積もる疑念は澱となって
それから数日後。
「今回も進展なし、ですね」
「そうだね」
カンナとハルヴァート、レコとアルヴィナと。各々の情報共有を済ませ、そう結論づける。今回も進展なし。
調査と追跡をすると言い切った手前、何か収穫がひとつくらいはあるとよかったのだが、残念ながら何もない。
「そういやよぉ」
ぱたり、と表紙を開閉させて、まるで喋る時に口を開閉するかのような動作をしたベルダーコーデックスが口を挟む。
とてもとても根本的な問いだ。ハルヴァートのことは嫌いだし、彼を狙う魔女とやらのことなどどうでもいいが、それを抜いて確認したいことがある。
なんだい、と続きを促すハルヴァートに、そもそも、と話を切り出す。
「教師どもに助けは求めねぇのか?」
高等魔法院の校則の一つだ。生徒に手を出し、害為す者には罰を。どんな事情であれ生徒に害を与えてはならない。生徒同士でも、教師でも、部外者でもだ。それくらい高等魔法院の生徒は丁重に保護される。
育てる者の視点から言うならこうだ。だって、ここまで育ててきたのだ。"灰色の魔女"を殺す処刑人になるか、神々への感謝を示す敬虔な信仰者になるか、後進を育てる先達になるかは人それぞれだが、その進路に沿うよう育ててきた。かけたコストが違う。だから保護しなければならない。諍いなんてことでせっかく育てた芽が折れてはならない。
だからこそ生徒は保護される。こうしてハルヴァートが標的にされ、実際にカンナに害が出た。それなら教師らに相談すればいいじゃないか。魔女とやらは引きずり出され、処罰されるだろう。
こうして自分たちが自力で解決しようとしなくてもいい。教師らに任せれば後は安泰だ。
「あぁ、確かにそうだね。でも、相談先が魔女だったら?」
ベルダーコーデックスの言う通り、教師らに相談するのが最も解決に早い近道だろう。教師らは自分たちよりもずっと優れた武具使いだ。
だが、待ってほしい。その相談先が魔女であったら。私は味方ですという顔をして欺かれたら。欺かれているうちに手遅れになったら。そう考えると躊躇する。
それに、安易に近道を利用するのも良くない。自分たちで問題を解決せず他人任せにするだなんて。できることをやって、それでも打てる手段がなくなった時に初めて教師らを頼るべきだろう。
「やれることは自分でやらないとね。それくらいできなきゃ高等魔法院の生徒じゃないさ」
「そう……そうですよね!」
さすがはハルヴァート。言うことが立派だ。かっこいい。そういう自立したところに憧れる。
故郷でもそうだった。困りごとは誰かに相談する前に自分で解決しようとしていた。
大人たちはそんなハルヴァートを見て、背負いすぎだとか心配していたものだ。子供なのだから大人を頼ってもいいのに、と。
それくらい責任感と自立心の強い子供だった。幼いながらにその背中を見ていたからよく知っている。その背中に恋をしたのだ。
憧れの先輩の格好良いところを再確認して思わず手を叩いてしまったカンナへレコが肩を竦める。恋は盲目。たとえ入学一日目にその恋が終わっていてもだ。
憧れは憧れのまま、鮮烈に焼き付いているのだろう。残念ながらレコにその魅力は響かないが。
「でもハル。格好つけたいってプライドは結構だけれど、それだけじゃもう限界なのではなくて?」
責任感と自立心が立派なのはいいことだが。ベルダーコーデックスとかいう喋る本と同意見だ、とアルヴィナが頷いた。
こうして後輩に被害が出たのだから、自分で解決を試みる段階はもう限界なのではないだろうか。そろそろ周囲を頼ってもいいだろう。本格的に事態が手を付けられなくなる前に。
「もうすべてを明かしてしまってもいいでしょうに」
「アル」
「………………まだやれるのなら、いいですけれど」
ハルヴァートの表情を見て、ぱっとアルヴィナが言葉を引っ込める。まだ思案段階で、実行してない手がある、という顔だ。その手を打ってみるから今は雌伏を選んでくれという訴えの視線を受けて、えぇ、と頷いた。ハルヴァートがそう言うのなら従おう。
「ふむ。じゃぁ、情報共有の時間はここまでかな」
「そうですわね。これ以上は話すこともないでしょうし」
各々、調査は継続。何か手がかりがあれば即座に。無ければ二週間後の定期報告で。
方針を確認してからアルヴィナが席を立った。そろそろ薬草学の授業の時間だ。授業の都合で午後は休みのハルヴァートと違って。
「あ、やば。私もじゃん」
「行ってらっしゃい~」
レコもまた、彫金学の授業へと向かうためその場を離れる。彫金学の担当のハッセはとても時間に厳しい。1秒の遅刻も許さない。5分前行動が原則で、むしろその始業5分前が基準になるほど。生徒たちは始業5分前にいるはずなので始業5分前に授業を始めても問題ないというくらい。
急がなければ。駆け出すレコを見送ってカンナが手を振った。
「カンナちゃんは?」
「私は午後休みなんです。本当は神秘生物学があったんですけど、先生が急用で、って」
世話をしている神秘生物が体調を崩したらしい。つきっきりで看病する必要があるので、残念ながら授業は休みだ。予定では今日は水棲の神秘生物についての話だったのだが。
「ナルドの海の神秘生物についてだったんですよ、あーぁ」
「ナルドの? それは残念だね」
故郷はナルド海にほど近い農村だった。そのナルド海の神秘生物についての内容が予定されていたのなら、きっとカンナはその話を心待ちにしていただろう。親しみのある海のことなのだから、もっとよく知りたかったはず。
「そうなんですよね、ナルド・リヴァイアに……レヴィアかもしれないんですけど……に、命を救われた身ですから」
「あぁ。懐かしいな、溺れかけた話だっけ?」
確かそんなエピソードがあったと聞く。ハルヴァートはその場には居なかったが、カンナが海に行ったまま帰ってこないと大人たちが慌てふためいていたことはぼんやりと覚えている。
成程。それでより一層ナルド海の神秘生物について聞きたかったのか。受けた恩をいつか返す時の一助とするために。
「溺れる、か……」
「あっ……」
そうだった。ハルヴァートにはその傷があったのだった。
当時、まだハルヴァートが10歳の子供だった頃。恋人の関係に相当する扱いの女の子が死んだのだ。
池に落ちて、溺れて死んだ。助けようとしたハルヴァートが自力では無理だと悟って大人に助けを求めたが、もう手遅れだった。
それはまだ生々しい傷としてハルヴァートの心に存在するのだろう。あの時すぐ大人に助けを求めていれば助かったかもしれないという後悔に苦しめられているはずだ。
不意に地雷を踏んでしまった。思い出させてしまってごめんなさいとカンナが眉を下げる。気にするなとハルヴァートが首を振った。会話の流れ上、仕方のないことだ。
「カンナちゃんはあの子のこと覚えてる?」
「少しは……」
一回り上の年齢だったので、あまり接点はなかった。一緒に遊んだことだって数えるくらいしかない。
名前と顔をぼんやり覚えているくらいで、細かいことはあまり記憶にない。彼女の死は悲しかったが、それまでだ。薄情だが、ハルヴァートのようにトラウマになるほどの思いはない。
「あ、でもその前の日だったかな。あの子から話をされたのは覚えてます」
接点がないから逆に相談しやすかったのだろう。珍しくあちらから話しかけてきて、何か話をした記憶がある。
「へぇ。何の話だったのかな?」
「それが覚えてなくて……途中から聞いてなかったんですよ、実は」
昼過ぎに話しかけられて、終わる頃には夕暮れだった。その間、ずっと同じ話ばかりを繰り返されていて辟易するあまり途中から聞き流していた。
覚えているのは辟易した気持ちと、やっと解放された安堵の気持ちで見上げた夕暮れの空だけだ。肝心の話の内容は覚えていない。
「えぇ? なんだい、それ」
「ほんとに覚えてないんですよ。それくらいどうでもいい話だったのかも」
「ふぅん……」
じゃぁ大したことのない雑談だったのかもしれない。そう片付けて、話を切り上げる。
「じゃ、俺はそろそろ行くね」
「あれ? 午後の授業はないんじゃないんですか?」
「自習だよ」
ひらりと軽やかに手を振り、ハルヴァートが立ち去る。
――覚えてないなんて、都合のいいことを。




