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精霊祭

それから一ヶ月。呆気ないくらい何も起きなかった。

あれだけのことをやったのだから、さぞ次も大掛かりな敵意を向けてくるかと思ったが。肩透かしだと感じるほど何も起きなかった。カンナの知らないところで事が起きたのではとハルヴァートに現状確認ついでに聞いてみたがそれもない。

そして今日もきっと何もないだろう。だって今日は精霊祭だ。

精霊祭とは、その名の通り精霊を祀る祝祭だ。


精霊とは、神に仕える召使いだ。神々に作られ、神々が作った世界を正しく運営する役目を負う。神々の眷属は世界を形作る部品だが、精霊は世界という機構を動かす動力だ。


その精霊に感謝し、神々と人間の繋がりを噛み締める。それが精霊祭だ。

この日ばかりはどんな悪人でも罪は犯さないと言われる。なぜって、今日は精霊祭だからだ。


精霊の思考をなぞるとこうだ。

今日は自分たちのための日。人間たちは祝祭を祝うことが何よりも大事で、それをおざなりにしてはならない。自己中心的で高慢な思考だが、実際そうだ。神々の作った世界を動かす自分たちは尊ばれるべき。

もし仮に、人間ごときが祝祭をおざなりにして他のことをしていたら。そうされてはとても気分が悪い。気分が悪いので、祝わない人間には罰を与えよう。例えば末代まで呪うとか。


人間の理屈では筋が通らない理由だが、精霊の理由はそうなのだ。平気でそう理由を述べてそんなことをしてくる。だからどんな悪人でも今日ばかりはあらゆる悪事の手を止める。でなければ、たった一日の不信心で永遠に苦しむことになる。


なので、今日は絶対に魔女は手を出してこない。絶対に安全だ。ハルヴァートへの敵意のために、これから先の未来すべてをふいにはしないだろう。

だから大丈夫。今日は何も気にしなくていい。誰かがどこから見ているかもしれないと警戒せず、気楽に過ごせるのだ。


「お気楽だねぇ、まったく」


などとぼやくベルダーコーデックスだけをお供に、校下町に出た。


***


祝祭といっても特に何か儀式があるわけでもない。

窓辺に花や清めた水を入れた小瓶、水晶、木の枝などを飾り、精霊を讃える歌を口ずさむ。それ以外は家で慎まやかに過ごすのが習わしだが、大きな都市ではバザーが開かれる。


「いらっしゃい! 買ってかないか? 特製のジュースだよ!」


校下町に散策に出たカンナを早速ジュース屋台の男が呼び止める。

永久凍土の北の大陸から切り出した氷を溶かして作った天然水と、各地のさまざまな果物をミキサーで混ぜたミックスジュースだそうだ。永久凍土の北の大陸は氷の神に愛された神聖な土地であり、そこから切り出される氷から作る天然水は『神に愛された水』としての呼び声が高い。他の地域の水と比べて口当たりがまろやかでまさに『一味違う』ことからそう呼ばれる。


「商売していいのかよ」


祝祭そっちのけで商売とは。精霊の機嫌を損ねたりしないのだろうか。心配をするベルダーコーデックスの声を聞き、屋台の男はにんまりと返した。


「いいんだよ。風の神は商売の神だろう?」


商売をすることは風の神を祀り、加護を乞うこと。商売が上手くいくよう願う先は商売を司る風の神であり、風の神に祈るので神と人をつなぐ精霊にも祈ることとなる。だからこれは精霊を寿ぐことにもつながってくる。祭壇に祈り祝言を述べるだけが信仰の形ではない。

それに使っているのは『神に愛された水』だ。氷の神の加護を受けた特別な氷を使っている。この恵みに感謝することは精霊を讃えることにつながる。


ということで問題はないと言い張って商売をしているらしい。事実、何十年もこうして毎年屋台を開いているが精霊の不興を買ったことはない。なので精霊視点でもこれは許されることなのだ。


「こじつけだ……」

「はは、楽しく賑わってるほうが精霊も楽しかろうよ」


精霊は何よりも楽しそうなことを喜ぶ。祝祭だからと祭壇に祈りを捧げ、家で静かに過ごすあまり町が閑散としてしまうのは物寂しい。こうしてバザーを開き、屋台を並べてにぎやかな雰囲気で町を満たすほうがよっぽど喜ぶだろう。

そんなわけで、校下町では毎年このようなお祭り騒ぎをするのだそう。事実かどうかは知らないが、精霊が人に混じってこの喧騒を楽しむこともあるのだとか。


「というわけで、どうだい。ジュース一杯、安くしとくよ」

「う……」


ここまで深い会話をしておいて、肝心の商品は買いませんさようなら、なんて薄情なことはできない。

商売上手め。負けたように財布を取り出した。


「はいよ。今が旬のアズラの実をたっぷり使ったジュースだよ」

「ありがとうございます」

「まいどぉ!」


満面の笑みで商品を渡す店主からジュースを受け取る。近くに座って落ち着ける場所がないので、行儀が悪いが飲み歩きだ。屋台を離れて歩き出す。

大通りにはさまざまな屋台が所狭しと並んでいる。布で屋根を張ったテントの下で露店を開いている人もいる。売っているものは雑貨から食べ物まで。文字通りなんでもありだ。


「人が多いなぁ」

「ちょいと大通りから離れたほうがいいかもな。人が多すぎる」

「確かに」


飲み歩きなんかしていたら人にぶつかりそうだ。

喧騒から一歩離れるように路地に入る。いくらか減ったがそれでもまだ人通りは多い。落ち着いて座れる場所を探してさらに入り組んだ路地へ。

確かこの路地には空き地があって、そこを公園代わりにしている場所があったはずだ。ベンチがあったはずなので、座って落ち着くにはちょうどいい。


「えーと、ここの通りの……あ、あった」


だいぶ大通りから離れたおかげか、人通りもまばらだ。目的の空き地も閑散としている。

丸太を横倒しにして上部を平たく削っただけの簡単なベンチに座って、ようやくジュースを口にした。


「んー、懐かしいなぁこの味」


故郷でよく食べた実の味だ。海岸と防砂林の間に植えられるアズラの低木から採れるのがこの真っ赤な実だ。甘酸っぱい赤い果実は生食でも、ジャムにしても美味しい。

カンナの故郷である農村でもジャムに加工して出荷するために栽培していた。カンナもまた、大人たちに混じってその手伝いをしていた。


「手伝い? 邪魔の間違いだろ」

「そんなことないもん!」


幼いゆえに雑草抜きくらいしかしていないが、雑草抜きだって立派な手伝いだ。

そう言い返したカンナへ、どうだかね、とベルダーコーデックスは意地悪く笑う。


「ほんっと、性格悪いんだから」

「おうおう、褒めんな。照れるだろうが」

「褒めてない!」


何を言うんだこいつは。はぁ、と溜息を吐く。

せっかくの美味しいジュースもベルダーコーデックスのせいで台無しだ。どうせ危険はないのだし、寮に置いてこればよかったかもしれない。そうすれば楽しい気分に水を差されることはなかっただろうに。


「一人でゆっくり、楽しいことがしたいの?」

「そりゃね……って、え?」


今割り込んできた声は誰だ。

カンナが振り返るより先に、意識が暗転した。


「サァ、一緒ニ遊ビマショウ?」


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