もう戻らない
即死だ、とジェリスが告げた。
「死んだんですって」
「アルヴィナさん、どうして飛び降りなんか……」
「憧れの先輩がまさか……」
「遺体は実家へ……そちらで埋葬するそうだ」
「葬儀はこちらでも行うべきかと。彼女の信仰は? リグラヴェーダ先生、確かあなたの生徒でしょう。知っていますか?」
「えぇ。樹神だったはずよ。あまり敬虔ではないけれど」
「なら花をたくさん使って送りましょう。その他の手はずは……」
「自殺の原因は?」
「わからない。庭園は閉鎖されていたはずだ。なのに……」
「施錠は? 鍵の管理は誰が……」
「鍵は業者の庭師が管理しているはずです」
「脇の窓が割れていたそうだ、そこから出入りしたのでは?」
「皆さん、原因究明よりも今は彼女を送ることから始めませんか?」
「そうよな。死者の葬儀の方が先で在ろう。推理は後からでも出来よう物を」
「えぇ。ではまず…………」
騒がしい声をどこか遠くで聞いていた。
「大丈夫?」
「ハル先輩……」
流れのままにエントランスの一角のベンチに座って呆然としているカンナの横にハルヴァートが座る。どうぞ、と差し出されたホットレモンティーを受け取り、カンナは重々しく息を吐いた。
「アルヴィナ先輩が……信じられないんです」
屋上からの飛び降り自殺。即死。聞かされた事実をまだ受け止めきれない。実感はまだ遠く、まるで現実のことでないように感じられる。
実感がなさすぎるせいで悲しいという感情も遠い。こういうものは後からくる。遠かったぶん勢いを増して。感情の洪水となって理性を攫っていくのだ。
「テメェは平気なのかよ?」
じろりと睨みつけるような雰囲気でベルダーコーデックスがハルヴァートに詰め寄る。
死んだのは恋人だ。倦怠期で冷めてもいない睦まじい間柄だったはず。それが死んだというのに泣きわめきもしない。淡々と目の前の葬儀の打ち合わせを眺め、ショックで呆然とするカンナを心配している。
なぜ平然としているのだろう。怪しむベルダーコーデックスへ、手に持ったコーヒーの水面を見つめたままハルヴァートが答える。実感が薄いんだ、と。
「2回目だからかな」
「…………あ……」
2回目。そうか、ハルヴァートにとって恋人を亡くすのは2回目だ。1回目は子供の児戯の恋愛だが、それでも恋人に違いはない。
2回目の痛みなら初回ほどでもない。痛いには痛いがそれでも1回目に比べれば鈍くなる。嫌な言い方をすれば『慣れた』のだ。
「……そうかよ」
ぷいとそっぽを向くような声音でベルダーコーデックスが話を切り上げる。普段堂々と嫌いだと反目し、事あるごとに辛辣なベルダーコーデックスでも気まずいことはあるようだ。
悪かったとは言わないが態度では何となく伝わる。謝罪を切り出す前のあの雰囲気を感じ取り、ハルヴァートもそれ以上何も言わなかった。
「……さて、カンナちゃん」
切り替えるようにコーヒーをあおり、ぐしゃりと握り潰した紙コップをゴミ箱へ放り投げたハルヴァートがつとめて明るい声で話題を変える。
といっても事態が事態なので結局は帰結してしまうのだが。アルヴィナの葬儀の話だ。目の前で教師たちが話し合っていることを見るに、アルヴィナの遺体は実家へ送り、そちらでも魔法院も両方で個別に葬儀を行うそうだ。魔法院では全校生徒による大規模な葬儀ではなく、全校集会で生徒の死を伝えるだけにとどめ、会場に希望者のみが参列する形式になるそうだ。
あんなことがあった直後ではあるが翌日からは通常通り授業を行う。だが、友人や知人にあたる生徒には数日の忌引を与える。ハルヴァートもカンナも当然該当する。
以上が大まかな方針で、細やかな段取りはこの後の緊急職員会議と打ち合わせを経て決定される。
「午後に全校集会、翌日に葬儀だって。…………きついなら無理しないで」
医務室を担当するジェリスは怪我だけでなくメンタルケアも兼任する。もし悲しみに耐えかねるようであれば訪ねるといい。薬学を担当するリグラヴェーダだって相談すれば鎮静効果のある薬を処方してくれるだろう。
ともかくまずは自分の心を守ることだ。葬儀に出席するだの墓参りだの礼節は後からでもいい。出席できなくたって墓参りが遅れたってアルヴィナは怒りはしないだろう。むしろ、自分の悲しむ心を置き去りにして礼節を優先することを怒るかもしれない。死んだ人間のことより今生きている自分のことが大事でしょう、と。
「……アルなら本当に言いそうだなぁ……」
「っ、そう…………そう、です、ね……」
アルヴィナの優しさを振り返り、ついに実感が現実に追いついた。同時に涙腺が決壊する。
ぼろぼろと涙をこぼすカンナをハルヴァートは黙って見つめていた。
――魔女め。絶対に許さない。




