憶なのか? それとも、現世の幼い日の想い出が、その様なカタチとなって夢に現れているのか。境界が曖昧。それでも、その夢は“幼い日の想い出”として、自分を納得させている。でも、もしも。考え込んでいると
「はぁ~あ」
教授の大きな溜息が聞えた。余程、私の前世について興味を持ち知りたい様だった。そして、肩を大きく回して息を吐くと、手書きのメモの地図を広げた。
どうやら、気を取り直した様だ。
「何か探しているのですか?」
千早が問う。
「この辺りに、変わった物を扱っているアンティークショップがあると、聞いたので、探しているのだが、見つからない。道行く人に尋ねても、知らないと。お前達、その様な店を見かけなかったか?」
教授は、手書きの地図を見つめたまま、問う。
「さあ。珍しいお菓子屋さんなら、ありましたけれど」
と、留美。その答えに、教授は再び大きな溜息を吐いた。
そして、不機嫌そうに地図をしまった。
そんなやり取りを横目に、私は、ボンヤリと、教会の屋根にある古びた十字架を見上げていた。
―夢の中の教会は、もっと古びた雰囲気だったけれど、天窓のステンドグラスは、真新しくて綺麗だった、な。と、瞳を閉じて回想した。夢の内容を回想しても、現実の記憶では無いので変わるワケ無いのは理解している。だけど、如何して、胸は痛むの?
瞳を開いて、再び、教会の屋根の十字架を見上げた。その十字架に、大きな派手な羽の変わった鳥が、とまっているのが目に入った。
― あの鳥は。
鼓動が早くなり、胸の痛みは増して疼く。
極彩色の羽。その羽は、光を受けて煌いていた。あの日、商店街で見た鳥、そして、あの黒装飾のピエロが何時も肩に乗せていた鳥と、とてもよく似ている。……なんで?
「あの鳥」
私は、震える声で呟いた。その声に、教授と二人が、教会の屋根の十字架を見た。
「あ、あの鳥って、商店街で見た鳥と似ているね。はっきり見た訳じゃあないけど、似ている」
千早が言った。
「ほんとだ。新種のペットじゃないの? 何処からか逃げて来たのかな」
留美が言う。もし、新種の鳥で、ペットショップなどに並んだり、動物園に展示されているのなら、テレビやネットでも話題になっているはず。
― 違う。私の心の奥のナニかが、留美の言葉を否定している。
「随分と派手な鳥だな。極楽鳥とかオウムの一種か? 見た事ない鳥だな。これでも、鳥類には詳しい方だが……。新種なら、知っていておかしくないが。不思議な鳥だな」
教授は、その鳥をジッと見つめる。何にでも詳しいんだ、この教授。
千早が、その鳥を写そうとデジカメを構えた、その時だった。
鳥は、大きな翼を広げて、十字架から飛び立った。その瞬間、私と視線が合った気がした。そして、再び胸の痛み。何かが、私を駆り立てた。
「あ、待って!」
私は、叫んで立ち上がった。それは無意識に。そして、気が付くと、私は鳥を追い掛けていた。自分でも、如何してそんな行動にでたのか解らない。でも、あの“鳥”は、と思うと、如何しても確かめたかった。もし、確かめる事ができたなら、何かが解るかもしれない。そんな想いが溢れだしていた。あの鳥の行先が、知りたかった。
「ちょっと、遥!」
千早が、背後から大きな声で呼んだ。三人が、私の後を追って来ているのは、気配で分かっていた。だけど、振り向く事は出来ない。鳥を見失う訳には、いかないから。
「おーい。遥、どうしたの」
留美の声。
二人の声に応える余裕など、私には無かった。
「どうしたんだ。亜麻見、あの鳥に何かあるのか? この辺りで迷うと大変だぞ」
教授の言葉さえ、耳に入らない。とにかく、鳥を追うのが先決。その様子を、地元の人達が、不思議そうに見ているのが横目に過った。そんな事よりも、何よりも、あの鳥を追わないといけない、そんな感情だけが私の中にあった。その意味さえ考える余裕など無いほどに。
人一人が漸く通れる細い道。石造りの家と家の間の道を、幾つも抜けて、鳥を追う。まるで迷路。建物のせいで、空が遠くに見える。建物自体は、そんなに高くはないのに。鳥は、何故かゆっくりと翔いていた。そして、まるで誘うかの様に、時々、私の方を振り返っている感じがした。それは、気のせいなのか。まるで、私が追い掛けているのを知っているかの様に。
何度目かの細く入り組んだ角を曲がり、その先の路地を抜けた。
そのとたん、視界が明るく開けた。空が眩しかった。一瞬、目が眩んでしまった。
ゆっくりと目を開くと、あの鳥の姿は何処にも無く、私が立っている場所は小さな広場か、大きな庭みたいな場所だった。周りは、石造りの建物に囲まれていて、差し詰め中庭みたいな場所。そこは、まるで周りから忘れ去られ取残された感じのする場所だった。
息が上がって、全身で呼吸する。汗が滴り落ちて、地面の土に消えていく。空を見上げると、綺麗に晴れ渡った青空が丸く見えた。とても静かな空気。涼やかな風が、汗ばんだ身体に心地よい。そう思いながら、鳥の行方を探していると、教授と二人が追いついて来た。
「亜麻見、何考えて行動しているんだ。ここは、治安が良いとは言っても、日本ではないのだから」
息を切らした教授は、珍しく強い口調で叱った。千早も留美も、心配そうに私を見ていた。
「ごめんなさい。如何しても、あの鳥を確かめたかったから」
私は、呼吸が落ち着くのを待って、答えた。
改めて周りを見回すと、一軒の木造建築の建物と、手入れの行き届いた庭である事が分かった。小さな木の家の周りには、不思議な置物や、よく解らないオブジェみたいな物が並べられていて、花々だけでなく、様々な種類のハーブが植えられていた。
― この場所、知っている。
心の奥で、声がした。そういえば、夢の中に出てきた孤児院の前の広場と、なんとなく似ている。そして、そう思うと、胸が痛む。夢の事を考えると、如何して何時も、胸が痞えたり、痛みを感じてしまうのだろう。心臓や肺に異常は無く、精神的なものでもない。原因は、やっぱり、夢と前世?
前世の記憶が、現世にその記憶を呼び覚まそうとしているからなのか?
……解らない。それが、苦しい。
そんなことを考えながら、庭に咲いている花々を見つめていると、
「おっ! あれが、例の店か」
教授は、メモと、木造家屋を見比べて、唐突に叫んだ。
その声に、現実に引き戻され驚いていると、教授は一人頷き、その建物に向かって駆け出した。こんな処にあるんだったら、余程詳しくないと判らないだろうな。もしかして、ここも、あの建物も、あの鳥と関係しているのかな。そう思いながら、私は、その建物。アンティークショップへと、教授の跡を追った。
「……アンティークショップねぇ」
千早は、苦笑いを浮かべて言う。そして、首を傾げていた。
「私達も、行こう」
留美。二人が、後ろから追い掛けてきた。
建物の前まで行くと、日本でも時々あるような古道具屋みたいな感じで、色々な物が並べられていて、それが売り物なのか飾りなのか分からない。そんな印象。でも、どこか懐かしさを感じる。惹かれるものがある。やっぱり関係している場所なのかな?
「教授の言っていたお店ですか?」
留美が問う。千早は、留美の少し後ろで、なんとも言い難い表情で身構えていた。つまり、そういうモノが在るということになる。
教授は、子供の様な満面の笑みを浮べて、
「知る者ぞ知る、オカルト物のアンティークを扱っている店。実際に、呪術とか、宗教儀式などに使われた物がある。あえて、この辺りに決めたのも、その為さ。まぁ、辺りに世界遺産も多いから、ゼミの旅行として申し分ないからな」
と、言い、店の扉を開いた。思い付きからの旅行ではなくて、ここに来る目的の建前として、ゼミでの研修旅行を企てたのかもしれない。この教授なら、やり兼ねない。
扉を開くと、壊れた様な鈴の音と共に、強烈な香の匂いが漂ってきた。店の外にいても、鼻に付く程の匂い。不快ではないけれど、酔いそうだ。
店の中は、涼しかった。エアコンがあるとは思えない、店の中。不思議な涼しい空気。
私達に気が付いたのか、古いカウンター越しに、人の良さそうな老人が、現地の言葉で、挨拶をした。
教授は、挨拶を返すと、店主の老人と何か話し始めた。私には、解らない。
今回、解ったことは、教授は語学が堪能だということ。
留美も店内に入って来て、何に使われていたのか、何の為に使う物なのか解らない物が、並べられている店内を見ていた。一見、ゴチャゴチャしている様に見えるけれど、何処にも埃は積もっていないし、物は古めかしいけれど、綺麗に磨かれている。あの、老店主は、毎日一日掛けて手入れしているのだろう。
絶対に毎日、お客が来る店では無い。老店主の趣味に近いのかもしれない。
そう思うと、老店主が日柄一日、手入れをしている姿が浮かんだ。
用途不明だけれど、見ていると、それなりに面白い。千早は、少し警戒しているから、ソレ系な物があるのだろう。千早は、視える感じる人。彼女には、ナニが視えて、何を感じているんだろう。店に入ったって事は、悪いモノではないらしい。そして、警戒しつつも、見て回る。留美も見ている。
ふと、千早が教授に、商品について聞いていた。何か、買うのかな?
「値段は時価。どれも素人に扱える物ではないし、それなりに曰く付き。魔術や呪術に使われていた物。だから、素人には絶対に売らない。― 斎月が、気になる物は、なんとなく解るが、多分、今の斎月のレベルでは扱えない。魔を祓う物は、また、魔を呼び寄せる力を持つ。表裏一体な物なんだ。だから、レベルを上げる勉強をするしかない。そうすれば、魔も味方となる。本格的に、形式だけでなく、そっちも勉強するといい」
教授の答えが、ある意味怖かった。千早は、肩を落とし
「魔除けみたいな物が、欲しかったな」
と、呟いた。
「― それは、無いそうだ」
教授と老店主が、千早を見た。
「もしかして、持っていたら、呪われたりするの?」
留美が問うと、教授がニヤリと笑う。
「ヒエ」
留美は、変な悲鳴を小さく上げて、店の扉の所まで移動した。千早も、溜息を吐き、出来るだけ遠い扉の所へ行った。確かに、怪しい骨董屋的な感じで、曰く付きがあってもおかしくないと思える。
それから、教授は老店主と何か話し込んでいた。暫くして、老店主は頷いてカウンターの奥へ行き、戻ってきた。古そうな本を数冊持って、教授に渡した。
教授は受け取ると、何度も確認している。
「教授、何の本ですか? 随分と古そうに見えますけれど、オカルト本ですか?」
気になったので、聞いてみた。
「ネクロノミコンと、エノク書。その写本のレプリカだ」
なんで、そんなものがあるの。と突っ込みたかったけれど、愛好家達は、自分で造るらしい。でも、オカルト・神智学とかからすれば、立派な学問らしい。そもそも、存在しているかしていないかは、神話だから。
前世の私なら、知っているかもしれない。ふと心の奥深い場所から、声が聞えた気がした。
教授は、満面の笑みで老店主と話している。それを、扉の所から二人は、呆れた様に見ていた。
私は、何気なく棚に並べられている物を見て回っていた。どれも、不思議で難題を感じる。そして、何に使うのか不明。そんな物に混じって、ひとつだけ場違いの様なモノがあった。
それは、掌で包み込める程の大きさの、水晶珠みたいだった。水晶の様に透明な珠で、珠の中心には小さな光がキラキラしていた。その中の光は、微妙に色が変わる。ビー玉みたいだけど、全然違う。不思議な感じだった。
私は、その珠が、凄く気になった。
「―これは」
思わず手に取っていた。
夢の中で、黒いピエロが、幼い私にくれた珠と、よく似ている。
珠を掌に乗せて見つめていると、心の中の最も深い処から、ナニかが私に呼びかけている様な感じがする。声にならない、叫び。胸の痛み。それを、今までで一番強く感じた。
ふと、珠を見ると、中心にある光の色が変わった様に見えた。視界の端に、一瞬、目を丸くした老店主が映った。老店主は何か呟いた様に見えたけれど、教授も二人も気づいていない。
……曰く付きのモノ。でも、これは……。
この珠の値段は、幾ら。私は、この珠が気になって仕方が無かった。
夢に出てくる町。黒いピエロがくれた珠。現実の町は、夢とよく似ているし、貰った珠と、この珠も似ている。ソノ事に何か意味があるのだろうか? あの鳥も関係している?
教授に通訳してもらい、この珠について聞いてもらう。
「店主が言うには、この珠は水晶のような物で出来ていて。中の光の色とかの仕組みは、現代科学でも解明できない技法で造られているそうだ。ただ、中心に別の石が入っていた水晶か、技術的か呪術的に入れたのかは解らない。面白いのは、中の光、石らしいが、持っている者の心によって色が変わるらしい。
そして、この珠は、自ら持ち主を選ぶ」
通訳してもらった内容。胡散臭いけれど、それを否定出来ない。
全て、夢の中の出来事と似ている。だから、珠が気になって堪らない。
私が、じっと掌の上の珠を見つめていると、老店主が何か言った。訳してもらうと
「その珠が、お前を選んだ。だから、持ち主にならなければならない。きっと、その珠が、お前の求めているモノへと導いてくれる。答えを示してくれる」
と。
ああ。やっぱり、そうなんだ。
私であって私で無いモノの言葉。私は、迷うことなく買う事にした。値段は手持ちの現金で充分足りた。何故か、老店主は、なんともいえない笑みを浮べていた。胸の奥を見透かされている感じがする。もしかしたら、この老店主は、私の知らないナニかを知っているのかもしれない。ソノナニかは、私自身には解らないけれど。それとも、ただの気のせい?
珠を綺麗な布で包むと、小さな木箱に入れてくれた。その木箱も、何処かで見た事があるような気がした。変わった模様が彫られている。その木箱も知っている気がする。現世では無い、前世の私なのかもしれない。
「布と箱は、おまけだと」
と、教授。
私も、現地の言葉がペラペラだったなら、直接、話してみたかった。そうすれば、夢と前世との関係も、少しは解ったかもしれない。
私は、片言の現地の言葉でお礼を言うと、皆と一緒に店を出た。老店主は、にこやかに見送ってくれた。
店の中が薄暗かったせいか、外に出ると眩しく感じる。少し西に傾いた夏の陽射しが、店の庭先に差し込んでいる。外は、暑い。日本の夏より涼しいとはいえ、店の中との温度差から、汗がにじんでくる。エアコンなど無い感じだったけど、あの涼しさは何だったのだろう。
千早は、大きく深呼吸を繰り返していた。彼女は、何か感じ取っていたのかもしれない。お香の匂いが染み付いてしまった。
「ねぇ。遥、なんでそんな、胡散臭い物を買ったの?」
留美が問う。
「一目で、気に入ったから。後は、教授が言った通り」
「ふ~ん。モノ好きだね」
留美は、私の答えに対して興味は無かった様だった。
「私は、出来るなら関わりたく無いモノばかりだったけど、魔除けアイテムみたいなのは、欲しかったな。まあ、扱えないと言われたら、諦めるしかないな」
千早は、苦笑い。視える彼女には、ナニが視えていたのかな。
この珠が、夢で出てきた物、夢の中で貰った珠だとは、言えない。
「でも、珠が、遥を選んだって、言っていたし。あの時の遥、まるで魅入られていた感じだったよ。やっぱり、前世と関係しているんじゃないの」
千早が言う。千早の目には、私と珠に何が視えていたのだろうか?
千早と教授は、意味深に視線を交わしている。この二人は、妙なところで気が合う様だ。
ここへ来て、改めて感じる幽かな懐かしさ。それは、夢とは別に朧気な記憶。ソレに自分自身が、戸惑っている。でも、ソレを否定する事は、もう止めた。
夢に出て来ていた、あの珠は、確かに存在していた。夢の中で、黒いピエロに貰った、不思議な珠。それと同じ。同じだと想う。きっと、そう。
私の中の誰かが応える。それは、夢の中の少女、つまり、前世の私。
教授も千早も、それを推測したのだろう。ふと、教授を見ると思案していた。
「やっぱり前世だ。それが、今、証明出来た。そして、その珠で説明が付く。
きっと、亜麻見の前世、と言っても輪廻するから、何処の前世のコトかは解らないけれど、もし、その珠と前世が繋がっているなら、何処かに共通点がある筈。輪廻の全てに。でも、魂の記憶は封印されるから、誰も解らない。稀な人間が、前世を語る。魂に刻み込まれた記憶。とても深い刻印。その封印が、何かの理由で解けてしまっているのが、亜麻見の現状だな。そして、何故か、亜麻見の前世にまつわる記憶が、徐々に蘇ってきている。だから、その珠と共鳴した。もしかしたら、あの鳥も関係しているのかもしれないな。ま、おかげで、目当ての物が手に入ったし」
教授は、何時ものごとく一人で解説し納得している。
「でも、現世、現在の状態を解決するのは、亜麻見、本人にしか出来ない事。幾ら前世や夢で悩んでも、それが今に影響していたとしても、現世のお前次第」
と、教授。
それは、私自身の問題。前世の記憶に何か問題があるとして、それを、幼い日のトラウマと夢としてでなく、受け止める覚悟が必要だという事も。でも、それが出来ないから、前世や夢に振り回されていると、いった感じ。
家族との事、進路の事。考えていると、虚しくて情け無くなってしまう。この珠が、それらを解決に導いてくれるのだろうか? 袋の中の珠の事を考えた。
店の庭先で、立ち話をしていると、午後四時を告げる鐘が鳴った。すぐ近くで鳴ったものだから、耳の奥まで響き渡り痛みを感じた。教授は、ハッとして、腕時計を見た。
「さて、もうすぐ集合時間だ。ところで、噴水の広場へに戻るには如何すればいいのか。鳥を追う亜麻見を追っていたから、道など覚えていないぞ」
この小さな店と広場は、地図に載っていない。何故かGPSも圏外表示。
「はあ、すいませんね。でも、お目当ての物を買えたのでしょう」
イヤミっぽく言ったら、教授は本の入った袋を抱えて視線を逸らした。
そういうところは、子供っぽい。
私達の話声が、店の中まで聞こえたのか、老店主が出てきた。明るい所で見ると、老人ではなく、年齢不詳か初老に見える。光の加減で、教授とそう変わらない年恰好にも見えなくもない不思議な人だ。
教授は、出てきた店主に、噴水の広場までの道を聞いている様だった。
すると、店主は、着いてこいと云うジェスチャーをして、歩き始めた。
店と庭を囲む様に石造りの建物が壁となっている。その壁の一つに、古ぼけた鉄の扉があった。何処かの建物の裏口らしい。その扉の向こうには、何かあるのだろうか。
「ここから入って、建物の中を通り抜けると、噴水の広場に出るんだと。民家っぽくないが、何の建物なんだ?」
と、教授。店主は、ニッコリと笑うと、その鉄の扉を叩いた。
しばらくして、血の気の悪そうな青年が、扉を開いて出てきた。灰色の僧服を着ている。修道着って言うのかな? 青年は、店主に礼をとると、私達の方を見て、何か店主と話していた。
「ここ、教会だったのか。通りで、鐘の音が強烈だったんだな」
そういえば、夢の中の孤児院も、教会の裏の広場の所にあったような。
店主は、教会の中を通り抜けさせて貰うと良いと、言った。対応に出た、修道士も特に反対する事もなく、躊躇う事なく、招き入れてくれた。
店主に、お礼と別れを告げて、裏口から狭い通路へと入った。そして、廊下へと抜ける。修道士に案内されて進む。教授と修道士は、何か話していた。その話を、訳して、私達に教えてくれる。こういう時、自分も現地の言葉がペラペラと喋れたら良いなって思う。
歴史古く、外観は風化しているのに、中は隅々まで手入れと掃除が、行き届いていて埃一つ無い。その様な事も、修行の一つなのだろう。
テレビ番組で放送する様な世界遺産の教会と、似ている。でも、それよりも古い時代を感じる。派閥もあるから建築様式が異なるのだろう。おそらく、教会と修道院が一緒のタイプ。どの宗派なのかは不明だけど、如何して、一神教と胡散臭いオカルト店の主が親しいのかが不思議。如何見ても、あの店主を敬っている感じだった。まぁ、昔からの付き合いなら、目上の人物を敬うのは当たり前か。
修道院側の廊下を抜けて、教会の礼拝堂へと出る。正面に、大きなステンドグラスの天窓が見える。外側から見えていた物だ。外からだと、何の絵が描かれているのかは、解らなかったけれど、ここからだと、よく解る。
言われている年代から千年近い。だけど、その素晴らしさは当時のままのカタチを留めている。陽光を浴びて、ステンドグラスは輝いていて、礼拝堂の床にその絵を映し出している。
翼を広げた天使が、地上から翔いて往く姿が描かれている。息を飲む程の美しさ。でも、何故か物悲しい印象を受ける。まるで、地上は在るべき場所ではないのだという印象。人間に見切りを付けた。そんな天使達を現していると、私は感じた。そして、このステンドグラスが、夢の中にも出てきていた事を思い出した。このステンドグラスの絵の様に、夢の中の私も、何処か遠くへ翔いて行きたかったのだ。あの、黒いピエロと一緒に。そう想うと、胸が痛む。
私が、じっと、ステンドグラスを見つめていると、千早が、写真撮影して良いのかを、教授に通訳してもらっていた。祭壇や、イコンなどはダメだけれど、ステンドグラスだけなら良いとの事。なので、祭壇などが入らない様に、色々な角度から、そのステンドグラスを写真に収めた。
そして、ステンドグラスの天窓の下にある大きな木の扉から、外へと出る。そこは、先ほどの、噴水のある広場だった。あの店と庭は、教会の真裏だった。でもそこへ至る道は、複雑に入り組んでいる。不思議な町だと思った。
修道士達にお礼を言い、外へ出た。やっぱり建物と外の温度差がある。だけど、夕方になってか、心地の良い風が吹いていた。私達三人は歩いて、噴水の方へ向かう。振り返ると、教授が修道士に何か渡していた。それを、恭しく受け取り、教授に一礼していた。立ち去る私達を、修道士達と、あの店の店主が一緒に見送ってくれた。
「教授、何を渡していたのですか?」
留美が問う。
「寄付だよ。ほら、古いと色々と必要だろう。あの様な物は、守っていくべきモノだから。信じる信じないでは無くて」
と、照れ臭そうに言った。修道士が、あんなに恭しく受け取り、深く一礼するなんて、幾ら寄付したんだろう。
古都を後にする。ここへ来た道を少し速足で歩く。西へ傾いた太陽の陽光を受けながら古都から、大通りへの道に出る。その先に広がる、近代的な街。まったくの別世界に感じてしまう。
私は、何度も古都の方を振り返る。もう、来ることは無いだろう。
夢の中、前世の私は、確かに、この古都で暮らしていた。それは、科学で証明は出来ないコトだけど、私は、その様なコトが存在していてもいいのかもしれないと、思った。相変わらず、胸の痞えと痛みは残っているけれど、ここへ来て、何か一つ越えて近づいたのかもしれない。ワカラナイ、ナニかに。
教授は相変わらず、買った例の本をしっかりと抱えて、にんまりと笑みを浮べていた。マニアックさが滲み出ている。この教授は、両極端な人間なのだとシミジミ思う。
「どうしたんだろう教授。変な笑い浮べてさ。さっき、買った本って、そんなに凄い本だったの? なんかどこかで聞いた事のあるような題名だったけど」
留美が、私に話しかけてきた。多分、あのモードの教授に問うのは、留美と云えども、関わりたくないのだろう。
「留美。ゼミで、取り上げた事だよ。しかも、かなり力入れて。学生の中にも、かなり真剣に教授と問答していた人いたし。講義、聞いていたなら解ると思うけど。ラグクラフトって、小説家。その人の書いた話の中に出てくる本。テキスト配っているから、一度目を通しておくべきだよ。多分、後期に出る」
言うと、留美は、解っているのか解らないのか、悩んだ素振りを見せる。なんで、留美の様なタイプの人が、このゼミを選んだのかが不思議だった。翻訳家になるなら、まあ、解るけれど。他のゼミは、レベルも高く人気や競争率も高いし、課題も多いと聞く。だけど、幻想文学ゼミは、妙な課題が多い。就活には結び付かない様なゼミだ。だけど、このゼミの卒業生の中には、有名な翻訳家がいる。
それにしても、ラグクラフトの創作神話の本を求めるなんて、本当に変わり者だな。でも、信じている人はいるらしいし、まんざら、創作では無いかもしれない。誰も知らないだけで、本当は存在しているのかもしれない。そう思うと、変な汗が出てきた。
魂が存在し、神々や仏も存在していて、精霊なども存在している。千早は、ソレを視たり感じたり出来るから、信じている方なのかもしれない。ただ、ソレラの存在を現代人が忘れてしまっているだけなのかもしれない。
私は、もう一度、古都の方へと振り返ると、三人の後を追った。