背中を追われる気持ち
本を棚にしまうだけ。字にすれば簡単だが、実際やるとなると体力を使う。
頼まれたのは台車3つ分だけ。だが終わる頃にはへとへとになっていた。
「あぁ……体が重い……」
明日は筋肉痛だ。絶対。
寮に帰るのも億劫で、どこか座るところでいったん休憩しようと途中の休憩室に立ち寄る。人は閑散としていた。
「あ、ハル先輩」
「あれ? カンナちゃん?」
奇遇だねとハルヴァートが手を挙げる。だいぶ疲れているみたいだけどどうしたの、蔵書整理の仕事をした帰りです、と軽く経緯を説明しながら手近にあった椅子に座る。へたり込むような座り方に相当の疲労を察し、お疲れ様とハルヴァートが労いの言葉をかけた。
「先輩は?」
「歴史のレポートさ」
歴史の、というとイノーニか。彼女の過激な発言を思い出し、思わず眉が寄る。
魔女を殺せと唱える彼女の思想とはどうしても相容れない。魔女を殺せと誰もが言うが、魔女などカンナにとっては遠い存在だ。魔女は殺すべき忌々しい存在とされているのでそう言いはするものの、実際に感情を燃やして憎悪しているわけではない。嫌なものだと刷り込まれているので嫌な気持ちになるくらいだ。カンナに限らず誰もがそうだろう。イノーニのように憎悪を煮え滾らせるほど『近く』ない。
だからどうしてもイノーニに対して相容れない感情が湧いてしまう。どうしてあんなに殺意を唱えるのだろう。
「わからなくもないけどね、俺は」
「え?」
「過去の負債ってやつ」
魔女への殺意はわかりかねるが、過去の負債は片付けなければという主張は理解できるし同意できる。
作ってしまった過ちは始末しないといけない。それは義務だ。
「過去の負債を片付けてやっと息がつける。……その焦りは俺も持ってるからさ」
イノーニのそれとはまた違う内容だが、同じようなものは持っているとハルヴァートが言う。
過去の不始末を自覚するたび、それを片付けなければと焦燥感がわく。末端からじりじりと焼くような焦燥感に耐えかねて狂いそうになる。
それほどの情動を伴う過去の負債を片付けた時、抱えていた焦燥感はまるっと安堵に変わるだろう。その多大なる安心感を得るためにも早く始末しなければと焦ってしまう。
早く。早く。もう嫌だ。片付けなければ。安心したい。安らぎたい。片付けなければ。
そうして追い詰められた気持ちになる。過去の負債が存在するだけでストレスになる。
例えるなら崖に向かって歩かされている時のようだ。背中を棒でつつかれて進むように誘導されていく。このままつつかれるままに歩けば崖の先端、待っているのは落下だ。
だからどうにかしたい。この場から逃げ出すなり、棒でつついてくるやつを殺すなりして。とにかく『どう』にかしたい。棒でつつかれて崖に落とされる恐怖から逃れられるなら解決策は何でもいい。
「そういう焦燥感で狂いそうになる。すると人は暴力的になるんだ、知ってるか?」
背中を棒でつつかれたら、何するんだやめろこの野郎と叫ぶだろう。その怒号のように感情が表出する。自己防衛本能のために暴力的な形で。それは仕方ないことだ。生きるためなのだから。
「イノーニ先生の過激な言動もそういうことさ」
小さな生き物が驚異にさらされて一生懸命威嚇するように。ネズミが獅子の前で小さな齧歯を剥くように。そんな追い詰められた気持ちの裏返しだ。
なので思想と相容れないと突っぱねるより理解してやってくれ。そうハルヴァートは話を締めくくった。
「なんか説教臭くなったな……ところでカンナちゃん、その本なに?」
「えっ…………えーと…………空飛魚の調理法100選です……」
「食べる気? 神の眷属だよ?」
「えっ、あっ、それは…………」
***
そう。これは自己防衛本能の裏返し。だから仕方ない。
追い詰めてくるお前が悪い。背中を棒でつつくお前が悪い。暴力的になるのは自分を守るためで、仕方ないことだ。
だから俺は悪くない。周りの何もかもが悪いのだ。
「そうだろ? アル?」
「………………そう、ね」
考え方の違いだろうか。恋人と『ちょっとした喧嘩』があったが今こうしてわかりあえた。
彼女もまたこの正当さに同意してくれた。嬉しいことだ。恋人が理解者であってよかった。
「俺は悪くない。だから、過去の負債を殺さないと」
なぁそうだろう、と横の自動人形に問いかける。たった今、鞭を数十回ほど振り終えたばかりの自動人形は主人の問いに沈黙で返した。同意も否定も、それをするだけの自我がこの自動人形には備わっていない。
だが沈黙は肯定といわれる。つまりこの沈黙は同意と解釈できるだろう。意思決定のプロセスの機能がないことを無視して強引に結論づける。
恋人も相棒たる自動人形も同意した。ならやっぱり自分は悪くなく、不機嫌にさせる周囲が悪いのだ。
「うん、意見が一致したところで話し合おうか。次の計画について」
――あの魔女を殺さなければ。




