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痛みの独占欲

カンナの膝から傷が綺麗さっぱり消えていた。ぶつけて赤くなっていた脛も元通りだ。


「うん。治りましたよ」


にこりとジェリスが微笑む。ありがとうございますと礼を言うカンナには戸惑いが浮かんでいた。


だって、ありえないのだ。

原初の時代から現在まで。何万という武具が生み出されてきた。しかし、歴史上一度も傷を癒やす武具は存在しないのだ。

今までも、そしてこれからもありえないとされている。なぜかはわからない。だが『そういうもの』だ。


なのにジェリスは今まさにカンナの足の傷を治した。綺麗さっぱりと。

どうしてと驚き戸惑うカンナの様子を察し、まぁそうだね、とジェリスはあっさり肯定した。


「傷を癒やす武具はない。なのに……って顔をしていますね?」


きっと驚いただろう。うん。いい機会だ。ついでに生徒にひとつ講釈を垂れようじゃないか。

にこりと柔和に微笑み、ジェリスは種明かしを始めた。


「確かに傷を癒やす武具はありません。これからどれほど魔法が発展しようともです」


傷を癒やす武具は存在しない。どうしてかという理由については諸説ある。

神秘学を担当するリンデロート曰く、それは神が定めた規定だからだという。傷を癒やす武具、つまり治癒魔法が発展すればそれはいずれ死者を蘇生させることが叶うだろうから。死者蘇生なんて生命の流転に反する。だから神は治癒魔法を禁じたのだ。

いつか届いてしまうかもしれないことを永久に届かなくさせるために。


「だから俺のこれも傷を癒やすものではないんです」


ジェリスが持つ武具"シナストリー"にその能力はない。

あるのは傷病の転移だ。白のパーツを持った人間が抱える傷や病を黒のパーツを持つ人間へとそっくりそのまま転移させる。


先程、カンナに白のパーツを持たせた。そして自分は黒のパーツを持ったままだ。

つまりはこういうこと。そう言って、ジェリスは綺麗に折り目のついたスラックスをめくる。筋張った脚の膝には擦り傷と、脛には打撲の痕があった。


「君の傷を俺に移し替えたというわけです」


こうすれば一見治ったように見えるだろう。事実カンナだけを見れば移し替えられたおかげで怪我はなくなった。


「でもそれは先生が痛くないですか……?」


怪我は浅いとはいえ。移し替えたことで、しなくていい怪我を負ってしまったわけなのだし。

それはなんだか申し訳ない。そもそも消毒をして絆創膏でも貼っておけばいい軽傷だったのに。


眉を下げるカンナへゆるりとジェリスは首を振る。


「大丈夫ですよ。今、最高に最高の気分なので」

「え」

「俺、自分で言うのも何ですけど重度のマゾヒストでして」

「え」

「痛みや苦しみなんて最高のご褒美じゃないですか。どうしてそれを他人に譲らなきゃいけないんです?」


傷病を独占したいから医師になったんですよ。


うっそりと微笑むジェリスに、ひぇ、と小さく悲鳴を上げた。


***


おかげですっかりよくなった。よくなったのだが。

できるだけ医務室にお世話になるようなことにはならないでおこうと心底思った。


「天職でよかったじゃねぇか」

「まぁ……そういう見方もできなくないけど……」


あれでいいのだろうか。何かがよくない気がするが具体的に何がいけないのか指摘できない。

釈然としないが、それよりも。


「やっぱり、誰かが狙ってるよねぇ……」


はぁ、と溜息を吐く。カンナの重苦しい溜息を聞いているのはベルダーコーデックスと、中庭を彩る花くらいだ。生け垣で作られた迷路の端、温室につながる小さな休憩スペースのパーゴラの下で唸る。


ムルトルの花が殺害予告なのか警告なのかは置いておく。とにかく、ムルトルの花言葉の通り、下手をすれば死んでいたかもしれない事態が起きてしまった。


花を送ったのはアルヴィナだ。だがそれで犯人と断定するには情報が不足している。第一、アルヴィナが自分を殺す動機がない。知り合ったのは入学してからだし、知り合ってまだ1ヶ月も経っていない。

この1ヶ月の間に揉め事もなく、動機らしいものは特に考えつかない。共通点であるハルヴァートから辿ろうにも、恋人という『上』の地位にいるアルヴィナがカンナを狙う理由がない。


「うぅん……」


犯人ではありえない。では警告のために花を送ってきたのか。だとするなら、階段から突き飛ばした犯人は誰だという問題にぶつかる。

ベルダーコーデックスを用いてそれを解読するにはまだ魔力が回復しきっていない。今やったとしてもろくに読めもしないだろう。今は悶々と推理するしかない。


魔力が回復したら読んでやると心に決め、むぅ、と唸る。

あれは階段から落ちたのではない。落とされたのだ。誰かが後ろからカンナを突き飛ばした。どん、と押される感覚があったから間違いない。

突き飛ばした犯人を誰も見ていない。助け起こしてくれた生徒も見ていないだろう。見ていたならあいつがやったと声を上げるはずだ。犯人は不明のままだ。


「あらあら。どうしたの?」

「……あ、リグラヴェーダ先生」


生け垣を見回っていたらしいリグラヴェーダがゆるりとカンナの隣に座る。

腰を落ち着けてから、それで、と口を開いた。


「重苦しく唸っていたけど、悩み事?」

「う……」


言っていいだろうか。しばらく悩んで、覚悟を決めたように口を開いた。


「あの……」

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