これはとても悪い奴。性根の話です。
「よぉ。迷子になったんだって?」
「……なんで知ってるのよ」
「オレはテメェの相棒だろ? 何でもお見通しさ」
もちろん入学1日目で失恋したことも。にたにたと笑うような言い方に神経を逆撫でされる。
何か言ってやろうと思い、カンナは声の主を睨んだ。机の上、爆笑する人間が膝を叩くようにばたばたと表紙を開閉している本をねめつける。
机の上でひとりでに動いて爆笑しているこの本が声の主だ。ベルダーコーデックスというそれはカンナの相棒であり、そして神から与えられた恩寵、すなわち魔法である。
往古、魔法というものは神に選ばれた人間のみが使えるものであった。選ばれて魔力を与えられるだけではだめだ。魔力の有無に加え、複雑な魔術式を用いるそれを理解できる素質が必要だった。
それをどうにか選定も素質もなしに使えないかと人間の手に降ろしたものが武具と呼ばれるものだ。銀を媒介にした武具の開発は神々に赦され、そして世界に広まった。はるか昔、原初の時代と呼ばれる時のことだ。
その武具が今現在にも伝わっている。原初の時代と違って希少で、一握りの人間しか扱うことができないが、それでもこの世界が神々に愛されている象徴として現存している。あるものは一家の家宝として、あるものは古びたアンティークに混じって、あるものは奥深い森や山に打ち捨てられて。
そしてベルダーコーデックスと呼ばれるカンナの相棒もまた、その武具と呼ばれるもののひとつである。
一家の家宝として保管され、倉庫の奥深くで眠っていたこの本に触れたことで、カンナの魔力が発現し、そして魔法の素質が目覚めた。
綺麗な銀縁のハードカバーの古びた本は自身をベルダーコーデックスと名乗り、以降、カンナがその使い手となった。
本人曰く、ベルダーコーデックスは原初の時代に起きた"大崩壊"より前から存在していたらしい。
おかげで色々知っている。原初の時代のことも、不信の時代のことも、再信の時代のことも。長い長い時間をあの倉庫の奥深くで過ごしていただけはある。
そう、この本は色んなものを知っている。真実の本と名付けられただけはある。カンナが問いを投げかければ正確な答えが返ってくるほどに、あらゆる事象に通じている。
この本はその名の通り、万物を読み解く魔法の本なのだ。
――ただの喋る本だったならよかったのに。カンナは心底そう思う。
「どうだったよ? アコガレのセンパイは?」
毎日写真を眺めるほど素敵な存在だったか。嘲笑のような声音でカンナに訊ねる。
カンナがどういう感情を抱いて再会を果たし、そして失恋に至った絶望を見通していて聞いている。性根が悪いことに、あえてそれをカンナの口から言わせようとしている。入学1日目で失恋しました、と。
「まぁフラれてよかったじゃねぇの。あの野郎、テメェが思うほどイイヤツじゃないぜ?」
「なんでそういう事言うのよ、バカベルダー!」
そんなことはない。だってあんなに優しいひとだ、とカンナが即座に反駁する。
魔法院以来で再会したカンナをしっかりと覚えていてくれた。カンナの心情を思い、慰めてくれた。ひどいことをしたと謝ってさえくれたのだ。
そんな優しいハルヴァートをどうしてそう悪し様に言うのか。牙を剥く勢いのカンナの剣幕に肩を竦めるように表紙を閉じ、ベルダーコーデックスは笑う。
「自分で言うのもなんだが、オレは人間不信だぜ?」
持ち主であり主人であり相棒であるカンナのことですら認めない。渋々使われているだけだ。
そんな人間不信がどうしてろくに会話したことのない男のことなど褒めるだろうか。あらを探し、重箱の隅をつついて欠点をあげつらうに決まっているだろうに。
もしこの本が人間だったら胸を張っているだろう。そのくらい堂々と言い放つベルダーコーデックスにこめかみを押さえたくなった。
口が悪い。性根も悪い。性格も悪い。おまけに人間不信。何が真実を見通す本だ。嘘は言わないことだけは評価してやるが、そこ以外の部分でマイナスを積みすぎている。
あちらはカンナを認めないと言うが、カンナだってベルダーコーデックスのことを認めたくはない。
武具には適正があり、適正が合う者しか扱うことはできない。カンナが他の武具を使うことも、ベルダーコーデックスを他の人間が使うこともできない。だから仕方なく、カンナはこの可愛げのない本を相棒として使っている。
入学式を前に、魔法院から持ち込んだ荷物はこちらに預けてくださいと言われてベルダーコーデックスが収められた鞄ごと渡すくらいには。入学式は武具の持ち込み厳禁のルールだったので喜んで。
それくらい嫌いだ。ベルダーコーデックスとの付き合いは5年になるが、それでも信頼し合うには程遠い。
「ガキの憧れみたいなコイゴコロなんてさっさと忘れて次行けよ」
「うるさい!」
ほんっと、こいつのこと好きになれない!