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曖昧蒙昧の精霊郷

目が覚めたら、きれいな花畑だった。


「ここは……?」


校下町のどこでもないだろう。四方八方どこを見回しても花しかない広大な花畑なんて校下町のどこにもない。

ここはどこだと見当をつけようにも自分の周囲は霧でぼやけてよくわからない。視界は最悪で、自分が花畑にいると認識できる程度の範囲しか見えない。

いったいここは、と混乱するカンナの周囲で光がちらついた。


「ア、起キタ! 起キタ!」

「オハヨウ! 人間サン!」

「え、えっと……おはようございます……?」


とりあえず挨拶し返しておく。いったいこの光は何で、声の主は誰なのだろう。


「アラ? 今ノ時代ノ人間ハ、ワタシタチガ見エナインダッタカシラ? ナラ、見エルヨウニシナキャ!」

「え? きゃあっ!?」


ぱちんと目の前で光が弾けた。驚いて反射的に閉じてしまった目を開けると、そこには小さな小人が浮いていた。白目のない真っ黒な目と、手足に当たる部分がより合わせた蔓になっていることからヒトでないと告げている。

カンナの手におさまるくらいの小さなそれは、くるりとカンナの前で一回転して視線の高さに高度を合わせた。


「コンニチハ!」

「あの……あなたは?」

「アナタタチ人間ガ精霊ト呼ブモノヨ」


精霊。これが。特徴からしてこれは樹神に仕える精霊なのだろう。

いや待て。精霊ということは。そしてこの花畑は。はっとして理解する。


自分がいるここは、もしかしたら、いや、もしかしなくとも精霊郷なのではないか。


だとしたらこの不思議な花畑も説明がつく。

絵本の挿絵にありがちな『精霊が住む花畑』と聞いて想像するような光景が精霊郷であるのだとしたら、この状況にも説明がついてしまうし理解できてしまう。

自分はどういうわけか精霊によって精霊郷に連れ去られてしまったのだ。


――精霊郷に招かれれば帰ってこれない。


神秘学の授業でリンデロートが行っていた言葉を思い出し、ぞくりと背筋が粟立つ。

自分はもしかしてとんでもないことに巻き込まれてしまったのではないだろうか。

どうしよう。いや脱出するしかないのだが。現状を相談するためにベルダーコーデックスを呼ぼうとして、ふと、腰のベルトに何もないことに気がつく。ベルダーコーデックスをおさめ、ベルトに吊り下げるためのホルダーがない。


「ベルダー?」

「アァ、アノ子ナラ、ヒトノ世ニ置イテキチャッタ!」

「え」

「ダッテ、ウルサカッタンダモノ。ジャマダカラ、置イテキチャッタ!」


そんな。煩かったから置いてきたと無邪気な口調で言うが、それが本当なら冗談じゃない。

カンナに打つ手はないじゃないか。このまま精霊郷で朽ちてしまうしかないのだろうか。


リンデロートの授業曰く。

精霊郷に長くとどまると、自分が何者かわからなくなって帰り道を忘れてしまうという。自分が人間であることを忘れ、何者であるかを忘れ、帰るべき場所が思い出せなくなってしまう。

思い出せないことがあるということすらわからなくなる。そうして自己が曖昧になって蒙昧になっていく。そうなれば立派な精霊郷の住人だ。元人間の精霊のなり損ないとして精霊郷で文字通り永遠を過ごすことになる。


だからといって強引に逃げ出そうとすれば精霊の不興を買う。

せっかく精霊郷に招いたのにその態度かと不機嫌になった精霊はたちまち人間を呪って化け物に変異させる。精霊郷に長くとどまることで曖昧になる自己認識を一瞬で強引に剥がし、ついでに人間の肉体も変えてしまう。残ったのはヒトの形をしていない上に自我を失って呻くだけの肉塊だ。


だから上手に穏便に帰る方法を模索しなければ。

その相談をするベルダーコーデックスはいない。カンナひとりの力でどうにか精霊を言いくるめなければならない。

はっきり言って無理だ。揚げ足を取られて論破もどきの反撃を食らうのが目に見えている。


「ど、どうしよう……」


帰れない。帰る方法が見つからない。現状を打破する手が思いつかない。

思わず頭を抱えるカンナの様子を見、精霊が慈悲を垂らすようににこりと微笑んだ。


「ダイジョウブ! 心配シナイデ。ワタシハ遊ビタイダケダカラ」


化け物に変異させるなんてことはしないし、傷つけたりもしない。安全は保証しよう。

遊び相手に満足したらきちんと人間の世に戻すと約束する。


きっとこの人間は自分のこの先の運命を心配しているのだろう。

精霊が人間と関わる時、それは神の台本の仕込みだと言われている。だからきっと、彼女はその運命の仕込みに巻き込まれたのだと思っているに違いない。この先、仕組まれた運命に翻弄されて自分の人生は波乱万丈になってしまうのだと。

そんなことはしない。安穏な人生を保証しよう。これは神の台本ではなく、自身のちょっとした気まぐれだ。気が済めば家に帰すし、その後の人生も穏やかだ。その証拠に、彼女が知覚できる範囲に他の精霊はいない。


「ワタシト、アナタダケ。ダカラ安心シテネ!」


だから遊ぼう、と樹の精霊はカンナに微笑む。

それでも心配なら、化け物に変異させたりしないし満足したら人間の世に帰すと樹神に誓おう。自身の上位存在である神に誓うのだ。絶対に違えはしない。

絶対安全保障をつけてあげるから、ちょっとの間だけ遊び相手になってほしい。


「ネ、ネ! チョットダケ!」


――まぁ、『いつ』満足するとは言っていないが。

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