忍び寄る影の名は
「協力してくれるかい?」
「はい! もちろんです! でも、何をすれば……?」
「大丈夫、大したことはしないよ」
こちらが対処に動き出したことをあちらに悟られてはいけない。
なので表向きはこれまでと同じだ。普段どおりに過ごしつつ、裏で調査や追跡などを行う。何か収穫があればそれを共有する。作戦ともいえないただの方針だ。
「つまり汚く言えば、カンナちゃんは狙われ続けて囮になれってことさ」
とてもとても卑怯だが、そういうことになる。
ターゲットの周囲から攻めるというあちらのやり方を利用し、カンナに囮になってもらう。そうしている間にハルヴァートが魔女を捕らえ、引きずり出す。
「わかりました、そういうことなら……」
「ごめんね、汚い男で」
後輩を、しかも女の子を盾にするなんて。男として情けないし卑怯極まりない。こんな手段しか取れない自分に嫌気が差す。はぁ、とハルヴァートが溜息を吐いた。
「あの、魔女……でしたっけ、その人についてはどのくらいわかってるんですか?」
「何も」
誰かということは当然わからない。
魔女と便宜的に呼んでいるが女であるかどうかも怪しい。年上か年下かもわからない。
何が目的でどういう動機で狙ってくるのかもわからない。これまで無数にいた恋人のうちの誰かの逆恨みにしては物騒なのでその線はないだろうという予想は立つが、そこまでだ。
「じゃぁ、いつから狙われてたんですか?」
「魔法院からだよ」
もしかしたらそれより前からだったかもしれないが、意識し始めたのがそこからだったので仮にそうしておこう。
魔法院の頃からこうして正体のわからぬ魔女に心に冷水を浴びせられてきた。何かをしてくるわけではない、だが、『ここに居るぞ』ということだけはしっかりとメッセージを残してくる。
「過去の負債って前に言ったろう、それがこのことだよ」
過去の負債がある。以前、ハルヴァートはそう語った。過去の負債があって、片付けなければという焦燥感に追い詰められる気分になるのだと。それがこの魔女のことだ。この魔女を片付けなければこれから先ずっと心に冷水を浴びせられるだろう。周囲の人間が巻き込まれて被害を受けていく。
魔法院の頃、自分を追いかけて入学してきたカンナに突き放した態度を取ったことがある。勉学が忙しくて構っていられなかったと詫びたがそれは表向きだ。真の理由は『これ』である。唯一の同郷の年下の女の子をこんなものに巻き込んではいけないと思い、巻き込まれないようにとわざと冷たくした。
「そうだったんですね……」
成程。色々と話がつながった。それに情報も。
うんうんと頷き、それから、ベルダー、と腰のホルダーに鎮座するベルダーコーデックスを呼ぶ。退屈そうに話を聞いていたベルダーコーデックスが、ん、とカンナに意識を向けた。
「あん? まさかそれだけの情報で読めって言うんじゃねぇだろな?」
ベルダーコーデックスは『真実の書』だ。あらゆる事象は全てこの本を介して解明される。謎や疑問は一瞬で解決できる。
だがそれは十分な情報があってこそ。ある程度の情報がなければ『真実の書』はその機能を完璧に果たせない。何も情報がない状態で読み解いた真実は不透明で曖昧だ。本を開いて机に置き、遠く離れた距離から双眼鏡で見るように。近視の人間が裸眼で文章を読むように。薄暗闇の中で本を読むように。そんな状態で読み取れたものにどれほどの説得力があるだろう。
「情報ナシでの解読は危険だってのはテメェも知ってるだろうが」
仮にこの情報から解読を開始してもろくな成果は得られないだろう。鳥をメッセンジャーにした花の警告の送り主が誰であるかを調べるよりももっと曖昧だ。やったとしても『男もしくは女、年下か同年代はたまた年上か、集団の可能性もあるが単独犯の線もある』だとかそんなような内容になってしまう。
そのリスクはこうして説明されずとも術者であるカンナもよくわかっているだろう。
それに、とベルダーコーデックスが続ける。
「なんでコイツなんかのためにオレが使われなきゃならねぇんだよ」
ふんとベルダーコーデックスが鼻を鳴らした。
カンナは気付いているだろうか。ハルヴァートはこのところ露骨に口調が優しい。まるで罠にかけるための甘い誘惑のようだ。猫なで声で油断させて仕留めるような雰囲気に近い。
元々いけすかないと思っていたところにこの態度を見せられては不信感しか湧かない。それでどうしてハルヴァートのために真実を教えてやろうというのか。
「絶対お断りだね」
「ベルダー! なんてこと言うのよ! す、すみませんハル先輩……!!」
「いいよ。気にしないで」
ベルダーコーデックスに嫌われているのは今更なので。魔法院の頃からずっとそうだ。
肩を竦めて刺々しい言葉を流す。さて。
「嫌われているのはともかくとして、俺もベルダーコーデックスには賛成かな」
情報不足の今、強引に解読を開始しても収穫は見込めないしむしろ変な解釈によって真逆の結論に至ってしまう危険性がある。その状態でベルダーコーデックスを用いるのは勧められない。
だから情報がある程度出揃うまではベルダーコーデックスによる犯人の特定と動機の鑑定はしないでほしい、というのがハルヴァートの主張だった。
「はい、わかりました。でも……」
「でも?」
「えぇと……レコに相談してもいいですか?」
真実の書という『答え』そのものが参照できないなら、調査や追跡でゼロから情報を集めて推理していかなければならない。なら、味方は多くしておいたほうがいい。ハルヴァートやカンナ、そしておそらくアルヴィナも含めて3人では心もとない。そこでレコに事情を話して助けになってもらいたい。
「そうだね。じゃぁ、レコちゃんへの事情説明とかは任せていいかな?」
「はい!」
よし、じゃぁそういうことで。こくりと頷きあって、それから床に置いた内緒話のおまじないの紙片を拾う。人の気配のない場所で男女があまり長いこと居るものではない。とんでもない誤解からの噂が生まれてしまう。
「アルって妬いたら怖いからね」
武具で呼びかけられるすべての鳥に呼びかけてけしかけてくるのだ。けしかけられるのが雀や鳩程度とはいえ、大量に押し寄せられてはひとたまりもない。
例えるなら、腹をすかせた鳩の群れの前に米粒をぶちまけるような。あんな状態だ。
そう茶化し、一足先に行けとカンナを促す。ここで一緒に図書室を出てはあらぬ誤解を強めてしまう。それにレコへの相談もあるだろう。自分は特にこの後の予定はないので急ぐ用事もない。
「じゃぁ、何かわかったらよろしく」
「わかりました! ハル先輩こそ、よろしくお願いしますね!」




