これが私の仕返しです
真っ黒な烏が5羽。それぞれがカマリエラ・オートマトンとハルヴァートの顔に飛びつく。まるで視界を塞ぐように。
飛びかかってきた烏に怯んでカンナを押さえつけていた腕が緩む。
「っ!!」
今だ。やや乱暴にカマリエラ・オートマトンを突き飛ばし、だっと駆け出す。
アルヴィナ先輩、ありがとうございます。この助力は無駄にしません。口に出す代わりに心の中で言い、ハルヴァートを振り切って逃げ出す。鬱蒼とした森だ。低木の茂みをひとつふたつ超えれば姿をくらませられるだろう。
走る方角は校舎の方だ。少しでも人目がある場所へ。目撃者がいるような場所ではハルヴァートも凶行には及べないはず。こちらに向かっているだろうレコとリグラヴェーダに合流できれば最高の展開だ。
「っはぁ……はぁ…………!!」
距離は稼げただろうか。息が切れるまで走って、その場にへたりこむ。
おう大丈夫かとベルダーコーデックスが一声かけてきた。心配ではなく揶揄だ。あぁもう、と思いつつ、ベルダーコーデックスを膝に載せる。
読むべき真実がひとつある。ミリアの事故死のことだ。
だって、アルヴィナのそれがハルヴァートの手によるものならミリアだって。
「――解読開始」
魔力は十分。必要な情報さえ揃っているのなら読み終えるのも早い。ハルヴァートが追いつく頃には読み解き終わっているはずだ。
さぁ、真実よ。すべてをつまびらかに。
***
子供の頃の話だ。
「他の子とキスしてたでしょ」
肩ほどの短い栗色の髪を逆立てるほどに怒り、子供ならぬ剣幕でミリアはハルヴァートに問う。
ハルヴァートが別の女の頬にキスをしていたところを見た。由々しき事態だ。子供の児戯のような恋愛ゆえの狭い知見だからこそ口付け一つは重罪たりえる。大人なら頬への口付けくらい、多少不愉快ではあっても挨拶として頬にキスをする文化はあるからと抑えられるところだが、結婚すれば子供ができると思っているような幼い子供にとっては重要な問題だ。ミリアにとってはあれはプロポーズに等しい。
「別にいいだろ、ベルベニ族の挨拶じゃん」
「だからって!」
挨拶だからいいって話ではない。あんなのプロポーズも同然だ。浮気だ。
そんなことくらいで怒るのはおかしいだろうか、抑えるべきことだったろうか。カンナに問うてみたが要領を得ない曖昧な回答だったので怒りのままに突き進んでやる。
あれは浮気だ。浮気者め。
「何とか言いなさいよ! この……っ!!」
「っミリア!!」
***
掴みかかってきたので反射的に突き飛ばしたらその背後は池だった。
助ける、どうやって、一緒に引っ張り込まれてしまうのでは。躊躇している間にミリアはどんどん沈んでいって、自分がやっと大人たちを呼んでくるという考えに至った時にはもう。
あれは事故だった。ミリアは足を滑らせて落ちた。そういうことになったのだが、もし直前にいざこざがあったことが発覚したらその結論も変わるのでは。だってあれは俺が突き落として殺したのも同然で。俺が殺したのだと責められたら。俺のせいだと言われたら。俺の罪だと裁かれたら。
ずっとそう考えてばかりだ。
「ハルヴァート、旅行に行かないか? 思いっきり遠くに」
心を塞いでいた矢先、親父からそう言われた。子供の恋愛の範疇とはいえ、子供なりに真剣に好きだった子が死んでしまったショックは相当だろうと気を使い、気分転換のために。
もし旅行先が気に入ったらそこに移住しようか、なんて。ちょうどいい。
――逃げてしまえばいいのだ。
親父に連れられて遠くへ。故郷より離れた遠い地には俺のことを知る人間なんて誰もいない。
ミリアのことは誰も知らない。事故のことは誰も知らない。故郷の人間と再会すればミリアのことを掘り返されるかもしれないが、故郷の人間に出会わなければいい。俺の知らないところでどうこう言われようと俺には関係ない。俺の視点上では真相は闇に葬られたのだ。
魔力の発現に巻き込まれて親父も死んだ。あぁ都合がいい。
これで完全にリセットだ。俺は新天地でやり直せばいい。
なのに。
「今年から先輩ですね! よろしくお願いします!」
あの魔女が追ってきたのだ。
もしあの魔女がミリアのことを掘り返したら。そう思うと心が冷える。リセットをかけたはずの物事がまたやってきた。
とんでもない。逃げたい一心で突き放した。遠くに移動すれば追ってこないだろうと大陸ひとつ越えた先の高等魔法院に進学した。なのに。
今度こそと思っても魔女は追ってくる。
先輩を追いかけてヴァイス高等魔法院に入学しますという手紙をもらって血の気が引いた。
あの魔女はいつまでも追ってくる気だ。どうしてそんなに執着する?
たかが憧れや恋心でここまで執拗になりはしない。絶対に裏があるはず。
得たいものは俺との恋愛。そのためにかけたコストを回収したいとか。手間をかけた以上の見返りがないと引き下がれないだとか。ならそのコストはどこにかけた?
――あの魔女の武具は現実を改変する。
ふと、その可能性に思い至った。そうだ。だとしたら話がつながる。俺と恋仲になりたいから、そうなりやすいように現実を書き換えた。俺の記憶を書き換えてミリアへの罪過を植え付けたのだとしたら。
いつまでも追いかけてくる理由はそれなんじゃないか?
俺と恋人同士になりたいから、そのために俺の記憶を弄ってトラウマを植え付けた。傷心につけこんで優しくすれば俺が魔女にほだされて以下略。魔女にとってのハッピーエンドだ。
そう考えれば納得がいく。それにかける手間は相当に違いない。こんなに手間をかけて回りくどいことをしたのなら、それこそ望む結果が得られなければ気が済まない。
つまり悪いのは魔女で、俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない。
――俺を追い詰める魔女を殺さないと。




