理想の弔花
ムルトルの花が送られたことと、階段から突き飛ばされたこと。リグラヴェーダに伝えたのはそれだけだった。送り主がアルヴィナということは伏せておく。
カンナから事情を聞いたリグラヴェーダは、ふむ、と腕を組んだ。何かを思案しているようだ。
「突き飛ばされたことはそうね、危ない誰かが狙っているのでしょう」
教師側で情報共有をして不審者がいないか見回っておこう。生徒の無事は勉強よりも重大な案件だ。
高等魔法院とは魔法の恩恵を与えてくれた神々に報いるための力を得る場所。基礎以上に知識を得、魔法に習熟し、そして魔女を殺すための組織だ。魔女を殺すための大事な駒を損なうわけにはいかない。
そこを差し引いてもまだ18か20歳そこらの若者の命を危険に晒してはいけない。
それはそれとして。気になるのがムルトルの花についてだ。
カンナはそれが殺害予告なのか、階段の件を見越した警告なのかを判断しそこねている、と。
送ってきた謎の人物はこの前のアヴィとボースハイトの花の送り主と一緒だろう。なら警告と解釈するのが自然ではある。だが。
「ムルトルの花には『お前を殺す』以外の花言葉があるのよ」
「そうなんですか?」
「えぇ」
『お前を殺す』という不吉でインパクトの強い言葉ばかりが広まってしまっているが、他にもいろいろな意味がある。
「昔、死は睡眠の深いものと考えられていたの」
永眠という単語がそうであるように、死という概念は睡眠が深く永続的になったものと解釈されていた。
一日の終わりに眠るように、人生の終わりに眠る。それが死というものである、と。
死と睡眠が結び付けられたことで、ムルトルの花は平たく言えば『もう休め』という休息を促す意味として用いられるようになった。
そして眠れば目が覚めるものだ。死の終わりの転生、睡眠の果ての覚醒。
ムルトルの花は転生や再生の象徴になった。そうして花言葉もまたそのように変化していった。
死を意味する花言葉が休息を促す花言葉に変化したように、再起を促し、励ますものとして。忌まれていた花は喜ばしいものへと再起したのだ。
「前置きが長くなったわね。まぁ要するに」
「『目を覚ませ』という意味ですわね」
こつ、とヒールを高らかに鳴らしてアルヴィナが歩いて近寄ってきた。庭の見回りはどうしたんですか、とリグラヴェーダに溜息を吐く様子から察するに、どうやら見回りに出たリグラヴェーダがいつまで経っても戻ってこないので探しに来たらしい。
こんなところに現れるとは。気まずさにカンナが内心苦い顔をする。
このタイミングでアルヴィナが来るなんて。今まさに、彼女が送った花の意味について相談していたところだったのに。
気まずそうなカンナに構わず、アルヴィナはよいしょとカンナの隣に座る。それからリグラヴェーダに代わって講釈を続ける。
「目を覚ませ。単純に寝坊を起こす意味じゃないですわよ」
言葉通り、ねぼすけへの皮肉で送ることもあるが。
目を覚ませというのは睡眠のことではなく、思い込みから脱却しろという意味の方だ。
「思い込み。幻想、理想、空想……そういったものを『死』なせる。ムルトルの花にはそんな意味が込められていますの」
単純な殺害予告の花ではないのだ。むしろ花についてきちんと知っていれば、それを忠告と取るだろう。
もちろん『殺されるかもしれないから気をつけろ』という警告ではない。『目を覚ませ』という方だ。
「何か、あなたが信頼しているものが『そうじゃない』と言いたいのかもしれませんわね」
「そう……なんですね」
本人から講釈の形で意図を教えられるとは思わなかった。
成程、そういう意味だったのか。花の意味を誤解していましたと正直に告げると、アルヴィナはほっとしたような表情をした。
「えぇ、決してムルトルの花は悪いものではないんですわ」
濡れたカラスの羽のように艷やかで美しい黒の花弁を悪しざまに言うのは我慢ならない。
これは花言葉でもって警告する以外にも使いみちがあるのだ。なんとこの花、すり潰して患部に塗れば打撲の痛みによく効く薬になる。
その花言葉通り、『お前を殺す』のだ。
「私もよく使いますわ」
葉をすり潰したものを患部に薄く塗って湿布と包帯を巻けばひと晩程度でほとんどの痛みは取れる。それくらいよく効くのだ。
「悪いものではないのよ。本当に」
私は悪人ではない。言葉の裏に隠された主張を確かに受け取った。




