不穏な花の差出人
ムルトルの花。それはしばし創作の題材にも使われることがある。その花言葉は他者からの明確な殺意、つまり平たく言うと『お前を殺す』だ。
「なんで……」
どうしてこんなものが自分に届けられるのだろう。これは明らかな殺害予告だ。いくらなんでも不穏すぎる。
きっと差出人は以前、アヴィとボースハイトの花を贈ってくれた人物に違いない。あの時はどちらかというと、カンナを心配しての忠告のニュアンスだったのに。それがどうして。
「読んでみりゃいいだろ」
なんで、の問いの答えを得るのは簡単だ。にぃ、とベルダーコーデックスが口端を吊り上げるように笑った。
ここにいるのは『真実の書』だ。あらゆる物事の真実を読み解く。術者が知らないことでさえ見通し、解読する。その力にかかれば差出人もその意図も動機も理由も白日の下に晒すことができる。
自分を使えばいい。そうすれば全部がわかる。そうだろ、とカンナを唆すように促す。
「でも……それは……」
それは確かにそうだ。読み解けられればすべての疑問が解ける。それはまるで、テストの回答を教師に聞くように。
だが『読み解けられれば』だ。読み解けない。テストの回答を教師に質問できない。その手順には致命的な問題があるのだ。
「全部読めるとは思ってねぇよ。魔力を尽くしたって読破は無理だ。んなこと知ってる。だけど目次くらいは見られるかもだぜ?」
そう。ベルダーコーデックスが言うとおりだ。『真実』の解読には魔力が必要となる。詳細に読もうとすればより多くの魔力を消費する。
消費した魔力は休めば回復する。だから休憩を挟んで回復しつつ時間をかければ読むことはできる。しかしそれでもだめなのだ。
少ない魔力で読み解いた真実は不透明で曖昧だ。本を開いて机に置き、遠く離れた距離から双眼鏡で見るように。近視の人間が裸眼で文章を読むように。薄暗闇の中で本を読むように。
それらのデメリットを補うため、術者には事前にある程度の証拠や情報を揃えないといけない。だから以前、ベルダーコーデックスに解読を提案された時に断ったのだ。今は情報が足りないからと。
今この状況で情報不足だ。解読に挑んだとしても結果が曖昧で解釈しにくく、それによって事実を誤解する可能性がある。とんでもない勘違いを起こしてしまうかもしれないのだ。恩人だと思っている人物を犯人と間違えたり、その逆だってありえる。だからやりたくない。曖昧な解読結果で変な先入観を持ちたくはない。
「でもよぉ、こんな花を贈ってくるヤツくらいは知りたいだろ?」
「それはそうだけど……」
ムルトルの花言葉からするに、これは殺害予告だ。
そんな物騒な人物は突き止めておきたいと思うのはカンナも同じだ。だろ、とベルダーコーデックスが表紙をぱたりと開閉させて同意を表した。
「送り主が誰かに絞って解読すりゃ、今のテメェでも読めるだろうよ」
何の意図があってどういう動機でなんてところまでは読めないだろう。だが、少なくとも送り主の特定だけはできる。今のカンナの魔力量とゼロの証拠と情報でもそれくらいは。
そこは保証するぜとベルダーコーデックスが片方の口端を吊り上げて笑う。顔はないのであくまで雰囲気だが、自信を持って裏付けている雰囲気は感じた。
「……わかった。やってみる」
憎たらしいし可愛気もないし反目するところはあれど、一応は相棒という位置だ。この点において、ベルダーコーデックスは過小評価も過大評価もしないし嘘はつかないしごまかさない。
ベルダーコーデックスがやれると言ったのならやれる。その保証だけは絶対信用できる。
覚悟を決め、カンナはベルダーコーデックスに手をかざした。
「――解読開始」
真実の書よ、その力を示せ。
詠唱に沿って魔力が風となって吹く。風に煽られてベルダーコーデックスの表紙が開いてページがめくれていく。
ぱらぱらとめくれていくページはやがて止まり、ひとつの項目を示す。開かれたページは淡い燐光に覆われていて視覚的には文字を捉えられない。だが頭の中に情報が流れ込んでくる。
それはまるで霧の濃い町を標識無しで歩くような心もとなさだ。馴染みのない土地で迷子になったような気分になる。
それでも何か掴もうと意識を集中させる。霧の向こうに人影を見つけた気がして集中力の手を向ける。人影に向かって走って駆け寄るようにその姿を鮮明にさせていく。
はっきり見えた。その瞬間。魔力が尽きた。
「…………は……ぁ……っ」
「おうお疲れさん」
魔力切れを起こして床にへたり込むカンナへ、頭上からベルダーコーデックスが形だけの労いを投げかける。読めたかよ、と結果を聞く声音だが、これは質問ではなく確認だ。差出人だけは読めると保証した通り、カンナは間違いなく差出人だけは解読できたはずだ。
「で、誰だったよ?」
ベルダーコーデックスは真実の書だが、ベルダーコーデックス自身にそれは提示されない。ベルダーコーデックスはあくまで真実にアクセスする鍵なだけであり、それを読むことはできない。本は自らの体に綴られた文字を読めない。
「うん……あの、ね」
息切れして上下に跳ねる肩を深呼吸で落ち着かせて、それで、と解読結果を伝える。
差出人は見えた。それは。
「…………アルヴィナ先輩なの」




